2010-01-01[n年前へ]
■Rubyで書いた単純なカルマンフィルタの出力グラフ例
「Rubyで単純なカルマンフィルタを書いてみた」ので、そのスクリプトの動作させた場合の出力結果をグラフにしてみました(RubyソースはsimpleKalman.rbとしてここに置いておきました)。
Ruby simpleKalman.rb 50 > simpleKalman.csvという風にCSVファイルにして、Excelで開き、結果を示したのが下のグラフです。観測ノイズがある中で(観測値が朱線で示したzです)、水色点線で示したxhat(この単純例では出力量の推定値)が、水色で示したx(この単純例では出力量)をそこそこ推定できているようです。
さて、次は「C言語で整数演算だけを使いこの単純な例を実装するときの苦労をする」か「エクセルで説明用の実装をする」か、はたまた、もう少し面白そうなモデルベース予測あるいはシミュレーション計算予測との組み合わせ(たとえば、アクティブ制御のブラ)実現にでも挑戦してみるようか悩んでいるところです。
2010-01-02[n年前へ]
■ことを見つめるのは人である。
最近、「鳥」について書くことが多かった。「ドナドナ」の歌詞中に登場する燕や、サイモン&ガーファンクルの「コンドルは飛んでいく」のスズメや、あるいは、北村薫「鷺と雪 」のサギなど、不思議に、鳥についての話をタイプすることが多かったような気がする。ーそういう一見偶然に見えることというのは、実際のところよくあることだと思う。なぜなら、それは本当のところは偶然でなくて、必然のことだからではないか、と思うからだ。直接の因果関係はなくとも、それらは同じようなものだと思うからだ。
(チャップリンの映画をひいた)「街の灯 (文春文庫) 」に始まり、「鷺と雪」に終わる北村薫が書いた三冊は、五・一五事件を背景にする年に始まり、二・二六事件のその日のある「一瞬」で頁が閉じられる小説である。
第1作目の「街の灯」は、9.11のちょうど次の年9月、2002年9月に発表されたもので、つまり、「イラク戦争」が開始される前の年に書かれたものである。そして、イラク戦争が続く2005年から2006年にかけて書かれた、第2作目の「玻璃の天 (文春文庫) 」中の言葉が次の言葉である。
「…今日のお話はいかがでしたか」今現在の瞬間のメディアをみた後の感想だと言われても、何の違和感もないフレイズだ。
「思想的というより、いささか感情的なものに思えました。わたくしは、もう少し、数字などを挙げ、納得させてくれるものー日本の現状改善に、具体的な手掛かりを与えてくれるものを期待していました」
直木賞受賞をきっかけとしたインタビューで、インタビュアの次のような問いかけに対して、
今日の晩ご飯も明日の仕事も大切だけど、うかうかしてると、国そのものが取り返しのつかない方向へ進んでしまい、そこに巻き込まれてしまう、と。北村薫が答えた内容は、次の通りである。
私たちは普通に、日々、日常生活を続けていると思っています。でも、いつものように道の曲がり角を曲がってみたら、とんでもないことが起きていた、なんてことがあるように。案外知らず知らずのうちに、歴史の大事件に巻き込まれていたということは、いつでも起こりうるものだと思うんです。現在だって、国を揺るがすような大事件の曲がり角を曲がっている最中で、何ヶ月も経った後に始めてそのことに気がつく、という事態だってありえますから。
北村薫「鷺と雪」のたくさんの参考文献の最後に、ただ一文のあとがきのように書かれた一段、を書き写してみる。
ことを見つめるのは人である。これらの様々な出来事の中に、登場人物たちはいた。これらの小説群を、昭和初期の物語とだけ読むのは「間違い」である。
2010-01-03[n年前へ]
■過去記事を読む時に使う「メニュー・バーの説明図」
明日から仕事始め、という人も多いと思います。あるいは、少し長めの冬休みがまだ続いている学生さんの方も多いかもしれません。だから、この記事を読むのは、そんな冬休みが明けた後の職場や学校から、という人も多そうです。あるいは、正月の忙しさが過ぎた後の平日の昼に読みにきた方などもいらっしゃるかもしれません。
その冬休みの間、あるいは、少し前、はたまた、さらにはもっと前に書いた記事は、画面上部辺りに付けたナビゲーション・メニューから、読むことができます。ただ、一見しただけではわかりにくそうにも思いますし、書いたものがただ消えていくのもなんなので、下に「ここをクリックすると読めるんですよ」という、説明用ラクガキを付けてみました。
下図のオレンジで囲った辺りから、指定年月の記事を読むことができます。(一か月当たりの記事数が多い)過去分に関しては、もしかしたら、その月後半の記事が読めない場合がありそうですが、そういう辺りについては、適当なタイミングで、サイト側のアプリケーションの作りを直しておくようにします。
2010-01-04[n年前へ]
■さまざまなことを為(な)していくのは、次の世代のあなた方である
「直木賞-選評の概要」をとても面白く読みました。何かに対する選評、あるいは、コメントというものは、コメントの書き手自身を忠実に描きだすものだ、と思いながら読みました。
この回に受賞した北村薫の「鷺と雪」(リンク先は著者インタビュー)というより、「街の灯 (文春文庫)」に始まり、「鷺と雪」に終わる北村薫が書いた三冊は、かつて北村薫が書いた「六の宮の姫君」と同じように、論文であり・物語です。物語であると同時に論文でもあるということは、北村薫の器用さを証明すると同時に、それは、北村薫が持つ「(頭で考え・抑えてしまう)ある種の不自由さ」を示してしまうということでもあるのではないか、と私は思ってます。作家には誰しも、「(こういうこと・風には)書かない」と決めていることがあるものです。
だから、渡辺淳一の「お話そのものも、頭で作り出された域を出ていない」という評、あるいは、宮城谷昌光の「優雅さの対称となる醜悪さが淡白すぎて、その時代がもっているぬきさしならない悪の形がみえてこない」という評は実にもっともな意見だろうと思います。
ただし、私は、「街の灯 (文春文庫)」に始まり、「鷺と雪」に終わる北村薫が書いた三冊を、昭和初期の物語とだけ読むのは「間違い」であると、確信しています。これの小説群は、明らかに、過去と同時に現代を描いた話であると思っていますし、むしろ、現代の読者に対して投げかけられたメッセージ・物語だとしか読めないからです。
――最後まで読んで不思議に感じたのは、ベッキーさん(別宮さん)の諦念です。「いえ、別宮には何も出来ないのです」「何事も――お出来になるのは、お嬢様なのです」という最後のセリフがとても印象的でした。彼女の、この無力感の正体は何なのだろうと。だから、渡辺淳一の「舞台となる昭和初期の雰囲気が描けていない」という言葉には違和感を感じます。これは、昭和初期という時代が舞台であるけれども、メッセージを伝えようとする相手は、あくまで21世紀初頭に生きる若い人たちだ、と思うからです。
北村: それは「時代」でしょう。時代を、回避できない。当初から彼女をスーパーレディとして設定してあるのは、その、最後のセリフを言わせたいからなんだよね。スーパーレディが、しかし「何も出来ないのです」と告げる。それは、様々なことを為していくのは、次の世代のあなた方であり、読者である、ということをやはり言いたいから。
そういうわけで、この選評の概要では、宮部みゆきの評(他の)に一番納得しました。「最後まで読んで不思議に感じる」という人もいれば(インタビュアとして、わかっているからこそあえて聞き言葉にさせた、という可能性も高いと思いますが)、宮部みゆきのように「解る」という人もいるのです。
宮部みゆき 評: ずっと不思議に思っていました。…今回、『鷺と雪』を読んで、初めて解りました。別宮は〈未来の(主人公の)英子〉なのです。だからこそ、終盤で別宮が「別宮には何も出来ないのです」と語る言葉が、こんなにも重く、強く心に響くのです。この「別宮には何も出来ないのです」という言葉の後に続く、「何事もお出来になるのは、お嬢様なのです。明日の日を生きるお嬢様方なのです」という言葉は、作者が、今を生きる読者に投げた言葉以外の何物でもない。
ちなみに、ラストシーンに対して、井上ひさしが言う「こんな安易な手」ということが、実際には現実に(たくさん)あったことだというのが、参考文献を読めばわかる歴史の不思議さ、です。
2010-01-05[n年前へ]
■17年前のプログラム・ミステリの解答編
