2009-10-31[n年前へ]
■「マンハッタン距離」と「続 理系風デート」
万城目学のエッセイ集「ザ・万歩計 」のこんな一節を読んだ。
京都の生活には、自転車がよく似合う。いわゆる京都市内、つまり、山あり谷ありではない市内を移動するには、確かに自転車が一番適している。周辺部以外には、曲がりくねった道はなくて、道はすべて真っ直ぐ東<->西か南<->北方向に走っている。だから、どこに向かうにもただ、目的の方向に進み・曲がればいいだけだ。
出発地から目的地まで行くのにかかる時間を見積もる、つまり、出発地から目的地まで行く経路の距離を計算するのだって、とても簡単だ。上に書いたように、平安京の時代からある京都市内中央部は、碁盤の目状に道が配置されている。だから、経路の距離は「マンハッタン距離」で計算することができる。東京の街中なら、不定形の道に沿って線積分する必要があるだろうし、野原の真ん中なら…少しは単純だけれど「ユークリッド距離」を計算するために平方根(ルート)を計算してやらなければいけない。そんな計算は面倒だ。しかし、京都市内は違う。
「京都市内の距離空間はマンハッタン距離で計算できるのがいいね」といった、自転車に乗りながらの理系風会話が日常的にしやすい。もちろん、「マンハッタン」距離なんていう一見オシャレに響く言葉を使っているので、理系風デートで使えなくもないフレーズである。
「目的地までの東西距離と南北距離を足すだけでいいから、計算が簡単でいいよね」
「どの平方根…じゃなかった、ルートでも距離は同じだしね」
しかし、その後に、こういうウンチクを口にし始めてしまったりすると、しかもそれが「理系風デート」ならその時点で「終了」していまうことが多い。
あれ?マンハッタン距離を考えたヘルマン・ミンコフスキーって、機動戦士ガンダムのミノフスキー粒子と関係あるのかな?これで会話が続いたら、単なるガンダムおたくである。まさに、「若さゆえの過ち」「ぼうやだからさ」状態である。
…とにかく、京都の町には自転車が良く似合う。先の万城目学のエッセイ「都大路で立ちこいで」でも、最後の一文はこう終わる。
自転車で京都を走ることが掛け値なしに楽しい、ってことだけは、本当なのだ。京都の町に行くのなら、自転車を借りて市内を散策するのが一番いいと思う。紅葉間近のこの季節、天気の良い日なら、乗りやすいマウンテンバイクでも借りて、体育会風に(できれば2,3日かけて)京都を一周してみるのもいいと思う。それがたとえ、1日だけでも、やはり自転車で京都を走ってみたならば、バスや列車で街を離散的に巡るよりも、ずっと素晴らしく連続的な京都の街を知り・同時に楽しめると思う。
「理系」と「文系」と言った話より、「頭」と「体」とか、「情緒/心/感情」と「論理」といったことの方に、今は魅力と確かさを感じる。自転車で巡る京都の町の魅力はは、少なくとも「体」と「情緒/感情/心」といった辺りの中心部を貫くと思う。