2001-01-10[n年前へ]
■想定読者 第2回(多分)
「わきめも」から。
サーバー上へのバックアップにもなるし、なにより自分で読み返すのにとてもいいのです。つまり自分の為ですね。うちもそうです。なので、WEB用の文書は想定読者が自分自身ということもあり、結構すぐ書けます。 けれど、人に書く「メール」は書くのに時間がとてもかかります。
■「デジカメと銀塩をどう使い分けているか」
「デジカメと銀塩をどう使い分けているか」ですけど、最近は銀塩カメラを持ち歩いていません。それどころか、たまに使う銀塩カメラといってもIXYかIXY D5だったりします。お恥ずかしい。ところで、コレ↓関係だったりします?これだったら、買うかも。(リンク)
2003-01-10[n年前へ]
■ありがとう
「画像処理ソフトウェア」「ペーパークラフト」 おぉ、情報が追加されてる。ありがたいことである。そう、単に私自身が知りたいことを知れてうれしいのである。
そしてまた、YukiWiki用のCSSを作って送って頂いた方には、心からのお礼をしたいと思います。というわけで、ここでお礼を書かせて頂きます。
■本当の声を聞かせておくれよ
「無責任と自由は違う。が、これを理解できてない人間が最近増えた」「ほんとに増えたんでしょうか?」という会話。さて、どうなんだろう。どうなんだろうか?
「無責任」は何なんだって言われたら少しは判るような気もするけれど、「自由」って何だと言われたら、やっぱり何だかよく判らないような気がする。「フリー」ライターだった頃の枡野浩一ではないけれど、「自由って一体何なんだ」とぼやきたくなるのである。カフェインフリーとかデューティーフリーとかフリーライターと言われても、やっぱりよく判らないのである。まるで、それでは「何かの反語としての自由」「何らかの規制の反語としての自由」という風に響いてしまうのである。
そういえば、私の高校は制服が無かったので私服だった。というわけで、私は制服フェチになったのである。自由な服に浸っていたくせに、そんな制服に憧れたりする(といっても男の制服なんか興味ないのである)のだから、何というか…。そしてまた、教え子と結婚した本田サミー先生に「自由が制限されているところに芸術が生まれる」と言われたのもこの頃だったなぁ。
そんなことを考えながら、ふと気づくと何故か口が"TRAIN-TRAIN"を口ずさんでいたのにはビックリなのである。そう、話のもとは「 2chがIPアドレスの記録実験を開始 」なのだった。
ここは天国じゃなんだ。かといって、地獄でもない。
いいヤツばかりじゃないけど、悪いヤツばかりでもない。
嫌らしさも汚らしさも、むき出しにして走っていく。
見えない自由が欲しくて、見えない銃を撃ちまくる。
本当の声を聞かせておくれよ。
本当の声を聞かせておくれよ。
■ibackup
ibackup。「文章の編集作業にはそれなりに周期性があると考えられます。このような周期性を考慮すると、バックアップが必要となる場面は機械的に予測できるような気がしてきます」というフレーズだけでもとても素晴らしい。
2004-01-10[n年前へ]
■風の強い夕方
風の強い夕方に、堤防の上に腰掛けている人が二人。中学生くらいなのかな。そんな二人が持っていた紙袋がまるで糸の切れた凧のように飛んでいった。風がとても強いからなぁ。
あと、十分もすれば、ずいぶんと暗くなるはずの千本浜で。
■GUIとコンピュータの歴史
一度は眺めてみても面白いし、きっと何かの役に立つハズ。
MemexからWindowsXP, Mac OSXに至るまでのさまざまなユーザーインタフェースの影響の系譜やお馴染みのComputer Treeを眺めてみるととても面白いと思う。孤高の技術なんて実際問題あるわけがないし、そんなものが仮にもしもあったとしても、そんな技術はいずれ誰にも継がれないままに消えてしまうに違いないのだから、こういう系譜を眺めることで後ろと前を眺めてみるのも良いと思う。
ここからたどって、The Xerox "Star": A Retrospectiveも懐かしくないですか? > Xerox Starに関係した方。
■ワタシハイツモ「放置プレイ」
思わず声を出して笑ってしまったこのフレイズ。
この人さいつも着眼点もいいし作るものもおもしろいけどいつもそこで放置しちゃうねw確かに。ワタシハイツモ「放置プレイ」なのだった。…続いているのは「オッパイ星人との長い戦い」くらいか。なんてこったい。
■あなたのサイトを探せ!