PostScriptはプログラミング言語である。あまりにも、当たり前のことだが、それを意識したのは、1993に開催された『第1回国際邪悪なPostScriptコンテスト(1st International Obfuscated PostScript Contest)』でBest Artwork賞を受賞した、PostScriptでRay Tracingを見た時です。このPostScriptコード(PostScript,PDF)は、右上のような”いかにもレイ・トレーシング”画像を描く。この画像を描きだすPostScriptコードは、信じられないかもしれませんが、小さな小さな(
下記の)のプログラミングコードなのです。
%!IOPSC-1993 %%Creator: HAYAKAWA Takashi
上記のPSファイルをPDFにしたPDFファイルを開けば、あなたがあなたのコンピュータを使って、PostScriptプログラムを実行させ、その結果をグラフィカルに眺めることができます。あるいは、(内容をテキストファイルとして保存し、拡張子を.psにした)PostScriptファイルをPhotoshopなどのPostScriptコードを解釈できるアプリケーションで開けば、その結果をやはり目に見える形で眺めることになるのです。
「これがコード(のすべて)です。 PostScriptが好きな人は頑張って解読してください」という、作者の小気味良くも挑戦的なフレーズに刺激され、何度か読解しようとしたことがあります、けれど、いつも時間がただ経つばかりで途中で挫折してしまったように思います。
今日、「Tiny_RayTracing.ps を読んでみた」を読みました。
Obfuscated PostScript Contest 1993 の BEST OBFUSCATED ARTWORK で 1 位に選ばれた早川たかし氏の Tiny_RayTracing.ps を読んでみました。
単純な命令を元の名前に直し、コメントを加えてみました。そして、ようやく、上記のPostScriptがどのような動作をしているかを、納得することができたのです。”レイ・トレーシング”と言えば”レイ・トレーシング”だけれども、もしかしたら、”レイ・トレーシング”風といった方が良いかもしれない割り切った実装の仕方・その工程を納得することができました。
こういったもの、元のPostScriptコード記述や、それを読みとる解説を眺めていると、またしても、アントニオ猪木の「元気ですかーっ! 元気があればーっ!何でもできるーっ!」という言葉が、頭の中でパワープレイされるような心地にさせられます。
2010-01-06[n年前へ]
■重複部分がある1次元データを繋ぐメソッドをRubyのArrayクラスに追加する
重複部分がある1次元データを繋ぐメソッドを、RubyのArrayクラスに追加するコードを書いてみました。どういう機能かと言うと、たとえば、[1,2,3,4,5]というデータと[2,3,4,5,6]というデータがあったとしたら、それらの重複部分(同じものを示していると考えられる部分(すなわち[2,3,4,5])を重ね・重複しないように繋ぎ、[1, 2, 3, 4, 5, 6]というデータを出力するという機能です。
だから、そのメソッド"connect"を使うと、たとえば、
require 'pp'
pp [1,2,3,4,5,6,"a","b",6].connect([6,"a","b",6,"3"])
a=[1,2,3,4,5].connect!([2,3,4,5,6])
pp a
なんていうコードを書くことができます。そして、その結果、
[1, 2, 3, 4, 5, 6, "a", "b", 6, "3"] [1, 2, 3, 4, 5, 6]という出力がされます。
注意事項は、a.connect(b)というコードを書くときには、a.length>=b.lengthである必要があります。また、1次元のArrayを念頭に書いてあります。
というわけで、適当に書いたArrayクラスの拡張コードは下記のような具合です。
class Array
def connect(another)
ret=nil
if self.length!=0
aLength=another.length
lastElements=self[self.length-aLength..self.length]
aNum=0
aLength.times do |num|
diff=0
(aLength-num).times do |i|
begin
diff+=1 if lastElements[i+num]!=another[i]
rescue
diff+=1
end
end
aNum=num
break if diff==0
end
ret=self+another[(aLength-aNum)..aLength]
else
ret=another
end
ret
end
def connect!(another)
self.replace(self.connect(another))
end
end
こんな機能を使う人はいないような気もしますが、自分の手習いも兼ねてここにコードをメモしておきます。上記コードの場合で言うと、connect!のような破壊的メソッドをを書くときには、"self=hoge"ではなく、"self.replace(hoge)"と書くのですね。
2010-01-07[n年前へ]
■Intel GM965 Express + 64bitOSでの最大RAM容量はいくつか?
今のところ、PCはThinkPad X61Tablet を使っている。B5サイズでコンパクトであるし、1400x1050の画面サイズは工大ではないが、狭くもない。そして、タブレットなので、・・・何が役に立つというわけではないが、楽しい。
メモリは4GB積んでいるが、32bit VISTAなのでOSとしては3GBのRAMしか認識することはできない。そこで、メモリ容量は3GBとして動かしている。
しかし、仮想マシンを立ち上げて作業を行うことが多いので、もっとRAM容量を増やしたい。そこで、Mobile Intel® GM965 Express Chipset のデータシートを調べてみると、Max Memoryは4GBとある。しかし、その一方で、X61+windows 7 professional 64bit+DDR2 667 4GB×2枚で、(VRAM領域を除いた)約8GBを使うことができているという人もいる。(ちなみに、ThinkPad X61でDDR2-800(PC2-6400)対応メモリを333MHz、5-5-5-13で動作させ・使っている人もいる)
もしも、メモリ容量を8GBにできるのなら、仮想マシンを単に立ち上げての作業が楽になるだけでなく、複数の仮想マシンを立ち上げての作業もできるようになる。「DDR2 667 4GB×2+64bit OS」に挑戦するか否か、それが問題だ。
2010-01-08[n年前へ]
■”今”を生きる私たちに向けて発せられた「ひとこと」
ほとんどすべての本で、単行本と文庫版の間には、あとがきの部分に大きな違いがある。単行本ではあとがきがないが文庫版ではある、というものも多い。また、その逆に、単行本では長い解説がついていたりすることもある。だから、単行本と文庫本の両方を読んでみると、新鮮に感じることがある。
北村薫の「街の灯 (単行本) 」には、田中博による、「北村薫論」と「北村薫スペシャル・インタビュー」が掲載されている。このスペシャル・インタビューが、良い。
(昭和初期を舞台とした「リセット 」「街の灯」に関して)
北村薫:その時代の人には結局、”今”は見えないもんだなと。われわれの時代にしても、五十年経って、どう評価されるのかなんて分かりませんよね。どんなに頭のいい人でも”今”っていうことは評価はできないだろう。それなら、別のかたちで”今”を書いてみたらどうかという気持ちもありますね。
(「街の灯」の続編はあるのですか?という問いに対して)シリーズ最後の「鷺と雪 」で、ベッキーさん(別宮さん)は登場人物2人に、それぞれある「ひとこと」を言う。一人は、その言葉を聴き「護符をいただいたかのような表情で、そっと頷き」、もう一人は、「この言葉を胸に刻んでおこう」と思う。
一応、予定として、この人はこうなるというのは、ぼやっとは浮かんでいるんですがね。一番最後の場面、ベッキーさんの言う台詞もわかっています。
これらの小説は、昭和初期という舞台上に、”今”という瞬間が描かれている。だから、小説に登場する登場人物たちは、”今”を生きる私たち自身である。
この、”今”を生きる私たちに向けて発せられた「ひとこと」に、少しばかり、目を通してみるのも良いと思う。
2010-01-09[n年前へ]
■「古写真」と同じ場所で写真を撮って「タイムトリップ」してみませんか?
