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2009-03-01[n年前へ]

記事URLを「わける」ことについて 

 何度か書いているように、hirax.netのコンテンツ( できるかな?/inside out/Tech-logs/Logos)はすべてRuby on Rails上では一つのクラスの継承クラスになっています。何度か書いている、ということは、そうした各継承クラス、特に(inside out/Tech-logs/Logos)のトップ表示URLを分けるべきか否か、について何度も改装しようか・あるいはしないでおこうか…と、迷っています。

 記事内容/書き方が異なるとはいえ、やはりその時々に同一の人間が書いているわけで、関係ある話題を一見独立の場所に書いていたりします。けれど、その根っこは本来一つなのですから、複数(のURL)に分けるのは何だか少しわかりにくいようにも思います。

 そうした上手くないシステムにしている理由は、従来使っていたパーマリンクURLとの互換性や従来表示との互換性を保ちたいとか、そんな実装上の理由が一番大きな理由です。だから、互換性を気にしていない時系列表示や、RSSや、ケータイ用ページでは、各継承クラスすべてを分けずに表示しています。




 とはいえ、技術上の問題は技術で解決すれば良いだけの話です。Ruby on Railsで少しコードを書けば良いだけの話のはず、です。

 だから、そうした技術上の課題をわざわざ解決する気にならない別の理由、つまり、もしかしたら関係ある話題を、ひとつにまとめたりしたくない、そんな気持ちがあったりするのかもしれません。

 どうしたものかと思い、何度も迷いながら、今は「わかりにくい」方を選んでいます。

Timeline






2009-03-02[n年前へ]

入門マクロ経済学の経済循環のベースモデルをSimulinkで作る 

 再び、中谷巌 「入門マクロ経済学」を読みながら、その中にある経済循環の図をなぞりながら、Simulinkで経済循環モデルを作ってみました。作ったSimulinkのmdlファイルは、ここ(macromodel_basic.mdl 49kB)に置いておきます。あくまで、単純なラフスケッチ・叩き台用のモデルです。

 下の図が、そのモデルになります。各サブシステムの中身も、一応「それなり」の配線になっていますので、シミュレーションして動かすこともできます。とはいえ、やはり、教科書に書いてあることも、実際に自分で作って動かして、そして納得・実感してみようと思うと、これがなかなかできません。「シミュレーションで学ぶ経済学」なんていう教科書がどこかに転がっていないものでしょうか…。



経済循環モデル






2009-03-03[n年前へ]

「バブルは繰り返す」と「学者の態度」 

 バブル崩壊以降の株価最安値更新だそうです。けれど、それは、なぜかずっと前からから見えていた確実に来る「未来」だったようにも思えます。

 少し前、とても曖昧な質問を経済学者の方々に投げかけたことがあります。(「理系サラリーマン 専門家11人に「経済学」を聞く! 」)

「分数もできない大学生」のような"みんな"が行う判断は正しいと思いますか?
 ここで、大事なのは、”みんな”には私も入っていれば、あなたも入っている。つまり、すべての人が入っているということです。そして、「コモン」といった言葉が踊る文章を見るたびに、少し不思議に浮かびあがる疑問を、上手く言葉にできないままに投げかけてしまった質問です。

 その後、思い返した時には、

 「合理的で明晰な経済人ではないだろう現実の人たち、そんな"分数もできない大学生"のような"みんな"が日日選択を繰り返すことで動いていく社会、そんなみんなが動かす社会が決める需要・供給・価格といったものの調整は、本当にみんなが幸せ・満足するものなのでしょうか?」
くらいには、限定した質問に変えておけば良かったかもしれない、とも思いましたが、とにかく最初は曖昧な質問を投げかけてしまったのです。

 その結果、前述の実に曖昧で不完全な質問に対して投げ返された言葉を読むことになりました。これが、不思議なことに、とても「納得感」がありました。

 たとえば、ある先生のこんな答、

 「すべてを疑ってかかるのが学者の思考方法ですが、最初から間違っていると思っているわけでもありません。あんまり最初から決めつけるということそのものをしないので。この質問には答えられません」
 あるいは、他のある先生のこういった言葉、
 「分数ができても、みんなが正しい判断をするとは言えない。金融工学がいかに進もうと、バブルは繰り返す」
という言葉、どの答も真摯かつ正確な答えに感じられたのです。たとえば、上の答えからは、真摯に「向き合う態度」が見えてきますし、下の言葉からは、今日、今現在の世界がそのまま映し出されているようにも思えます。

 他にも、「理系サラリーマン 専門家11人に「経済学」を聞く! 」を本にする段階で投げたこの質問(設問)の他回答から、いくつも感じたことがあります。それはまた、いつか、言葉にしてみたいと思います。

2009-03-04[n年前へ]