WEBページのサムネイル画像作成&データベースCGI "webnail.cgi"のデータベースに登録されたサイトは今のところ6500サイト程度。主に、はてなアンテナに登録されていたり、あるいは誰かが言及したり、つまり、誰かが眺めたサイト群のサムネイル画像が6500ほど登録されたことになります。
それでは、そんなたくさんのサイトのサムネイル画像のキャッシュファイルを全部並べてみましょうか。そして、それを眺めてみましょうか。
リンク先のモザイク画像は6000 px. * 6000 px.で8MByteを超えるくらい、です。ちゃんとページを見分けることができる程度のサイズにしてありますから、よ〜く眺めてみたら、もしかしたらあなたのサイトもこのモザイクの中にあるかもしれません。いや、きっとあるに違いありません。というわけで、「あなたのサイトを探せ!」です。
サイトの色によっては、自分のページを見つけるのはそれほど難しくないと思いますが、特に特徴のない色を使われてるページだとか、画像がないページだと難しいかもしれません。それでも、数千人が書いているページ群の中から、自分の書いてるものを見つけ出してみましょうか。あなたは何処にいるのでしょうね。
2005-01-10[n年前へ]
■NEWS
カリタテルを読む。この文章中で語られていることと直接は繋がらないこと、単に連想したことを、脈絡なく以下に書いてみる。だから、何かまとまった話ということでは全くない。
私は新聞記者が「起きた出来事を一人でも多くの人に一秒でも速く届けるという役割」を重視する姿勢はあまり好きではない。「起きた出来事」を明らかにするには時間がかかる以上、「起きた(と思われるが、その確からしさは決して高くない)ことを多くの人に速く届けてしまうという自らの判断」の必要性・危険性を「その書き手」はいつも疑い・考え続けるべきだと思う。そして、新聞記者たちがそのような期待に応えて続けているかどうかは疑問に思っている(そう思う一方で、他人のことを気にする繊細な神経の持ち主は記者を続けることは到底できないだろう、とも思っているのだが)。もちろん、私たちの中の野次馬根性に対しては、記者達は期待以上に応えてくれていると思っている。
ところで、毎日新聞というと署名記事の割合が他に比べて多い新聞社だという印象がある。私は社説というものの存在意義がよく理解できておらず、逆に意味もなく署名記事が好きなので、毎日新聞に対しては比較的良い印象を持っている(西原理恵子の毎日かあさんが連載されているからではない、多分…)。先の理系白書の書き手も書く文章の内容はさておき、その自らの名前の元に書く態度に対しては非常に好印象を持つと同時に尊敬している。また、「書く文章の内容はさておき」というのも、勝手な期待・勝手な理想を新聞に重ねてしまうせいで、そんな風に(勝手な)基準を高めてしまっているのだとも思う。そういう期待がなければ、眺めるだけで終えておけば良いだけなのだろうから(「理系白書ブログ」に関しても「毎日新聞『理系白書』の記者が作るページです」と書いてなければ、きっと何の反応もしなかったと思う)。
以前、「テレビニュース」はあなたの人生にとってなくてはならないものですか?というアンケートを見たときに、それをとても強く感じたのだが、もしかしたら(私に限らず)時に新聞記者に対してぶつけられる「(皮肉で書かれる)期待」の裏には、「(勝手な高い)期待」があるのかもしれない、と思う。その「期待」をどう眺めどう応えていくかは、その人(記者や私たちの)それぞれに違うのだろうけれど。
「テレビニュース」というものに対する(私たちの)イメージは全て自分達に降りかかってくるに違いない。(私たちのイメージの中の)「テレビニュース」という言葉は「僕ら自身」と全て置き換えられるに違いない。そう思いながら、刻々流れる質問への答えを眺めている。
「テレビニュース」が世の中に与える影響は? -> 悪い
「テレビニュース」は信用できる -> No
「テレビニュース」はあなたの人生にとってなくてはならないものですか? -> Yes
■月光天文台
「月光天文台」はその名前がとても素敵で、建っている場所もその名前に名前に負けない。スペースシャトルの大きさは後ろの建物と比べて眺め、望遠鏡の大きさはその後ろのスペースシャトルと並べてみると、わかりやすいかも?