「保存版 古写真で見る街道と宿場町 」という本がある。江戸末期から明治・大正初期という時期に、東海道・中山道・甲州街道・日光街道・奥州街道の各宿場町や、街道沿いの景色や街道沿いから見える景色を撮影した写真を集めた大判の本だ。そして、同じような場所を描いた浮世絵などもたくさん収録されている。
この本を読んでいると、江戸時代に東海道(やその他の街道を)を歩いているような気になってくる。写真の中の百年以上前の景色の中にある質素な宿、その前を歩く人、そんな景色の中に自分が溶け込んでいくような心地に襲われる。
ふと、こんなことを考えた。これからは、この本をデジタル化してケータイの中にでも保存しておき、持って歩くことにしよう。そして、古写真と同じ場所で景色を撮影して昔と今を重ねてみたら、時の流れを目にすることができるだろう。100年の昔と、今この瞬間を重ね眺めてみることができるだろう。
あるいは、記念写真のように、自分もその中に写って見ることにしよう。そうすれば、過去と現在が重なる写真の中で、まるで自分がタイムトリップでもしたような気持ちになれるに違いない。遥か昔のモノクロの古写真の中に、あるいは、東海道を描いた色鮮やかな浮世絵の中に、自分が入り込むような不思議な気持ちになるだろう。
「幕末・明治期 日本古写真メタデータ・データベース」なんていういうものもある。たとえば、幕末の頃に撮影された「上野 不忍池の写真」を見て、今よりずっと華やかだったことに驚かされたりする、のも面白い。
2010-01-10[n年前へ]
■「明治末期」に行ってみた。
「古写真」と同じ場所で写真を撮って「タイムトリップ」してみませんか?というわけで、とりあえず、「明治末期」に行ってきました。行った時代が明治末期なら、行った場所は、東海道三島宿近くの三島大社です。歌川広重(安藤広重)が東海道五十三次の浮世絵「三島」(右隣の画像)に描いた「三島大社前」です。
さて、下に張り付けた画像が明治末期の三島大社前です。三島大社の大鳥居前を走るのが東海道です。右の方の先には、お江戸日本橋があって、左の方へ歩いて行くと伊勢神宮や京都があります。この写真なら、同じ場所にタイムトリップしやすそう、というわけでこの場所へ行って写真を撮ってみることにしました。
同じ場所で撮影してきたのが下の写真です。少しづつ変わっていっただろうものもありますが、時代が明治末期から平成22年の今になっても、変わっていないものもあります。何だか、不思議な気分です。
時間旅行から帰ってきてから気づきましたが、あと、百メートルくらい場所を移動して逆向きにシャッターを押してみれば、よかったと思います。
そうすれば、広重が描いた東海道五十三次の「三島」と同じ場所へタイムトリップすることができたはずです。「ヒロシゲブルー」の世界へ入り込むことができたはず、と思うと少し残念な気がします。
歌川広重の作品は、ヨーロッパやアメリカでは、大胆な構図などとともに、青色、特に藍色の美しさで評価が高い。この鮮やかな青は藍(インディゴ)の色であり、欧米では「ジャパンブルー」、あるいはフェルメール・ブルー(ラピスラズリ)になぞらえて「ヒロシゲブルー」とも呼ばれる。
「歌川広重」
2010-01-11[n年前へ]
■「お笑い番組」の効果音・BGM楽譜集が欲しい!?
「侍チュート!」をYoutubeで眺めているとふと、各コントの冒頭に書きならされるギターリフが、気になりだした。たとえば、この動画の冒頭で流れるリフである。アイデアに詰まった時など、このフレーズをギターでかきならせば、何か素晴らしいアイデアが出てくるような気がする。
お笑い番組、例を挙げれば、「笑点のテーマ」のように、その番組中の効果音やBGMをギターで弾けたら、気持ちが良く・面白いだろうな、と思うことがある。
色んな時代のお笑い番組、最近のものから昔のものまで、「ギターで楽しむ”お笑い番組”楽譜大全」なんていう楽譜集が出版されないものだろうか。
2010-01-12[n年前へ]
■過去のブログ記事追加スクリプト書きました
昔書いた記事を拾い直し・整形し直すスクリプトを書いたので、それらの記事を順次このサイトに統合していこうと思います。5年ほど前に科学技術について思いつくままに書いたこと、当たるも八卦当たらぬも八卦、で書いた記事を順序などは適当に入れ替えつつ追加していきます。
まずは、「クールビズ」と「大便所1個と小便所2個の法則」からスタートです。
2010-01-13[n年前へ]
■「ロボナブル」が素晴らしく面白い
「ロボナブル」が面白い。
読み物連載では、たとえば、「変形ロボットの力学 -“格好良い変形”を支える姿勢制御を分析」とか、「ロケットパンチで理解する力学の基礎のきそ -マジンガーZとグレートマジンガーの性能比較-」といった、こどもの頃に憧れた色んなロボットたちを眺めながら、制御工学を実際に学べるという素晴らしく楽しいものまである。
グレートマジンガーはマジンガーZに比べ,様々なところがグレートに強化されています.その 1 つがロケットパンチの強化版「アトミックパンチ」です.旧式のロケットパンチが,ロケットで並進運動して敵に体当たりするのに対し,新型のアトミックパンチは,それ自体が回転しながら並進運動して,悪いやつらをブチのめします.では,マジンガーZとグレートマジンガーの性能の1つとして,これらの 2 つのパンチについて比較してみましょう.