夜の灯台で繋がる日本列島の姿 

 優れた雑誌を20挙げてください、と言われた時、Graphication は必ずその20誌の中に入る。しかも、無料で送付してくれることも考えてみれば、実にありがたい雑誌である。Graphicationの最新号 2009 No.161 のテーマは、「連」、つまり連なる、ということである。下に引用した文章は、その最新号の冒頭に書かれた言葉である。紹介サイトに書かれている文と比べてみれば、さらに、この号を作らんとした熱意・作っていた際の気持ちが透けて見えてくる。

 人々が分断され、競争に駆り立てられ、揚句の果てにゴミのように切り捨てられる。そんな社会を誰が望んだであろうか。こんな国の施策を助長した経済学者の一人が懺悔の書を書いた。遅すぎる気もするが、いま求められているのは人と人のつながりであり、共に生きるための知恵だろう。

 同じGraphicationの号の中の話だが、日本中の「灯台」の写真とその解説の記事がある。海際にそそり立つ、日本各地の灯台の景色がとてもきれいだ。そこには、こんな文章がある。

  灯台は日没で点灯し、夜明けと同時に消灯する。日本列島の夜の地図を頭に浮かべてみてほしい。日本で最も日没が速い最東端の納沙布岬灯台(北海道)から転倒し、リレー式に最西端の与那国島の西埼灯(沖縄県)に光が灯る頃、日本列島の輪郭が光のリングで結ばれる。これは、140年変わっていないし、永遠に変わらぬ光景だろう。

山崎 猛
 この詩的な言葉を読んでいると、「繋がっていた双生児」をめぐる物語、灯台に引き寄せられていくものたちを扱った、野田秀樹(萩尾望都 原作)の「半神 」を思い出す。
 あらゆる海、あらゆる時間、あらゆる霧の中を押し分けて、剥き出しのまま届きぼくのなかに響く声、…引き剥がすことのできない声を発する装置。(灯台が発する声である)「霧笛」だ。
 萩尾望都・野田秀樹の戯曲「半神」には、「霧笛」のある一部分が引用されていて、交錯するこのふたつのテクストは、まるで「霧笛」のなかの灯台とそれに相対する怪物の声のように、それぞれぼくの霧の中で深い孤独のうちに呼応しあっている。
 「半神」は孤独、決定的なひとつの不在を生きること、について描き、「霧笛」はその孤独な他者へ呼びかける声の乗り越えられなさを描いていると言っていいかもしれない。ともかくどちらも、深い愛についての話だ。

2009-03-05[n年前へ]

60×8×4.4mmのUSBカメラフラットモジュール 

 共立エレショップの広告を読んでいると、ボードサイズが60×8×4.4mmのUSBカメラフラットモジュール/WR-UC32(w)という、カラーCMOS VGA2万画素の「超小型USBフラットカメラモジュール」 が3360円で販売されている。以前から展示会で展示されていたが、普通の電子ショップで販売されるようになったらしい。

 手持ちのThinkpad X61tはカメラを内蔵していない。けれど、このカメラの大きさならば無理なく取り付けることも簡単にできそうだ。だから、この超小型USBカメラ用に小さなハウジングを作り、ノートPCに取り付ける改造工作をしてみたくなる。そして、そんなカメラを使ったギミックをたくさん作ってみたくなる。「手作りUSB機器―USB‐IOで作る電子ルーレットからWebカメラまで 」ではないが、手作りでありつつもそれほど古くない技術を使った電子工作というのは、実に楽しいものである。



超小型USBフラットカメラ






2009-03-06[n年前へ]

「半神」のDVD 

 ふと、夢の遊眠社の「半神」が映像化されたものが手にはいるだろうかと探してみると、「劇団夢の遊眠社 COLLECTOR' S BOX [DVD] 」というものが発売されていた。

 以前、VHSビデオテープで発売されていた「小指の思い出」「野獣降臨(のけものきたりて)」「半神」「贋作・桜の森の満開の下」「ゼンダ城の虜-苔むす僕らが嬰児の夜-」「ひとつあってもいい。Making of HANSHIN」「もうひとつあってもいい? 」といった夢の遊眠社の舞台やそのメイキングビデオが入っている。私はこのビデオ版を持っているのだが、このVHSビデオの方は、図書館の視聴覚コーナーなどにも置いてあることも多いかもしれない。

 「半神」は、かつて心臓を含む体のほとんどを共有していた双生児の分離手術、端的に言えば、双生児がヒトと神に分かれていく話だ。原作は萩尾望都の「半神 」だが、野田秀樹はそれにブラッドベリ・萩尾望都の「霧笛」(「ウは宇宙船のウ 」に収録)などの話を混ぜていくことで、さらに奥深い一種の創世記になっている。

シュラ:それはあたしの妹のマリアなの。
シュラ:いつも、あたしの横に坐っていたの。
先生:仲が良かったんだね。
シュラ:ううん、あたし達、くっついていたの。
先生:くっついていた?
シュラ:うん。
先生:そんな、話誰も信じないよ。
シュラ:誰もが、そう言うの。切り離されてからは。