「地球のを回る月」や「送電線」の写真は平行法で眺めてみれば、立体的にその姿がわかると思います。空に漂う雲や空に張られた送電線や、畑の向こうの林の向こうの鉄塔が、立体的に浮かび上がってくるはず。函南町の山村中の小さな公園にある地球の周りを回る月を、三次元空間の中で眺めることができるはず。
2008-01-10[n年前へ]
■「ビジュアル言語」
グラフィカルな表現でプログラムを表現しようという「ビジュアル言語」の話を読んだ。この記事を読んで、ふと思い出したことがあった。
計測・制御などをする場合、National InstrumentsのLabVIEWや、CYBERNETのSimulinkといったツールを使うことが多いように思う。いずれも、(基本的には)アイコンをワイヤー(線)で結ぶ「ビジュアル言語」である。少し前の実験系の理系学生であれば、誰でも98BASICでGP-IBを操作するプログラムを書かざるをえなかったように思うけれど、現在では、そういった場合に使われるツール群がLabVIEWやSimulinkといった辺りに移行しているように感じる。LabVIEWやSimulinkをPC BOX上で動かして計測や制御を行った上で、さらにはFPGAやASICにしてしまう、ということもある。
こういった「ビジュアル言語」を触り始めたとき、苦手だったことの一つが、「どこから実行されるのかわからない」「どこから眺めて行けば・理解すれば良いのかわからない」ということだった。そして、しばらくそういうツールを使ってから、ようやく気づいたのが「どこからも実行されている」ことを理解していないとダメなんだな、ということだった。「あらゆる箇所で並列計算が行われている」と普通に思えばよいのだな、ということだった。
VHDLなどのハードウェア記述言語では、基本的に、すべての部分が同時に動作する。行番号順に実行されたりするわけではない。そういうことは回路図という「ビジュアル言語」を見たら当然のように理解できるかもしれないが、そういったことはVHDLを見ただけではわかりにくい。どうしても、上から順番に実行されるような感覚で読んでしまう。最初の頃には、そういう感覚でLabVIEWやSimulinkのダイアグラムを眺めていたので、「どこから実行されるのかわからなくてイヤ」と感じいてたように思う。
もう一つ、画像処理に「ビジュアル言語」が向くだろうか。私が素人だからかもしれないが、そうは思えない気がする。
■ラトルバックが逆転する瞬間のスローモーション映像
チューインガムで誰でもできる「物理法則に反する!?超自然現象!?」の「ラトルバック」が逆転回転し始める瞬間をハンディカムで高速度撮影してみました。軽く折ったチューインガムを軽く回転させると、なぜかブルブル震え始めて、そしていきなり逆回転しだす瞬間の映像です。動き方を眺めていると、そのメカニズムを感覚的に理解することができるかも…?
2009-01-10[n年前へ]
■「アメリカの高校生が学ぶ経済学」で学ぶ
「経済」に関する本を手当たり次第読んでみた。基礎を一番わかりやすく納得することができて、しかも、基礎原理を理解するだけでなく、実際にその原理にもとづいて身の回りのことについて応用して考えることができるように感じたのが、「アメリカの高校生が学ぶ経済学 原理から実践へ」だった。アメリカの高校で使われている教科書の抄訳だというこの本はとても、わかりやすく実践的だ。こういう本を高校の時期に読んでおきたかった、こういうことは早い時期から学んでおきたかった、とつくづく思う。
我が国は、高校生に重要な経済問題を理解する基本的スキルを教えなければならない。…高校卒業までに経済学の充実した教育を受けなければ、ほとんどの成人は、経済の機能や富の創造過程における自らの役割を学ぶ機会がまったく与えられなかったことになる。
本書冒頭に掲げられている W.B.ウォルスタッドの言葉
この教科書では、「経済の基本概念」「ミクロ経済学」「マクロ経済学:制度」「マクロ経済学:政策」「国際経済学」という流れに沿って、経済学を学んでいく。授業のテキストだから、各所各所に課題がはさまれている。それは、とても具体的で実践的な問いかけばかりだ。たとえば、「今日の放課後のどう過ごすか考え、その過ごし方をしたことで得られるもの、それ以外の過ごし方をしていたら得られていただろうこと」を考えなさい、というようなものだ。
そんな、何かの選択をするときに得られるものや失うもの、あるいは、それ以外の選択をしたら得られていたはずのこと(機会費用)を考えた後に、「将来への投資」の項目では、教育レベルと男女別の平均年収の表が載っていて、それを眺めることになったりもする。