これまでのバックナンバーを読んだり、そこに書かれていることを消化するだけで、何日も何カ月間も楽しめそうだ。
2010-01-14[n年前へ]
■「技術の進歩」と「歌詞の意味」と「10円でゴメンね」
本棚を整理していると、種ともこのデビューアルバム「いっしょに、ねっ。 」のピアノ譜が出てきた。電話の「ベル」の音がドラム代わりに曲始まりを奏でる「10円でゴメンね」を聴きながら、技術が進歩して文化が変わっていくと、歌詞の意味がわからなくなってしまうものだ、と実感させられた。
勇気出して、ダイヤル回して
受話器とうらはらに、心は繋がらない
今では、ダイヤルを回す黒電話を使ったことがない人の方が多いだろう。そして、もしかしたら、10円玉を公衆電話に入れて、家の外から電話をかけた経験がない人のほうが多いかもしれない。ケータイを持たない人を見つけることのほうが難しい現在では、電話「線」ってナニ?「アンテナで電波」じゃないの?と思う人も多いことだろう。
10円でゴメンねなぜ、10円なのか、それがなぜ、なぜウルトラマンの3分間なのか、首をかしげてしまうのが自然な時代に、今はもうなっているに違いない。(電話の歴史を楽しく眺めるなら、同じ時代、やはり同じ種ともこの「ないしょ Love CallのPV」を観るのも良い)
ことばが出てこない Telephone line
ピンチのウルトラマンみたいさ
制限時間 Three minutes
下に張り付けた動画は、デビューアルバムの後、何年もしてからリアレンジされたバージョンで、「電話の音」を多用した最初のアレンジとは非常に異なっている。すでに、この頃ですら、時代がアレンジの変化を要求したのだろう。
まさに、「歌は世につれ、世は歌につれ」である。
2010-01-15[n年前へ]
■100円ショップで、できるかな? 「腕時計の電池交換50円ナリ」編
腕時計を手に取りつけようとすると、針が止まっていることに気づきました。夜の間に、電池が切れてしまったようです。(ちなみに右の腕時計は、反転・逆さ印字タイプと言う風変わりなものです。ですから、写真が一瞬変に見えるかもしれませんが、これで正常なのです)
とりあえずは、他の腕時計を使うことにしましたが、止まってしまった腕時計はお気に入りでいつも使っているものですから、電池交換しなければなりません。
とはいえ、時計屋さんに行っても良いのですが、電池交換すると1500円くらいかかります。また、時計屋さんによっては、作業に時間がかかることもあります。そこで、100円ショップに行って、腕時計用の電池を買い、自分で電池交換してみることにしました。
まずは、腕時計を開けてみます。止まった腕時計は裏蓋が「はめこみ式」というもので、本当にただ蓋がはめ込まれているだけのものです。そこで、裏蓋に精密ドライバーを押しあてつつ傷がつかないようにクイッと力をかけてやると、裏蓋がスポッと抜け、時計の裏側部分の電池部分にアクセスすることができるようになります。傷がつかないように、というところが大切です。
そして、腕時計に入っていたのと同じタイプの電池(今回はSR62という具合の型番の電池でした)を100円ショップに買いに行きました。ちなみに、行ったのはダイソーです(セリアにはありませんでした)。すると、同じようなタイプの電池が何種類かあったので、2個で100円のものを買いました。
そして、腕時計の中に電池を入れ、ついでに少し蓋周りをアルコール清掃もして、裏蓋をスコンと時計にはめこんでやります。すると、秒針がカチ・ツカチッと音を立てて動き出しました。2個で100円の電池ですから、実質50円で腕時計の電池交換ができた、ということになります。
「100円ショップの電池は長持ちしない」と言われたりもしますが、電池もまだ一個余っていることですし、その時はまた電池交換をすればいいわけです。というわけで、今回は、デフレ・不況感あふれる中の、DIY(Do It Yourself)記録です。
2010-01-16[n年前へ]
■100円ショップで、できるかな? 「腕時計 電池交換工具セット」購入編
100円ショップで、できるかな? 「腕時計の電池交換50円ナリ」編で、裏蓋が「はめこみ式」腕時計の電池交換をしてみました。しかし、手持ちの腕時計の中には、「はめこみ式」の裏蓋ではないタイプの腕時計も多く、そういった腕時計は精密ドライバー(時計ドライバー)でコチョコチョと開けたり、ということはできません。
たとえば、右上の時計などは、裏蓋の周囲に何箇所かの凹部があり、その部分をつかんで、裏蓋を回すことで開けるタイプの、裏蓋が「ネジ式」の腕時計というものになります。こういったタイプの裏蓋の腕時計では、専用の工具がないと蓋を空けられそうにありません。先が細めのラジオペンチを上手く対角位置の凹部にはめ込んでクルクルと起用に回転させれば、何とか蓋を空けることはできそうですが、慣れないとすぐに傷をつけてしまいそうです。
そこで、ダイソーで「腕時計 電池交換工具セット」400円(税込み420円ナリ)というものを買ってみました。これは、裏蓋が「はめこみ式」の腕時計用の工具と、裏蓋が「ネジ式」の腕時計用の工具がセットになり、さらに(細かな細工をするのには、とても重宝する)拡大ルーペも付属するという便利なセットです。
この「拡大ルーペ」を頬骨と眉に力を入れて、目の前に挟み込むと、何だか自分が時計職人になったような気分になってしまいます。とはいえ、とても残念なことに、眼の部分がとくに窪んでいないような日本人顔の人の場合、その(ルーペを目に挟んだ)時計職人状態を保つのは難しく、すぐにルーペを(目から)下に落としてしまったりもします。そんな時は、同じ100円ショップで売っている品物ですが、度の強い「老眼鏡」を買うのも良いかもしれません。
というわけで、今日は「ネジ式」の腕時計の電池交換のための小道具を100円ショップで買うという、100円ショップで、まずは「腕時計 電池交換工具セット」を購入してみました。この工具が役に立つか、あるいは、実はよっぽどラジオペンチと手先の使い方の方が重要か・・・は、これから試してみたい、と思います。
2010-01-17[n年前へ]
■「南方熊楠」と「寺田寅彦」と「夏目漱石」を繋ぐミッシング・リンク
「寺田寅彦 バイオリンを弾く物理学者 」を読んでいて一番エキサイティングだった部分は、49ページから56ページまでの「蓑田先生」に関する部分である。寺田寅彦が、高知県尋常中学校で出会った一人の英語教師に関する部分だ。この部分の数ページだけでも、充分一冊の本になるくらい面白い。
寺田寅彦が熊本で英語教師の夏目漱石に出会う前、地元の土佐高知で出会った一人の英語教師「蓑田長政」は、アメリカ帰りの「帰国子女」である。蓑田先生がアメリカで大学生だった頃、近所にいた交友関係があった友人には南方熊楠がいる。そして、蓑田先生の父はパリ万博にも行っている。
蓑田先生は、高知の学校で学生にいたずらをされたりしながら、高知で数年すごした後に、校長と喧嘩し・生徒相手に大演説した後に、東京に帰ったという。・・・まさに、「坊っちゃん」の主人公である。しかも、その友人は、南方熊楠だ・・・というのが、現実の話だというのだからたまらない。
おそらくは、東京都内のどこかの寺の墓地か霊園に眠っているはずの蓑田先生に向かって、合掌。
2010-01-18[n年前へ]
■アプリケーション間を繋ぐRubyスクリプトを作るには?
Windows上で動くアプリケーション間を繋ぎたい、と思うことがあります。そんな例のひとつが、たとえば、こんなものになります。
それは、ハードウェアに繋がれたログファイルを定期的に吐き出すアプリケーションがあり、そのハードウェアの状況に応じて、他の制御アプリケーションを通じて他のハードウェアを制御したい、というような場合です。
そんな時、Rubyでこんな具合のスクリプトを組み、対応してしまうことがあります。hoge.txtは、「ハードウェアに繋がれたログファイルを定期的に吐き出すアプリケーション」が刻々出力を行っている「ログファイル」です。
require 'win32GuiTest' open("hoge.txt", "r") do |f| data=f.readlines[f.readlines.length-1] message=$1 if /^hoge:(.+)$/=~data @gui.sendKeys(message+'{ENTER}',1) endつまり、ログファイルの最後の行を読み込み、その出力結果を用いた何かの処理を行い、SendKeys(Win32guitest)で他の(異なる・あるいは同じハードウェアを制御するための)アプリケーションを操作する、という具合です。ここでは、単純のために、捜査対象ウィンドウを最前面に持ってきたり・フォーカスさせる、といった部分は端折っていますが、こんな「その場対応スクリプト」を書いてしまうことがあります。そんな風に対応せざるを得なかったりすることもあります。
ログファイルを出力できないアプリケーション1と、それと全く無関係の、他のアプリケーション2を繋ぐ場合には、どうすれば良いのでしょう。アプリケーション1のウィンドウを監視する・ウィンドウに対するメッセージをフックする、といったことをすれば良いのでしょうか・・・?