野田秀樹 「半神

 今ではもうどなたが書いたのだか残念なことにわからなくなってしまったのだが、「半神」「霧笛」という2つの物語に対して、「半神は孤独、決定的なひとつの不在を生きること、について描き、霧笛はその孤独な他者へ呼びかける声の乗り越えられなさを描いていると言っていいかもしれない。ともかくどちらも、深い愛についての話だ」と書いていた。言われてみると、本当にその通りだと思う。

孤独は、ヒトになる子にあげよう。
代わりに、おまえには音をつくってあげよう。

野田秀樹 「半神
 この世の誰もきいたことのない音、この海原ごしに呼びかけて船に警告してやる声が要る。その声をつくってやろう。
 これまでにあったどんな時間、どんな霧にも似合った声をつくってやろう。たとえば夜ふけてある、きみのそばのからっぽのベッド、訪うて人の誰もいない家、また葉のちってしまった晩秋の木々に似合った……そんな声をつくってやろう。
 泣きながら南方へ去る鳥の声、11月の風や……さみしい浜辺によする波に似た音、そんな音をつくってやろう。
それはあまりにも孤独な音なので、誰もそれをききもらすはずはなく、それを耳にしては誰もがひそかにしのび泣きをし、遠くの町できけばいっそう我家があたたかくなつかしく思われる……そんな音をつくってやろう。
 おれは我と我身を一つの音、一つの機械としてやろう。そうすれば、それを人は霧笛と呼び、それをきく人はみな永遠というものの悲しみと生きることのはかなさを知るだろう。

野田秀樹 「半神 」中の「霧笛」の一節

2009-03-07[n年前へ]

静的・動的/連続・離散化、経済循環モデルの実装は難しい… 

 まだまだ、中谷巌 「入門マクロ経済学」のページをめくりつつ、その中にあるマクロ経済循環の図をなぞりつつ、Simulinkモデルを作っています。作っているSimulinkのmdlファイルは、ここ(今日時点での最新版はmacromodel_basic_20090307.mdl)に逐次置いてます。

 ラフスケッチ的なモデルであったとしても、全体像を形作ろうとすると色々な勘違いや、まったく理解できていない点にたくさん気づかされます。「入門マクロ経済学」のイントロダクションに書かれている

 経済学の難しさは、細部についてかなりの理解に到達したとしても、全体像がつかめないと、なかなか論理の一貫した議論ができないという点にあります。
という言葉だけがイヤというほどよくわかるようになります。しかも、よほど素早く物事を納得することができる人でないと、「細部についてかなりの理解」すら難しいのです。なんだか、全体像がつかめないと、「細部」すらわかないのではないだろうか…と頭を抱えたくなくるくらい、全然わかりません。

 教科書のページをめくりながら、Simulkinkでモデル実装しようとすると、まず読んでいる頁に書かれている事項が「静的(静学的)」なのか「動的(動学的)」なのか、ということが今ひとつわかりません。どうも静的・動的の区別がつかないと、モデル実装のしようがありません。

 さらに、動的な場合、連続的なものなのか離散化されたものなのか、という点についてもよくわからず悩みます。さらに、離散化されたものの場合には、その時間ステップについて、異なる時間ステップのものが混在していないか、どう切り分けるか…といった点について悩むわけです。また、何かの値を使うとき、その値をどういった微分・積分の階層で整理・実装するかなども、悩むところです。

 何だか「機械・制御システム」を作る時に感じるだろう課題が、この経済循環モデル実装作業には、てんこ盛りに詰まっているように思います。入っていないのは浮動小数点から固定小数点や整数処理に変える際の精度保証・オーバーフロー対策の苦労くらいではないか、と思うくらいです。逆に言えば、その難しさが魅力的だということも言えるかもしれません。

 Simulinkで今日作ってみたSinmulinkモデルが、下図になります。各市場部分の内部は(mdlファイルを眺めればわかるように)比較的単純な分配サブシステムになっています。そして、オレンジ色で囲んだ部分を見るとわかるように、これは計算時間ステップがほぼ1週間(Time=0.25)という動的離散化モデルで実装されています。そして、「Time=0~11(単位は月)=1年間」の計算終了時に、その1年間の国民総生産(GNP)などが計算される、というイメージで作ってみました。




 前回作ったモデルとサブシステム配置はよく似ていますが、信号線を流れている値は一階層”微分”されたもの、が流れているという具合にした「つもり」です。あくまで、「つもり」なので、間違っているところも多々ありそうです。

 それにしても、本当に「一部を説明した文章・式」を納得することはできても、そういった一部が組み合わさった全体の実装は、とても難しいということをつづく感じさせられます。

 なぜか、以前書いた「長い文章を書くと言うこと」を思い出したのです。

 一言ふと漏らすコメントは非常に的確なものなのが普通です。だって、そのクローズアップされた狭い景色の中では特に「歪み」も「矛盾」もないのが普通ですから。だから、短い言葉・文章というのは、見事なまでに「その狭い世界」を写し取っているはずだと思います。
 ところが、もう少し広い世界を写し取ろうとすると、もう少し長い文章を使って大きなものを書こうとすると、途端に色んな「食い違い」が見えてきます。

