hirax.net::Keywords::「タイムマシン」のブログ



2010-01-09[n年前へ]

「古写真」と同じ場所で写真を撮って「タイムトリップ」してみませんか? 

 「保存版 古写真で見る街道と宿場町 」という本がある。江戸末期から明治・大正初期という時期に、東海道・中山道・甲州街道・日光街道・奥州街道の各宿場町や、街道沿いの景色や街道沿いから見える景色を撮影した写真を集めた大判の本だ。そして、同じような場所を描いた浮世絵などもたくさん収録されている。

 この本を読んでいると、江戸時代に東海道(やその他の街道を)を歩いているような気になってくる。写真の中の百年以上前の景色の中にある質素な宿、その前を歩く人、そんな景色の中に自分が溶け込んでいくような心地に襲われる。

 ふと、こんなことを考えた。これからは、この本をデジタル化してケータイの中にでも保存しておき、持って歩くことにしよう。そして、古写真と同じ場所で景色を撮影して昔と今を重ねてみたら、時の流れを目にすることができるだろう。100年の昔と、今この瞬間を重ね眺めてみることができるだろう。

 あるいは、記念写真のように、自分もその中に写って見ることにしよう。そうすれば、過去と現在が重なる写真の中で、まるで自分がタイムトリップでもしたような気持ちになれるに違いない。遥か昔のモノクロの古写真の中に、あるいは、東海道を描いた色鮮やかな浮世絵の中に、自分が入り込むような不思議な気持ちになるだろう。

 「幕末・明治期 日本古写真メタデータ・データベース」なんていういうものもある。たとえば、幕末の頃に撮影された「上野 不忍池の写真」を見て、今よりずっと華やかだったことに驚かされたりする、のも面白い。

2010-01-10[n年前へ]

「明治末期」に行ってみた。 

 「古写真」と同じ場所で写真を撮って「タイムトリップ」してみませんか?というわけで、とりあえず、「明治末期」に行ってきました。行った時代が明治末期なら、行った場所は、東海道三島宿近くの三島大社です。歌川広重(安藤広重)が東海道五十三次の浮世絵「三島」(右隣の画像)に描いた「三島大社前」です。

 さて、下に張り付けた画像が明治末期の三島大社前です。三島大社の大鳥居前を走るのが東海道です。右の方の先には、お江戸日本橋があって、左の方へ歩いて行くと伊勢神宮や京都があります。この写真なら、同じ場所にタイムトリップしやすそう、というわけでこの場所へ行って写真を撮ってみることにしました。

 同じ場所で撮影してきたのが下の写真です。少しづつ変わっていっただろうものもありますが、時代が明治末期から平成22年の今になっても、変わっていないものもあります。何だか、不思議な気分です。

 時間旅行から帰ってきてから気づきましたが、あと、百メートルくらい場所を移動して逆向きにシャッターを押してみれば、よかったと思います。
 そうすれば、広重が描いた東海道五十三次の「三島」と同じ場所へタイムトリップすることができたはずです。「ヒロシゲブルー」の世界へ入り込むことができたはず、と思うと少し残念な気がします。

 歌川広重の作品は、ヨーロッパやアメリカでは、大胆な構図などとともに、青色、特に藍色の美しさで評価が高い。この鮮やかな青は藍(インディゴ)の色であり、欧米では「ジャパンブルー」、あるいはフェルメール・ブルー(ラピスラズリ)になぞらえて「ヒロシゲブルー」とも呼ばれる。

歌川広重

「明治末期」に行ってみた。「明治末期」に行ってみた。「明治末期」に行ってみた。






2011-10-08[n年前へ]

日本にジャコビニ流星群が訪れる夜 

 今日(10月8日)の深夜、明日の早朝には、「ジャコビニ流星群」改め「10月りゅう座流星群」が夜空を飾る、と言われています。りゅう座は北の夜空に浮かんでいるので、今夜は北の空を駆け抜ける流星たちを探してみたくなります。

 ジャコビニ流星群は、10月8日から10月10日前後の、主として夕刻に見られる、突発的な流星群である。 国際天文学連合 (IAU) による公式名称は10月りゅう座流星群。母天体はジャコビニ・ツィナー彗星。

 …と、そんなことをつぶやくと、「ジャコビニ流星打法といえば宇野球一」という声が聞こえます。宇野球一(宇野球児)と言うと、伝説の地獄死闘野球漫画「アストロ球団」の主人公です。なぜ、「伝説の」と書くかと言えば、それはもちろん「単行本にして全20巻(連載期間5年間)という長丁場でありながら、その展開ゆえに試合描写が長く、作中では僅か3試合しか行われていない」という”キャプテン翼も足下にひれ伏す”ストーリー展開であるからです。

 様々な魔球や必殺技が乱れ飛び、スポーツ漫画でありながら試合の中でデスマッチを繰り広げ、死者や廃人が累出するなど、異様ともいえる展開であり…

 あなたは「ジャコビニ流星群」をご存じでしょうか?「ジャコビニ流星群(10月りゅう座流星群)」はおおよそ「十数年おき(13年おき)」にしか現れませんから、高校生以下の若い人であれば「そんな流星群なんて聞いたことがない」というはずです。また、20〜30代の方であっても知っている人はほとんどいないだろう、と思います。そんな「十数年に一度しか訪れないジャコビニ流星群」が、なぜアストロ球団という人気漫画に登場していたのでしょうか?

 それは、漫画が連載され始めた1972年の日本に、タイムマシンに乗って、戻ってみるとわかります。

 1972年に(ジャコビニ流星群による)大流星雨が予想された際は、日本でも大きなブームとなり、その予想が外れたことは新聞、テレビのニュースでも取り上げられた。これをモチーフとした曲として、松任谷由実の「ジャコビニ彗星の日」(1979年、アルバム「悲しいほどお天気 」に収録)がある。また、1972年から1976年にかけて連載された少年漫画「アストロ球団」では、「ジャコビニ流星打法」という必殺技が登場する。
 1972年、山本リンダが「どうにもとまらない〜」と歌い、青い三角定規が「太陽がくれた季節」を歌った頃に、日本ではジャコビニ流星群を人々は心待ちにし、しかし、流星はほとんど見られず、アストロ球団宇野球一(宇野球児)のジャコビニ流星打法は「空振り」に終わったのです。

 …ところで、流星が夜空に線を描いたとしても、離れた場所にいる人は、なかなか同じ”流れ星”を見るということはできません 。同じ流れ星を見ることができるのは、とても近くにいる人たちだけなのです。 …そんなことを思う時、「同じものを見るという「奇跡」と「幻」ということについて、私はいつも考え込んでしまいます。

 仮に、同じ流星を遠く離れた恋人同士が見ることができたとしても、悲しいことに、たいていは違うところを見ているのである。
 それは、同じ場所で同じ映画を見ても、必ず違う部分を見ているのと似ている。われわれは他人とまったく同じものを見ることができない。残念だが。

 今年、2011年10月8日から9日の夜、日本にジャコビニ流星群は訪れるのでしょうか。私たちの真上には、たくさんの流れ星が降り注ぐのでしょうか。今年、私たちはたくさんの流星を・同じ流れ星を共(とも)に眺めることができるのでしょうか。

'72年10月9日、
あなたの電話が少ないことに慣れていく。
わたしは一人待った。
遠く横切る流星群。
寂しくなればまたくるかしら、光る尾を引く流星群。

「ジャコビニ彗星の日-The Story of Giacobini's Comet-」

日本にジャコビニ流星群が訪れる夜








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