2010-01-19[n年前へ]
■「飲食店」と「風俗店」の境界線は明るさにある (初出:2005年09月07日)
夏も過ぎて、秋の気配を感じるようになりました。太陽の光が差して「明るい」日中の時間もますます短くなっていることを感じます。
「明るい」と言えば、何事にも「ほど良い明るさ」というものがあります。例えば、勉強机の上面の場合だと750ルクスくらいがほど良い明るさだと言われています。勉強机の上があまりに暗かったりしたら、目が悪くなってしまいそうな気持ちになりますから、ほど良く明るい必要があるのでしょう。その逆に、「便所」の場合には、75ルクス程度が「ほど良い明るさ」だと言われています。こちらの場合には、便所の中があまりに明るく照らされていたら、何だかちょっと困った気分になってしまいそうです。だから、便所の場合にはある程度暗い必要があるわけでしょう。
こういった「大体このくらいの明るさがちょうど良い」というような「ほど良い明るさ」だけでなく、もっと厳格な「適正な明るさ」というものもあります。例えば、客に飲食をさせる店は「飲食店」ですが、客席の明るさが10ルクス以下になると、「風俗店」に分類されるようになります。同じようなサービスを提供していても、「飲食店」という名前から「風俗店」という箔が付いた名前に変わってしまうのです。
つまり、「飲食店」と「風俗店」の境界線の一つが「10ルクスという明るさ」であるわけです。ちなみに、客席の明るさが5ルクスよりも暗くなると、設備構造基準違反になってしまいますので、「違反、風俗店」というようにさらに名前が変わり、もっとパワーアップした箔が付いてしてしまいます。
社会の中の色んな場所の「明るさ」を眺めてみると、色んなものが見えてくるかもしれません。同じように見えるものでも、その明るさが違うだけで違ったものになってしまうように、社会の中にあるさまざまな境界線が見えてくるかもしれません。
2010-01-20[n年前へ]
■100円ショップで、できるかな? 「ネジ式裏蓋腕時計の電池交換」 編
100円ショップで、できるかな? 「腕時計 電池交換工具セット」購入編で書いたように、裏蓋「ネジ式」腕時計の電池を交換するために、ダイソーで「腕時計 電池交換工具セット」400円(税込み420円ナリ)というものを買いました。
裏蓋が「ネジ式」の腕時計といのは、裏蓋の周囲に何箇所かの凹部があり、その部分に道具を引っかけて裏蓋を回すことで、裏蓋を開けるタイプの腕時計です。たとえば、右上の腕時計は、そんな裏蓋がネジ式になっている腕時計です。この腕時計も電池切れで止まってしまいました。
そこで、電池交換工具セットに入っているネジ式用工具を使い、裏蓋を開けてみました。ダイソーで税込420円ナリで売っているネジ式用工具は、右の写真のように、2つの時計の窪みを押さえる金具部分を合う位置に固定した後に、裏蓋の(反対側同士の)窪みに押し当てながらグルグルと回していく・・・というように使います。窪みに合うサイズにきちんと金具を固定してやれば、時計の簡単に裏蓋がグルッと回り、裏を開けることが容易にできるのです。
右の写真が、電池切れで止まってしまったネジ式裏蓋腕時計を開けてみたところです。
今回も、ダイソーで、(前回買った)2個100円で売っていた電池に交換したので、実質50円+420円=470円で、ネジ式裏蓋腕時計の電池交換をすることができました。安く腕時計を保守することができるのも良いですし、ちょっとした時計職人気分を味わうことができるのも、結構気持ち良いものです。
腕時計の電池交換には、この他にも違うタイプなどもあります。そういった腕時計の電池交換については、また次の機会に書いてみたいと思います。
2010-01-21[n年前へ]
■手書きの「ピタゴラ・シミュレータ」 (初出:2006年01月15日)
コンピュータの液晶画面上を直接ペンで操作する「タブレットPC」は、とても直感的に使うことができます。例えば、アイコンをクリックしたければ、「そのアイコンをペンで触るだけ」です。もちろん、ウィンドーを動かしたければ、「そのウィンドーのタイトルバーをペンで触れ(つかみ)、そしてそのままペンを動かすだけ」です。そうすれば、ペン先にくっついたウィンドーが動くわけです。コンピュータ画面の中のさまざまな「モノ」を、まるで現実にあるもののように手(に持ったペン先)で操作することができます。
そんな風に、直感的に使うことができるタブレットPCならではのソフトウェアが「Physics Illustrator for Tablet PC」です。これは、ラクガキをすると、その描いたラクガキで「物理シミュレーション」をすることができるソフトウェアで、マイクロソフト・リサーチ(Microsoft Research)が公開しているものです(ちなみに、この Physics Illustrator for Tablet PC のソースコードは Microsoft Research のサイトで公開されています)。このソフトウェアがどういったものであるかは、研究紹介ページやデモンストレーション動画(WMVフォーマット 20MB)などを眺めてみれば、きっとわかると思います。ペンで「○」を描けば、それは自動的に「球(正確には円柱ですね)」に変身し、そして転がしたりすることができます。もちろん、壁を描いたりすることもできます。そして、バネを描いて、「壁」と「球」をバネでくっつけたりすることもできるのです。壁や球や全てのものに重力を与えたり、摩擦力や弾性を設定したり…などと色々遊ぶことができるのです。しかも、それが全部ラクガキで簡単にできるわけです。
ちなみに、右上の画像はそんなラクガキ物理シミュレーションの実効例です。「ピタゴラスイッチ」のカラクリ仕掛け「ピタゴラそうち」のようなものをラクガキで作ったサンプル・ファイルです。こういったラクガキ・シミュレーションで遊んでいるうちに、「車が凍結の坂道を登ることは難しいこと」や「四輪駆動の自動車が二輪駆動の自動車より上り坂に強いこと」などを直感的に理解することができるのです。実に楽しく、素晴らしいソフトウェアです。
このPhysics Illustrator for Tablet PCのインストーラは、残念ながらTablet PC上でしか動きません。ですから、Microsoftのサイトからダウンロードしてきても、Tablet PCユーザ以外はPhysics Illustrator for Tablet PCのインストールはできないのです…。しかし、実は"Physics Illustrator for Tablet PC"のアプリケーション自体は、通常のWindows XP上でも動作するのです…。ですから、もしもアプリケーション(及び付属ファイル)を探し出し、そしてダウンロードしてくることができれば(補足:リンク先にあるフォルダ内のファイルを全部コピーし、このインストールメモを参考にして下さい)、Tablet PC ユーザでなくても色々遊んでみることができるかもしれません(それに、ソースも公開されているわけですから、他OSだって何とかできるわけですし…)。というわけで、このソフトをもしもいじることができた人がいたならば、きっととても楽しめるだろう、と思います。
2010-01-22[n年前へ]
■Tera TermをRuby(や他の言語から)強引に操作する方法
「Tera Termマクロ活用入門(2):リモートマシンを自在に操作する」を読んだ。ちょうど、Tera Term のマクロ機能の使い方や、どのように使われているかを知りたかったところだったので、とても参考になった。
「Tera Term」はWindows 向けのターミナルエミュレータとして有名だが、マクロ機能を利用することでネットワーク経由でサーバーやネットワーク機器を自動制御するためのツールとしても利用できる。今回は、ネットワーク経由でLinuxサーバーを制御したり、Windowsのバッチファイルと連携させて使用する例を紹介しよう。
Tera Termの自動制御というと、「アプリケーション間を繋ぐRubyスクリプトを作るには?」で行ったテクニックを使っても、Tera Termを自動制御することができる。多量のテキストデータを高速にやりとりするような用途には使うことができないが、そうでない場合には、「アプリケーション間を繋ぐRubyスクリプトを作るには?」で書いた方法でRuby(や他の言語からも同様に)Tera Termを操作することができる。