経済循環モデル経済循環モデル






2009-03-08[n年前へ]

ベンゼン環と6つの炭素 

 海沿いの防波堤に立つ赤い灯台をが見える公園で、戯曲「戯曲 半神 」を読み直した。この半神には色々なものが詰まっているけれど、その中で、大きなモチーフに使われているのことの一つがベンゼン環だ。ヒトを作り上げている主たる元素、炭素が6つが輪になり形作っているベンゼン環だ。

 その6つの炭素は、謎・欲望・誘惑・秘密・後悔、そして、優柔不断の先にある決断の結果の孤独だ。その6つの角を持つ世界で起きる物語、繋がっていた二人の双生児の分離手術を巡る物語は、魅入られてしまうと同時にとても哀しい。けれど、すべての答えを与えてくれるような、そんな気さえする奇跡の一編だと思う。

 どうしても、わり切らないではいられない話だと知ったとき、そう思ったとき、孤独が生まれた。

2009-03-09[n年前へ]

未だに登場しないタブレットMacが欲しい 

 もし「こんなモノ」が出荷されたら欲しいと思いつつも、残念なことに未だに登場しない製品の一つがタブレットMacintoshだ。Macintoshには(Ink機能として)手書き文字認識機能もデフォルト状態でインストールされているので、普通に(タブレット用のペン)を使ってさまざまな操作をすることもできるし、文章入力や書類作成などをすることもできる。もちろん、WEBブラウジングも自然な感覚でできる。色んな作業を自然な操作感とともに行うことができる、はずである。

 その端的な例が、下の動画だ。手書きで絵を描いたり、Keynote資料を手書きで作成したり…と実にさまざまな作業をしている。こんな風に、TabletPCをMacintosh化して使っている人もいるようだが、現実には、そのようなMacintosh は出荷されていない。

 未だにタブレットMacintoshは登場していないのだが、「これは欲しい」というタグをつけるものがあるとしたら、その一つには、必ずタブレットMacintoshを入れる人も多い…とずっと思っている。そう「これは欲しい」と期待するのは、私だけだろうか。




2009-03-10[n年前へ]

日本IBM開発のMacbook 

 もしも、Appleが一般PC用Mac OSXを発売するとしたら、 中古のIBM ThinkPad X60 は結構良いMacbookになるかもしれない。もちろん、Appleが一般PC用Mac OSXを発売するというようなことは、「(可能性がほとんどない)もしも」なことである。中古のIBM ThinkPad X60は、今ならば5万円弱くらいで手に入る。小型B5サイズという小型軽量であると同時に、剛性あるキーボードと、トラックポイントを兼ね備えた、キーボードを酷使するモバイラー向きの良いマシンである。

 液晶画面は1024x768というXGAだが、Mac OSX のSpaces機能を使えば、少なくとも、モバイル・ライター/モバイルプログラマーなどにとっては、その狭さが苦になることは少ないと思う。指・腕を動かすことなく、OSを自由自在に操作することが

 かつて発売された日本限定モバイルMac、日本IBM藤沢事業所が開発・製造を担当したPowerBook 2400c、あるいはPowerBook Duoなどのファンであれば、こんな日本IBM開発のMacbookが欲しいと思う人も多いのではないだろうか。腕のポジションを動かすことなく、OSのGUI操作を自由自在にすることができるのである。

 だから、「もしも」Appleが一般PC用Mac OSXを発売するとしたら、の話をするならば、 中古のIBM ThinkPad X60 はコストパフォーマンス的に一番良い、Macbookになるはずである。





2009-03-11[n年前へ]

今週の週刊SPA!は、"MAKE"のようで面白い 

今週の週刊SPA!は、何でも自作派雑誌"Make "のようで面白い。この時勢に合わせて、「何でも自分で作って賢く節約してみよう」という特集が組まれているのだが、その「何でも自分で作って賢く節約してみよう」の部分が、「馬鹿馬鹿しくも、賢くも、何でも自分で作ってみよう」というテイストを醸し出しているのだ。つまり、ありとあらゆるものを自作してみる雑誌「Make 」なのである。

 結果として節約になろうが、あるいは、実際には買った方が(自分の労力を換算に入れなくとも)安くなろうが、自作ということ・工夫するということは楽しい。とても楽しくエキサイティングであると同時に、とても地道な長時間の作業を必要ともする。その二つのことを兼ね備える「自作」の雰囲気を感じることができる今週の週刊SPA!は、何でも自作派雑誌"Make "のようで面白い。

2009-03-12[n年前へ]

新幹線のアクティブ制御の設計解析手法 

 以前「鉄道車両の設計と制御におけるシミュレーション技術」という川崎重工の技術紹介を聞いたことがある。これが、実に様々な点で面白かった。

 新幹線の振動/揺れが気になることが多かったので、たとえばこういった記事をはじめとして、新幹線の振動抑制制御について、とても気になっていた。特に血液中の鉄分が多い方、いいかえれば、鉄っちゃん(鉄道おたく)ではないと思うのだが、新幹線の制御をどのような考え方で、どのようなやり方で設計/開発を行っているのか に興味があった。