そして、「ミクロ経済学」の「需要の弾力性の推定」の項では、「購入延期が可能か」「適当な代替物はあるか」「購入には所得の多くの部分が必要か」という3つの条件を大学教育に当てはめると、大学教育の「需要の弾力性」はどうなるだろうか?ということを、高校生たちは問いかけられ考えなければいけない。
また、身の回りのモノの価格や雇用について調べる、というような課題を通して、身の回りの社会現象を実際に眺めに行ったりもする。
こんな授業を高校の時期に受けておきたかった。高校時代は遙かの昔になってしまったけれど、遅ればせながらでも、「アメリカの高校生が学ぶ経済学 原理から実践へ」を読めたことは良かったと思う。
資源は稀少である。時間も稀少である。なすべきことが山のようにあるのに、どれから取りかかればよいのかわからないことがある。いろいろな選択肢から、何かを選び出さなければならない。…ところで、どれを選択すべきなのだろうか。信じられないかもしれないが、経済学を学ぶとトレード・オフや意志決定に関する「思考法」が身につき、優れた意志決定を行う素地が育まれる。
第一章「経済学とは何か」目次 から
2010-01-10[n年前へ]
■「明治末期」に行ってみた。
「古写真」と同じ場所で写真を撮って「タイムトリップ」してみませんか?というわけで、とりあえず、「明治末期」に行ってきました。行った時代が明治末期なら、行った場所は、東海道三島宿近くの三島大社です。歌川広重(安藤広重)が東海道五十三次の浮世絵「三島」(右隣の画像)に描いた「三島大社前」です。
さて、下に張り付けた画像が明治末期の三島大社前です。三島大社の大鳥居前を走るのが東海道です。右の方の先には、お江戸日本橋があって、左の方へ歩いて行くと伊勢神宮や京都があります。この写真なら、同じ場所にタイムトリップしやすそう、というわけでこの場所へ行って写真を撮ってみることにしました。
同じ場所で撮影してきたのが下の写真です。少しづつ変わっていっただろうものもありますが、時代が明治末期から平成22年の今になっても、変わっていないものもあります。何だか、不思議な気分です。
時間旅行から帰ってきてから気づきましたが、あと、百メートルくらい場所を移動して逆向きにシャッターを押してみれば、よかったと思います。
そうすれば、広重が描いた東海道五十三次の「三島」と同じ場所へタイムトリップすることができたはずです。「ヒロシゲブルー」の世界へ入り込むことができたはず、と思うと少し残念な気がします。
歌川広重の作品は、ヨーロッパやアメリカでは、大胆な構図などとともに、青色、特に藍色の美しさで評価が高い。この鮮やかな青は藍(インディゴ)の色であり、欧米では「ジャパンブルー」、あるいはフェルメール・ブルー(ラピスラズリ)になぞらえて「ヒロシゲブルー」とも呼ばれる。
「歌川広重」
2011-01-10[n年前へ]
■「高く空へ駆け上がる人たち」と「地面に這いつくばる自分」
長野オリンピックの舞台、白馬の八方尾根の麓で、白馬ジャンプ台を眺めれば、ノーマルヒルでも十分すぎるほど高く、ラージヒルはさらにその上まで伸びています。古代の時代から、人はあまりに高い場所に行ってはイケナイと伝えられていたように思います。たとえば、それは空高く飛ぼうとしたイカロスや、上へ伸びすぎたバベルの塔のごとく、人は高すぎるところに登ってはいけない、と神さまが人にいつも語りかけていたような気がします。少なくとも、絵本の中の人間たちは、いつもそんな風に描かれていたように思います。
白馬ジャンプ台のコース上に立つと、あまりの高さに体が思うように動かなくなり、ただただ、雪面と一体化したいと願います。しかし、そんな中、コースに入った雪をかき・溝を奇麗に整えようとしている人がいます。そんな人に「スキーのジャンプをされたことはありますか?」と訊ねれば、空から下を眺めるような笑顔で、「私もノルディック複合の全日本代表でしたから」とその人は笑うのです。
こんなところから、空へ飛び出して行く人たちは、「限界に挑み続ける人」をまさに具現化する人たちに違いない、とジャンプ台の雪上で這いつくばりながら確信したのです。そして、空へ高く飛び、雪降る林の中を駆ける人たちには、どうやっても近づくことはできないに違いない、と悲しく感じると同時に、そういう人を眺めることができることを心から嬉しく感じたのです。
2012-01-10[n年前へ]
■「無意味な文章」の見分け方
TV・新聞・WEB…全媒体上の「聞く・読む必要が無いコメンテータ」を簡単に見分けようと思うなら、「抜本的な」「明確に」「適正化し」といった「判別キーワード」が含まれていたら、その言葉(を言った人)は右から左に聞き流ししたり・読まずに通り過ぎたり・あるいはゴミ箱に放れば良い、と思っています。