Tera Termから、ログファイルを吐き出すようにしておいて(Fileメニュー→Logメニュー)、その内容を随時外部スクリプトから読み込んで、Tera Termを操作してやれば良い、という手順である。そうすれば、Tera Termの送受信内容に応じた動作をRuby(や他の言語)を使って行わせることができる。つまり、Tera termのマクロを自分が使い慣れているスクリプト言語などを使って書くことができる、というわけである。
「Tera Termのマクロではできそうにないこと」がある時には、そんな強引な外部言語を使った、強引マイウェイなTera Term操作(マクロ)テクニックもある。
2010-01-23[n年前へ]
■「右の頬を打たれたら、左の頬を…」に隠された意外な秘密 (初出:2006年08月01日頃)
見慣れた景色や言葉の中にも、何か心に引っかかる謎が潜んでいることは多いものです。そして、その謎に隠された秘密を解き明かそうとすると、「さらに奥にある部屋への鍵」を手渡される、ということも多いものです。
最近、私が見たそんな「謎」は「右の頬を打たれたら左の頬をも向けなさい "But whoever strikes you on your right cheek, turn to him the other also."」という言葉です。新約聖書マタイ伝の中に書かれているイエス・キリストの言葉です。この言葉を聞いた人が書いた、「あれ?ふつう右利きの人がほとんどですよね?だとしたら、右の手で相手をぶつんだから、(頬をぶたれる側の人からすれば)左の頬を打たれることになるんじゃないですか?最初に、右の頬を打たれたらってヘンじゃないですか?」という疑問を眺めたのです。…確かに、不思議です。世の中の90%くらいの人が右利きだということを考えると、ぶたれる頬は「左頬」が自然です。相手から「右頬」を打たれる、というのは何だか不自然です…?
そこで、Wikipedia の"Turn the other cheek"の項や、「右頬を…」という言葉を解説した文章を読んでみると、とても興味深い(もっとも支持されている)説を知りました。それは、この言葉で勝たれているのが、「右手の甲で相手の右頬を打つ」という状況だった、ということです。確かに、右手の甲で相手の顔を払うように打つのであれば、(頬をぶたれる側からすれば)右頬が打たれることになります。そして、古代のユダヤ世界では、「手の甲で相手の頬をたたく」ということは、非常に相手を侮辱する行為で、自分より「階級・地位」が下である者に対してのみ行うことが許されていた、というのです。また、当時は左手は「悪い」側の手とみなされていて、自分の主張などを行う際には使うことができませんでした。だから、「右手の甲で相手の頬を打つ」というのは、「自分より地位が下のものを、侮辱しつつ叱責する」という目的で「ごく自然に行われていた」行為であった、というわけです。
なるほど、だとすると、「最初に、右の頬を打たれたらってヘンじゃないですか?」という疑問は氷解します。…だとすると、今度は次の疑問が湧いてきます。「さらに奥にある疑問」が浮かんでくるはずです。「右の頬を打たれたら左の頬をも向けなさい」という言葉は、一体どんなことを言わんとしてるのでしょうか?
「左の頬を向けられ」たら、(右頬を打った)相手はどうするでしょう?左手は使えませんから、左の手の甲で「左頬」を打つことはできません。だとすると、右手の掌で相手の左頬を打つことになります。…しかし、(自分より相手の地位が下だとみなす行為である)手の甲で相手を打つのではなく、「掌で相手を打つ」ということは、相手を自分と対等だとみなすことです。つまり、「自分より身分が下」だと蔑んでいる相手を、「自分と同等の人間である」と認める行為になってしまうわけです。(頬を打った側の人は)大きなジレンマを抱えてしまうことになるのです。
つまり、この言葉は、単なる「相手の暴力・差別に対して服従・無抵抗になれ」という意味ではなく、「暴力は使わず、根本の意味におけるより強い抵抗を示せ」という言葉であった、というわけです。
この新約聖書マタイ伝に書かれている「右の頬を打たれたら・・・」という言葉は、旧約聖書の「目には目を、歯には歯を。手には手を、火傷には火傷を、打ち傷には打ち傷を」 という言葉と対比されることが多いために、私はこれまで単なる「無抵抗主義を示す言葉」だと思っていたわけです。しかし、実はそうではなかった…ということがとても面白く、興味深く感じたのです。
きっと、解き明かされたこの答えからも「さらに奥にある謎・秘密」が続いているのでしょう。そしてまた、この「右頬を打たれたら…」の謎と同じように、他にも何か心に引っかかる謎が日常には潜んでいそうです。今日は、そして明日には、一体どんな謎に出会うのでしょうか…?
2010-01-24[n年前へ]
■ビデオゲームの「歴史」と「文化」と「未来」の展示 (初出:2005年10月05日)
「Game On! ビデオゲームの歴史と文化と未来( The History, Culture and Future of Videogames )」という企画展が、いわゆる"シリコンバレー"の中心街であるサンノゼ市の技術革新博物館( The Tech Museum of Innovation )で9月30日から開催されていた。そこでは、各種ビデオゲームの歴史や、それを支えた技術・マーケッティング戦略、そして音楽やデザインの文化など、多岐にわたる内容が展示・解説されていて、これが信じられないくらいに素晴らしく面白かった。
たとえば、各種ビデオゲームの歴史では、(DEC PDP-1上で動作する)1962年に生まれたSpacewar!から始まり、膨大な数のアーケードゲーム・TV(ビデオ)ゲーム・携帯ゲームが展示されている。そして、何より素晴らしいことに、(Spacewar!以外の)展示ゲームのほぼ全てを実際に自由にプレイして楽しむことができた。もちろん、ゲーム音楽を解説してる一角では、当然のように好きなゲーム音楽を自由に聴くことができるのである。
実際に私が懐かしくプレイしたゲームをいくつか挙げてみると、商用ビデオゲームの草分けのATARIのPONG、あるいはベクタスキャンのCRTを使って信じられないくらいのスピード感を実現していた懐かしの”STAR WARS”や、はたまた携帯型ゲームの草分けであるゲームウォッチ、もちろん日本中の喫茶店の景色を変えたSPACE INVADERSも…といったような具合だ。
実際のゲーム筐体を前に、こういった懐かしいゲームをしていると数時間くらいはあっという間にたってしまう。しかも、ゲームをするのにお金がいるわけではないから、それはつまりいくらでも楽しい時間がタダで過ごせる(ミュージアムの入場券は買う必要があるが)、ということになる。
日本の国立科学博物館でも、似たような「テレビゲームとデジタル科学展」という企画展が開催されたことがある。。しかし、そこでは古いゲームマシンは展示ケースの中にただ並べられているだけだった。それは、実際のところ「面白くて楽しかったとは言い難い」ものだった。
しかし、この展示会は違った。「過去40年から100以上のゲームを展示し実際に遊ばせ、そしてゲームがどうやって作り上げられていくかを見せる」という謳い文句を確かにそのまま体験することができたのだ。Game On!のような形態のイベントを、日本でも開いて欲しいと切実に願う。
2010-01-25[n年前へ]
■「すること全てが上手くいく」のは「あなたが挑戦してない証拠」だ (初出:2005年10月07日)
先日紹介したGAME ON!が開催されていたサンノゼの技術革新博物館( The Tech Museum of Innovation )の外壁の下には、いくつかの言葉が書かれていました。その一つに近寄って眺めてみると、
If everything you try works,というような文字が書いてありました。インテルの共同創始者ゴードン・ムーアの
you are not trying hard enough.