 新幹線の振動抑制に関しては、

  1. 台車の左右加速度を計測する
  2. 加速度をフーリエ変換しパワースペクトル密度にする
  3. 人間の振動に対する各周波数に対する感度をかけ、さらに積分することで「乗り心地」指数(レベル)を算出する
ということだった。(講演を聞きながらメモした内容を信じるなら)「乗り心地」評価値はISOで決まっているらしい。下に描いたらくがきが、そのフローの概略をメモしてみたものになる。

 ちなみに、このような「乗り心地」評価値を用いながら、客車を支える空気バネの電磁弁を開閉することでセミアクティブ制御したり、客車下中央に位置する動揺防止制御用アクチュエータでアクティブ制御を行っている、という。

 ちなみに、加速度センサからのFB制御だけでなく、ATCの地点情報を用いてFF制御を行っている、というあたりも面白い。…鉄道もなかなか面白い。鉄っちゃんの気持ちが、少しわかるような気がしてきた。



 この講演の面白さ/興味深さは「(シミュレーション)ソフトウェア開発/管理における課題」「異種技術分野のソルバ/ツール連携」に関する現状の問題を、講演者が整理した上で、聴衆になげかけた部分にもあった。実に勉強になった。

新幹線の乗り心地評価






2009-03-13[n年前へ]

Keynoteで手書き風プレゼン 

プレゼンテーションソフトウェアのApple Keynote (iWork '09) は、とても奇麗なプレゼンスライドを作成することができて、それを非常に華麗に見せることができる。実に便利なソフトである。

しかし、もっと気楽に落書きのようにプレゼン資料を作り、さらには、そのまま力が抜けたプレゼンをしたくなることもある、かもしれない。しかし、そんな時、keynoteは非常に不便なソフトに変身する。手書きで書こうとすると、マウスやタブレットでせっせとベジェ曲線を描かなければならなくなってしまう。トレイサー・デザイナーでもなければ、ベジェ曲線を気楽に・自由自在に描くことはできないだろう。

しょうがないから、そんな時は他ソフトウェアでイラストや文字を描き、作ったパーツを最後にKeynoteに貼付けることになる。たとえば、下の画像のKeynoteスライドのように、である。

Keynoteで、気楽・手軽に手書き風プレゼン資料を作るには、一体どのようにすれば良いのだろうか。…やはり、Keynoteではそんなキタナイ資料を作ってはいけないのだろうか。





keynote






2009-03-14[n年前へ]

"inside out"トップページの仕様を変えました 

 『記事URLを「わける」ことについて』では、(inside out/Tech-logs/Logos)のトップ表示URLを分けるか・分けないか、についての悩みを書きました。

 もしかしたら関係ある話題を、ひとつにまとめたりしたくない、そんな気持ちがあったりするのかもしれません。

 どうしたものかと思い、何度も迷いながら、今は「わかりにくい」方を選んでいます。

 ある自分なりの程度の内容を含むものか、それともコメント・メモ程度のものか、あるいは、引用かといった「内容/書き方」が異なっているとはしても、やはり同一の時に、同一の人間が書いているわけで、その根っこは本来一つなのだろうと思います。ですから、複数(のURL)に分けておくのも何だか少しわかりにくいようにも思います。

 今日、ふと少しコードを変えました。inside outのトップページ(/diaryweb/)は、"inside out""Tech-logs""Logos"をすべて表示するようにしました。どちらの方が良さそうか、少しようすを見てみようと思います。

2009-03-15[n年前へ]

「論理的にプレゼンする技術」 

 「論理的にプレゼンする技術 」という本を書きました。(下に張り付けた動画のように)全ページカラーで、マンガによる解説、画面操作を説明したイラスト・PC画面を豊富に使い、「説明する」ということをかりやすく「説明しよう」と最大限の努力をした新書になります。今週には、本屋の店頭に並んでいると思います。本屋さんの棚の中で見かけたりしたなら、手にとって眺めて頂ければ、とてもうれしく思います。

 本書は、これまでに書いたことがある内容を、(色々ご指摘頂いた)直すべき点を直し、また、プレゼンテーション資料を数多く眺める経験中で気付いたことを書きました。また、本当にマンガ・イラスト・図での、具体的な説明をとても多くしたのが大きな特徴だと思っています。

 「プレゼンテーション資料を数多く眺めた中で気付かされたこと」というのは、わかりにくい”プレゼン資料"のパターンというものがあって、とても多い人たちがそのパターンに陥ってしまう、ということでした。そんなパターンはいくつもあるのですが、その一つはたとえば…ということを書いてみたのが本書になります。





2009-03-16[n年前へ]

「ささやかだけれど、役に立つこと」 

 他の人たちが作ったプレゼンテーション資料を少なくとも1000ファイルくらい、眺め・読んで・そして、修正点を書き入れたりするとわかることがあります。不思議なくらい、「わかりやすい資料」「わかりにくい資料」の2つに分かれてしまうことに気付かされるのです。「わかりやすい資料」を作る人たち、「わかりにくい資料」を作る人たち、それは不思議なくらい明らかに見分けがついてしまうのです。