なぜかといえば、その数文字が持つ「無限の困難さ」を無視した上に構築されたものには、「何の意味も無い」と私は考えているからです。
そういった「抜本的な」「明確に」「適正化し」といった語句を使うことを躊躇しない「書き手・コメンテータ」は、たいがいの場合、論点先取の誤謬を犯しています。
つまり、整理してみれば、「○×を止めようとするならば、○×を止めれば良い」といった”堂々巡り”な内容になってしまっているのです。
ところで、この無意味な文章チェッカーのための重要キーワード「抜本的・明確化・適正化」をGoogleで検索してみると、すなわちググってみると、 go.jp とか (あるいは)各種地方自治体のサイトばかりがたくさん出てきます。その数なんと 28万2千 件です。これは、ある意味見事です。
本省の通知に書いてあることを、そのまま自治体の計画で書きますしね。と、教えて頂きました。
また、「できませんよね」と聞き返すと、「だから『~を図る、めざす』と書くんです」という返事がされたりします。それが「言葉遊び」をしているつもりではなく、「使い分けできてる」つもりだから怖い。
”本省通知を自治体計画にコピペする”…なるほど。そういう過程があれば、次々と関連サイトで(そのキーワードが)増殖していきそうですねぇ…。
そして、”できないことは、「~を図る、めざす」と書く”、そういう”使い分け”がされているとは実に奥が深い、いやむしろ根が深い、というべきでしょうか…。
2013-01-10[n年前へ]
■検索キーワード”MATLAB”の人気度で眺める「世界地図の推移」
昨日は、"hentai"(ヘンタイ)という検索語句の人気度世界図を眺めてみました。こうした検索人気度を眺めると、意外に興味深く感じることも多いものです。
たとえば、数値処理ソフトウェアのMATLABをGoogle Trendsで比較すると、「台湾・イラン・中国・大韓民国・インド・キューバ・パキスタン・エチオピア・チュニジア・アルジェリア…」というランキングになっています(2013 /01/10現在)。アジア・中東、何だか戦火を意識させられるような国々で、代表的な技術工学ソフトウェアであるMATLABが検索されているのです。
Google Trendsのリンク先では、2004年からの検索人気度世界図の変化を眺めることもできます。10年前は北米・欧州で検索数が多かったものが、次第に中東・アジアに集中してくる…というようすは、何だかとても興味深いものです。
2015-01-10[n年前へ]
■覚えておこう!?「世界各国・日本地域毎の”エスカレータの立ち位置・空け位置”」
覚えておこう!?「世界各国・日本地域毎の”エスカレータの立ち位置・空け位置”」を書きました。
世界各国を眺めてみると、エスカレータでは「片側に立ち・もう片側を空ける」マナーが浸透している国が多く、それどころか、今後こういったマナーを広めていこうとしている国の方が多いように思えます。 もっとも、エスカレーターで「どちらの側に立ち・どちらの側を空けるか」にはばらつきがあります。 たとえば、日本でも、 東京では左に立ち・右を空けることがマナーとされている一方、大坂では右に立ち・左を空けるのが一般的なことはよく知られています。…そこで、「世界各国・日本地域毎の”エスカレータの立ち位置・空け位置”」を調べてみたのが、次のリストです。
2019-01-10[n年前へ]
■「信長もビックリ!? 科学でツッコむ日本の歴史」の重版印刷現場は…まさかの…
昨年末に集英社から出版した「信長もビックリ!? 科学でツッコむ日本の歴史」が重版になりました。その印刷工程を眺めに、図書印刷 沼津工場に行ってみました。かつて、10年少しの間、昼も夜も暮らしていたあの辺りが懐かしくて、印刷工程を眺めに行ってみました。
特色使用・PP加工の色合わせ工程を眺めたり、インキ調肉(調合・調色)体験から各種後加工までの(紙ものづくり)工場全体に感動したり…とにもかくにも、沼津の図書印刷工場での各工程をとても新鮮に感じました。
こんな偶然が!」と驚いたことの「ひとつ」…それは「信長もビックリ!? 科学でツッコむ日本の歴史」の表紙色確認が終わり、小森UVオフセット枚葉機のカラー印刷工程を見学しに移動すると。そこには、まさかの(ちょうど一ヶ月くらい前にコードや解説を書いて、来週発売予定の)ソフトウエアデザインでのカラー頁が同日同時刻に印刷されていた…のでした。
この本を書くラスト、「まえがき」を書きながら思いだしたことは、こんなこと。中学生の頃、「歴史」授業は記憶科目と思ってた。けれど、高校の選択授業や大学キャンパスの授業の中、それは過去事象の記憶科目ではなくて、その因果関係や背景を調べる「現在進行形」の試みだと感じた、とか。