GORDON MOORE
あなたのやったこと全てが上手くいったというのなら
「あなたは十分な挑戦をしてない」というだけだ。
という一言です。
1995年のインタビューではGordon Mooreはこの"If everything you do works, you're probably not trying hard enough"というこの一節とともに、自分が実践してきた(シリコンバレーの)精神として
It's OK to fail.
「失敗したって構わないさ」
という発明王トーマス・エジソン名言を紹介しています。 失敗したって構わない、なぜなら失敗が大きな成功の元となり、成功するための「力」を育てていくんだ、という言葉です。 最近、そういう意識に溢れ、同時に「力」を持ち合わせている人たちを見る機会に恵まれています。そういう人たちの爪の垢を拾いに行きたいと思う、今日この頃です。
2010-01-26[n年前へ]
■井の中の蛙(かわず)、大海を知らず (初出:2005年09月17日)
浜辺に行くと、白い雲も少なくなって、完全に秋空になっていました。広い海と青い空を眺めていると、こんな一節が心に浮かびます。
井の中の蛙、大海を知らず
しかし、空の蒼さを知る
これは、誰かが荘子「秋水編」の有名な一節に「しかし、空の蒼さを知る」という一節を付け足したものだといいます。
井戸の中からでは、頭上に空いた丸い穴を通して、蒼い空が見えるだけです。そんな世界が限られた井戸の中からだからこそ、「空の蒼さ」を誰よりも知ることだってできることもあるのかもしれません。空しか見ることのできない井の中の蛙だからこそ、憧憬とともにその「空の蒼さ」を心に刻むことだってあるかもしれない、と思います。
そういえば、4歳の頃から6年間ほど、私は長野の野辺山高原に住んでいました。その後、野辺山高原から東京へ引っ越してから、「空が蒼くないこと」と「水道の水が冷たくないこと」に驚いた記憶があります。私がそれまで知っていた「空の色」は濃い藍色(リンク先はPDF)だったのですが、東京へ越してから見る空は「水色」でしたので、とても驚いたのでした。
長野の(少なくとも当時は)山奥で都会もろくに知らず、まさに「井の中の蛙」だったわけですが、先の詩の通り「空の蒼さ」は知っていたというわけです。
時折、自分がいる狭い世界でなく広い世界を眺めてみたい、という気持ちになることもあります。「井の中の蛙、大海を知らず」という言葉が頭に浮かぶことがあります。そんな時、同時に「しかし、空の蒼さを知る」という言葉も心に浮かびます。
あなたなら、「井の中の蛙、大海を知らず」という言葉をどんな時に思い浮かべるでしょう?そして、その言葉に「どんな一言」を続けてみたくなるでしょうか?
2010-01-27[n年前へ]
■続:井の中の蛙(かわず)、大海を知らず (初出:2005年09月18日)
「井の中の蛙、大海を知らず」に続く言葉と言えば、前回の「しかし、空の蒼さを知る」という言葉の他に
井の中の蛙、大海を知らず
されど、空の高さを知る。
なんていうものもありました。「井の中の蛙」が知っていることが、井戸の底から見上げ眺める「空の蒼さ」でなく、「空の高さ」になっている一節です。この一節も、今の季節の秋空にとてもよく似合うような気がします。
そういえば、手元にある新明解国語辞典で「空」という言葉の意味を調べてみると、
(自分が立っている所と違って) 手の届かない、はるかに高い空間。
と書いてあります。 「手の届かない、はるかに高いところにある」ものが「空」である、というわけです。新明解国語辞典の「空の定義」を知った上で「井戸の中の蛙」に自分を重ねてみれば、「井の中の蛙は(自分が立っている所から)手が届かない、はるかに高い場所の遠さ(高さ)を知っているのだ」という文章は、なぜか心に響くような気がします。
新明解国語辞典いわく「両棲類の一種で、よく跳ね、よく泳ぐ」という「蛙」でさえ、いえ、だからこそ、(自分が住む)井戸の中から仰ぎ見る「(手が届かない遠くにある)空の高さ」を他の誰よりもよく知っているのかもしれない、とふと思うのです。
2010-01-28[n年前へ]
■最高に小さなデジカメ一眼レフが登場 (初出:2006年04月01日)
この記事は、初出の年「月日」を意識しながら、お読みください。ちなみに、「フジSUPER G-100 110 24枚撮り FUJI SUPER G 110-24(ポケットフィルムISO100カラーネガ) SUPERG110-24 」や「110フィルム使用のトイ・カメラ 」は、今もAmazonで買うことができます。懐かしさを感じると同時に、少し欲しくなりませんか?