 「わかりやすい資料」はどれも同じような方法でわかりやすさが生み出されていて、「わかりにくい資料」はどれも同じパターンにより「わかりにくさ」が醸し出されている、のです。少し不思議に感じてしまうくらい、「わかりやすい資料を作る人」「わかりにくい資料を作る人」の間には大きな差があって、けれど、それは、「わかりやすさを作り出すパターン」「わかりにくさを醸し出すパターン」に沿っているか、そんなことを考えているか・実践しているか、だけの差なのです。

 「論理的にプレゼンする技術 」を書いた75%の理由は(残りの25%は、以前書いたように直すべき点を直したかったということです)、そんな風に体感・実感しメモした事柄を伝えておきたかった、というところにあります。一例だけ挙げれば、半分以上の人が、「行頭記号のある箇条書きをセンタリングする」のです。これは、とても「わかりにくさ」を作る原因のひとつです。けれど、実に90%近くの方々がそういった資料を(特に時間がないときに)作るのです。そういった資料のわかりにくさは、実際に眺めるか、本書を手にとってイラストで眺めてみれば、わかるだろうと思います。

 「ささやかだけれど、役に立つこと」を本書が提供できれば、何より幸いに思います。

2009-03-17[n年前へ]

夏目雅子と阿修羅像 

 とても綺麗な顔をしているこの人が、”怒”の表情を見せたなら、それは恐ろしいほどに”怒”を写実的に表現した顔をするのではないかと、夏目雅子の写真を見るたび思う。柔らかな笑顔を見せる夏目雅子の顔を見るたび、そんなことをを考える。

 よく見る夏目雅子の写真は奈良県・興福寺の阿修羅像の正面の顔とよく似ている。喜怒哀楽のどの表情とも言い難いような、けれど、澄んで美しい顔をしている。

 奈良 興福寺の阿修羅像が左右に見せている顔は、一体どんな顔をしているのだろうか。そして、その表情は、夏目雅子のそれと似ているのだろうか。・・・と、そんなことを考えてみても、夏目雅子の色々な表情を知っているわけでないから、ただ、そんな空想にふけってみるしかない。

 (向田邦子には)喜怒哀楽でいうと「怒」と「哀」はあると思う。しかし、本当の意味での「喜」と「楽」はなかった思います。

 和田勉が「向田邦子をめぐる17の物語 」中で語ったこと

 向田邦子という人についていろいろ書いてきて、いったい私はあの人のそんなに幾つもの顔を知っているのだろうかと、ふと考えてしまう。…多分、誰にも見せていた顔を、私も長い間ずっと見てきただけである。…そんなことから言えば、私などより特殊な人間関係、たとえばあの人に愛された人、憎みあった人、心配された人、可愛がられた人ーいくらもいるに違いない。あの人もそういう人の前では、激しく怒ったり、涙が出るくらい笑ったりしたはずである。

 久世光彦 「触れもせで―向田邦子との二十年
 ずっと昔、とても好きだった人がいるの。私、その人の前では、誰にも見せたことがない表情をしていたと思う。今、そんな顔をしてみようとしても、どうしてもできないの。だって、好きだったのだもの。

久世光彦  「私があなたに惚れたのは」中の向田邦子の言

 3月31日が待ち遠しくて、たまらない。上野、東京国立博物館で開かれる「国宝 阿修羅展」の阿修羅像、夏目雅子に似た正面の顔、そして、ふだん私たちには見ることができない左右の顔、それは一体どんな表情なのだろうか。それを見る人に、どんな感情を起こさせるのだろうか。

2009-03-18[n年前へ]

「エスボード」の車輪構成メカニズム 

 スケートボードの進化版「エスボード」 に乗ってみた。エスボードは前後に1輪づつ車輪がついただけのスケートボードである。前後が容易にねじれるようになっているので、前後それぞれ違う角度にひねることができるようになっている。




 実際に乗ってみると、安定して進んだり・あるいは曲がったりするために、体をどう動かしてよいかわからず、ほんの一瞬しか乗ることができなかった。エスボード(ジェイボード)をすいすい自由自在に操っているこどもたちもよく見かけるが、あれは、こどもだからできるワザで、大人には少し練習が必要なようだ。とはいえ、スノーボードなどに乗りなれている人なら、意外に自由自在に乗りこなすことができそうにも見える。

 (下の貼り付けた動画のように)エスボードをひっくり返してみると、前後に1輪づつ付いている車輪の取り付け方に興味を惹かれた。単なる台車なのだけれど、その取り付け台座が後ろ側に向かって傾いているのである。この傾きがエスボードの操作性を容易にかつ安定にするために、重要であるのだろう。

 そのエスボードの力学を計算してみるために、まずは、走るエスボードがどのように操作されているかを撮影してみた。それが、下の動画である。本来なら、自分自身で乗る感覚とともに計算をするのが良いのだろうが、残念ながらそういうわけにはいきそうにない。見ているだけなら、簡単に乗りこなせそうに見えるのだが・・・。





2009-03-19[n年前へ]

「本城直季」風ミニチュア写真作成ソフトのまとめページ 

 これは、「本城直季」風ミニチュア写真作成ソフトのことを、まとめた記事です。とりあえず、手っ取り早く使ってみたいのであれば、一番下のWEBアプリ版で試してみるのがよいかもしれません。


処理前写真処理後画像 「本城直季」風なミニチュア写真を作り出すソフトを作ってみました。つまり、こんな風に実際の写真を「まるでミニチュア模型風にする」処理をするソフトウェアです。
 とりあえず、Windows用の叩き台バージョンを ここに置いておきます。マウスで「(グレーの矩形で表示されている)ピントが合ってる領域」を決めるたびにレンダリングしますので、あまり大きい画像は使わない方が良いかと思います(800ピクセル x 600ピクセル くらいの画像であれば特に問題はないでしょう)。手直し版と使い方・遊び方の説明などは、近々ちゃんと書いてみます。
 Mac持ってる人の場合は、結構な割合で(こういう機能を手作業ですることができる)Photoshopなどを持っていそう…と考えると、Macintosh用は作っても意味なさそうですね…。


image  さて、「本城直季」風ミニチュア写真を作り出すソフト 叩き台バージョンを作ってみたわけです。こんな風に 実際の写真を「まるでミニチュア模型風にする」処理を行うソフトウェアです。このソフトウェアには大きな問題がありました。つまり、動作があまりに遅かったのです…。そこで、今回は気持ちよくサクサク動く高速動作版を作ってみました。動作環境は、(以前と同じく)Windows版ですが、Mac OSX版・Linux版などを順次公開していく予定です。今回作成したアプリケーションはToyImage2.20061126.lzh (2.4MB)に置いてありますので、ダウンロード・展開して使ってみて下さい。

 このソフトウェアの使い方は、下記のようになります。

  1. 画像ファイルをExeアイコンにドラッグ&ドロップする
  2. 画像中からマウス(クリック&マウス移動)でピントを合わせたい領域を選択する
  3. キーボードの"s"ボタンを押すと、結果画像が"○×の処理.00.jpg"というようなJpegファイルとして保存される
  4. ソフトウェアの終了はキーボードのESCを押す

 あなたの撮った写真を、色んなミニチュア写真にしてみると面白いかも知れません。そして、そんなミニチュアの景色をブログなどに張って、みんなに見せてみるのはいかがでしょうか。


 上で作成した高速動作版!「本城直季」風ミニチュア写真作成ソフト、今回は画質改良や機能追加をしてみました。さらに、Windows版だけでなく、Mac OSX (intel) 版も作ってみました(ただし、今回のバージョンでは画像ファイルの保存ができません)。ファイルは、Windows版が toyphoto.20061129.lzh (2.4MB) で、Mac OSX (intel) 版 が toyphoto.i.20061129.dmg (6.1MB)toyphoto.i.20061130.dmg(11MB) になります。画質改良については、処理速度を落とさない範囲で疑似輪郭が出にくいように(少しだけ)してみました。また、使われる方がコントラストや鮮やかさをスライダーで調整できるようにしておきましたので、画像を色々変える楽しみも追加されているかも…しれません。

 Mac OSX (intel) 版を使うには、ディスクイメージを展開して、アプリケーションフォルダに"toyphoto"フォルダをコピーし、インストールスクリプトを動かせば、(多分…)動くのではないか…と思います。動くのではないか…と思ってはいますが、テストをしていないので、もしかしたら動かないかもしれません。実際、Mac OSX (intel) 版については、冒頭に書いたように、今回のバージョンでは画像ファイルの保存ができません。なぜかというと、この記事を書きながらMac OS X で適当に動かしてみたところファイル保存ができなかった…(アプリが落ちてしまう)というわけです。そこで、とりあえず、「Command + Shift + 4 + Space 」で適当な範囲を(マウス/ポインタで)選び、画面キャプチャ・画像ファイル保存することで遊んで頂けたら…と思います。というわけで、今回はまるでMac OS X版に関しては体験版のようになってしまいましたが、少しでも楽しんで頂けたら幸いです。


 さてさて、今度はわざわざミニチュア写真を作るアプリケーションを使うのも面倒なので、WEBアプリケーション版 「本城直季」風ミニチュア写真作成ソフトも作りました。それが、たとえば下のようになります。


2009-03-20[n年前へ]

タブレットPCとデータ処理ソフトウェアの相性は最高だ 

 データを順々に処理していくような作業、そんな作業をデザイン(設計)したりする言語・開発環境は多いと思います。たとえば、LabVIEWやSimulink、あるいは、Yahoo! Pipes のようなものです。さまざまな機能を持ったパーツの入出力間を線で繋ぐことで、データを処理する過程を記述していくわけです。そんな設計作業は、「描く」という作業にかなり似ています。