ついに最高に小さなデジカメ一眼レフが登場した。シャツのポケットに入れて持ち歩けるくらい小さい超小型デジカメ一眼レフ、それがオリンバスとベンタックスが共同開発した「Auto 110# 」だ。今日、800万画素のフォーサーズCCDを搭載したカメラボディと交換用レンズ6本を二社が共同発表・発売した。交換用レンズのラインナップは 18mm F2.8(35mmフィルムカメラで35mm相当), 24mmF2.8, 50mm F2.8, 70mmF2.8, 20~40mmF2.8ズーム, パンフォーカス18mm となっており、35mmフィルム・カメラで50mm相当の24mmレンズを装着した状態でも、わずか172gの超軽量の素晴らしいカメラだ。交換用レンズをボディと一緒に全部持ち歩いたとしても、女性が持ち歩く小さなポシェットに十分入れることができる「可愛い小さな小さなデジカメ一眼レフ」である。右上の写真を見れば、その小ささには驚くはずだ。
今回、なぜオリンバスとベンタックスの2社が超小型デジカメ「Auto 110# 」を共同開発したのだろうか? 最近は、カメラ業界では「カメラ事業売却・撤退」や「フィルムカメラから撤退」といった発表が続いていたが、今回の共同開発製品発表もその流れに沿ったものなのだろうか…? いや違う、今回のオリンバスとベンタックスによる共同開発製品の背景には、実はとても「自然な理由」がある。
かつて、ベンタックスは PENTAX AUTO 110 という超小型一眼レフカメラを発売していた。
「110サイズ」という小型フィルムを使いさまざまなオプションとともに発売(発表は1979年)されていたフィルムカメラ PENTAX AUTO 110 の改良品 AUTO 110 Super (1983年発表) をオリンパスと共同でデジタルカメラ化したものが、実は今回の「Auto 110# 」なのである。超小型一眼レフとして人気があった機種ではあるが、110フィルムの衰退とともに、AUTO 110はその姿を消していた。しかし、今回オリンバスとベンタックスによりデジカメ化されてAUTO 110は帰ってきたのである。
ベースとなるAUTO 110 Superを開発・発売していたベンタックスはともかく、なぜ今回オリンパスが共同開発を行ったのだろうか。それは、AUTO 110が使っていた「撮像素子」が理由だ。AUTO 110 が使っていた110フィルムは1971年にコダックが作り上げたものであり13mm×17mm のフォーマットのカートリッジ式フィルムである。そして、その110フィルムの登場から約20年後、そのコダックがオリンパスとともに提案したのが「4/3型のデジタル撮像素子(約13.5×18mm)を使うフォーサーズ」という規格である。つまり、110フィルムとフォーサーズは「フィルム」と「デジタル撮像素子」という違いこそあれ、実は同じサイズなのだ。
だからこそ、(オリンバスとベンタックスの開発者によれば)基本的にはAUTO 110の光学系をほぼそのままに「撮像素子」部分を入れ替えるだけで、今回の「Auto 110# 」を作り上げることができたという(右の写真が「Auto 110# 」に搭載されたCCD)。もちろん、Auto 110の小さなスペース中にデジカメの回路実装を行うには苦労もあったとはいうが、それでも試作品の設計自体は比較的短期間に終了したという。
今日、桜の下の入学式が似合う日に発表された「可愛く小さな超小型デジカメ一眼レフAUTO 110 ++」を、あなたが幸運にも手に入れることができたなら、素晴らしく楽しいデジカメ生活がスタートするに違いない。
2010-01-29[n年前へ]
■本当の私はもっと「キレイ」!? (初出:2005年09月01日)
「心の中が見える装置」ではありませんが、普通は見ることができないものを、実際に自分の目で眺めてみるというのは、とても面白いものです。
「人が一番見ることができないもの」とは、一体どんなものでしょう?・・・もしかしたら、「人が一番見ることができないもの」の一つが、「他人が眺める自分の顔」かもしれません。
自分が眺める「心の中の自分の顔」と、他人が実際に眺めた「客観的な自分の顔」は結構違うことが多い、と思ったことがある人は多いのではないでしょうか。
デジカメで撮影された自分の顔を眺めて、「本当の自分の顔はこんなじゃないのに…私は写真写りが悪いの?」なんて考えたことがある人もいるのと思います。
つまりは、「鏡の中」に自分が見る(思いこむ)「自分の顔」と、他の人が見る「自分の顔」はきっと結構違うものなのではないでしょうか。逆に言えば、「自分が見る(思いこむ)自分の顔」というものは、他人は見ることができないわけです。
そういえば、人の顔写真を「何が何でも美人にしてしまう」美人フィルタというものを作ったことがあります。どんな顔でも?「お目々パッチリの美人顔」にしてしまうソフトです。
顔写真を撮って「撮影した顔」と「美人化した顔」を見せられたら、人は「美人化した顔」の方が「本当の自分の素顔」だと、主張する・思うのではないだろうかと、ソフトを作った時にふと考えました。
他人=周りの人は当然のことながら、「撮影した(誰かの)そのままの顔」を「本当の顔」だと思うことでしょう。けれど、その一方で、撮影された本人からすれば、「撮影した顔」では、「本当の顔をちょっとブサイク化」したものに思えてしまうのではないか、と予想したのです。「美人化した顔」の方こそ「本当の自分」だと感じているのではないか、などと妄想したのです。
「人が一番見えないものは、自分自身だ」といいます。美人かした写真・そのままの写真・ブサイク化した写真、・・・そのうちの一体どれを、人は自分自身だと思うのでしょうか?
2010-01-30[n年前へ]
■「巨乳の揺れ」を抑えるのは「大変」だ!? (初出:2006年04月20日)
大きな胸、つまり「巨乳」「爆乳」の揺れを抑える作業というのは力学的にも体力的にも大変なんだろうなぁ、としみじみ感じました。なぜ、そんなことを考えたかというと運動用ブラジャーの販売ページにいって、そこに掲載されていた「バストのカップ数と運動の激しさから、ブラジャーの種類を選ぶことができる選択チャート」を眺めたからです。右の図が、「巨乳の揺れ」を抑えるのは大変だ、と私にしみじみ感じさせた「選択チャート」です。
この運動用ブラジャー「ショック・アブソーバー・ブラジャー」は、「バストの揺れを抑えるために、バストを包み抑え込む力の程度」でレベル1(比較的ソフト)からレベル4(最強)までの4段階のものが用意されています。比較的ソフトにバストを包み込むお手軽レベル1から、超強力ガチガチ抑え込み型レベル4までのブラジャーがあるわけです。右上の図では、それが黄色(レベル1)・オレンジ(レベル2)・赤(レベル3)・紫(レベル4)というように示されています。そして、縦軸は「バストのカップ数」で、横軸が「運動の激しさ」で、一番左が比較的「緩やかな運動」で、一番右が「激しい運動」になります。
例えば、Aカップ「小胸」さんの場合は「緩やかな運動」はもちろん「中程度の運動」をするにしても、レベル1(比較的ソフト)ブラジャーで十分なわけです。「激しい運動」をするにしても、レベル2程度で十分です。ところが、Gカップ「爆乳」さんの場合、「激しい運動」でレベル4(最強ガチガチ型)が必要なのはもちろん、「緩やかな運動」でさえレベル4(最強ガチガチ型)が必要なのです。つまり、いつでも強くバストを抑え込んでいないと、バストの揺れを防げないのです。小胸さんと巨乳(爆乳)さんではバストの重さ(大きさ)がとても違うため、力学的にそんな差が生まれるわけです。
この図を眺めていると、「巨乳」の揺れを抑える作業は大変なんだろうなぁ、としみじみ思いますよね?肩こりもするだろうし、ブラジャーもきつそうだし…。 ビバ!小胸さん!という気分になりはしませんか…?
2010-01-31[n年前へ]
■手描きシミュレーションで「歩くモアイ」を計算してみる
受動歩行による、「歩く(イースター島の)モアイ」を作る、という「受動歩行を用いた「歩くモアイ」の作り方」が新鮮だったので、タブレットPC上で動く(タブレットPC上でなくても動きます)「手書きの「ピタゴラ・シミュレータ」」を使って歩くモアイ・シミュレーションに挑戦してみました。それが下の二つの動画です。傾いた地面を作り、木の支え棒と石のモアイ像を作った上で、支え棒とモアイ像の上部を固定し、重力場を適用させ、シミュレーション計算を行っています。
チョコチョコっと描いた条件では、受動歩行動作を行うようなシステムに上手くできないせいでしょうか、なかなか「歩くモアイ像」シミュレーション計算にはなりませんでした。今のままでは、弾性で跳ねつつ動くモアイ像になってしまっています。
しかし、手書きで物理シミュレーションを簡単にすることができる、というのはやはり楽しいものです。いつかきっと、古代イースター島のモアイを手元のPCの中で歩かせてみよう、と思います。