 PCを使って「描く」ということを考えると、もちろん頭の中にはタブレットPCが浮かんでくるはずです。そこで、タブレットPC上でデータ処理・制御を行うためのソフトウェアSimulinkを使ってみたのが、下に張り付けた動画です。ちなみに、ここでは部品を2つだけ使って、PCのサウンド入力をオシロスコープのように表示するモジュールを作った(描いた)さまを撮影したものです。

 ペンの感度や較正をきちんとしてさえおけば、タブレットPCとデータ処理ソフトウェアの相性は最高です。まさに、お絵かき感覚で設計(デザイン)作業を行うことができるのです。SimulinkやLabVIEWあるいはYahoo! Pipesなどのユーザーの方は、一度タブレットPCを触ってみるのも良いのではないかと思います。




2009-03-21[n年前へ]

ノートPC用電子ペンを使ってみたい!? 

 「タブレットPCとデータ処理ソフトウェアの相性は最高」ですが、もちろん絵をかく作業との相性はさらに良いわけです。というわけで、以前、(Railsの腕試し用に)作った「ラクガキ→類似画像検索→画像合成」のWEBサービスをタブレットPCで操作してみたのが、下に張り付けた動画です。やはり、絵を描くようなイメージ的な作業には、マウスよりペン(タブレット)が似合うような気がします。

 そういえば、ノートPCに手軽に取り付けて使用する電子ペン(何と9980円の!)なんていうのもありました。

 ノートPCのディスプレイにUSB接続の専用受信機を取り付けると、専用ペンを使って液晶画面に書いた文字を認識し、ペンタブレットとして使用できる電子ペン。液晶ディスプレイは15.4型以下のサイズに対応する。専用ペンの解像度は600dpi。
 タブレットPCは敷居が高いと感じる人、あまりタブレットPCの必要は感じず、今すでにあるノートPCで十分という人たちも多いと思います。けれど、このノートPCに装着できる「電子ペン」くらいであれば、(何しろ9980円ですから)トライしてみるのも面白いかもしれません。




2009-03-22[n年前へ]

デジタルがアナログに追いつく日 

 こう言うと「冗談」だと思われることも多いのですが、私はコンピュータを扱うのが本当に苦手です。何か資料を作るときは、ハサミと糊でマニュアリー(手作業)でコピー・ペーストをしながら、仕上げることが多いくらいです。

 先日書いた「論理的にプレゼンする技術 」の特長はとてもイラストが使われていることです。そのイラスト・イメージは、駅中の喫茶店で、いつも持ち歩いている小さなホワイトボードに絵を描きながら「イメージ」を編集者に伝えました。「こういうことを伝えたい」という絵をホワイトボードに描き、そして、それをケータイで撮影して記録していくのです。

 そんな携帯用ホワイトボードに描いた、ラクガキの例が下の画像です(あるいは、さらにその下に小さく張り付けたような「まとめ」用イラスト例になります)。本書のページを本屋で手にとって、一枚一枚めくってみれば、こんな稚拙なラクガキを元に綺麗に・わかりやすく描き直されたイラストを、必ずどこかに見つけることができるはずです。

 ところで、手書きで「言いたいこと」を描くよりも、コンピュータを使って資料を作る方がずっと時間がかかるように思います。しかも、プレゼンテーション・ソフトウェアで図を作ったりした日には、「考えていること・言いたいこと」がメリハリがつかなくなり、わかりにくい資料になってしまうことが多いようにすら思うのです。不思議なような気もしますが、そう私は感じています。

 デジタルがアナログに追いつく日は、まだまだ来ないのではないでしょうか。それは、単に「私が追い付いていない」だけなのかもしれません。けれど、やはり、デジタルがアナログに追いつく日は、まだまだ来ないのではないか、と思うのです。

イラストイラストフローフロー






2009-03-23[n年前へ]

さまざまな「照らし方」に切り替えることができる「美術館の照明」 

 さまざまな「照らし方」に切り替えることができる、「美術館の照明」が欲しいと感じることがあります。光がまんべんなく当たった絵や彫刻を見たいと思うときもありますし、とても陰影の強くマチエールやダイナミックな彫刻の形がはっきりと浮かび上がって見えるような絵画や像を見たいと感じることもあるのです。

 また、穏やかな気分で見たいと思う時もあれば、作者の感情・勢いを感じてみたいと思う時もある。

 そして、部屋が朝日に照らされ始めたかのように見える照明の中で眺めたいと思うこともあるし、穏やかな夕日で赤く沈むような色調の色とともに絵画を眺めたい、と思ったりもすることもある。

 絵や彫刻を眺める人の視点(や身長)にあった、眺める人が何を見たいのかに応じた、時にはその時の気分に沿った、、さまざまな「照らし方」に切り替えることができる「美術館の照明」が欲しい。

2009-03-24[n年前へ]

「月は東に、日は西に」は満月に 

 「48分、月を待つ」で書いたように、満月の時は、地球を間に太陽と月は反対方向に位置している。そして、今日のような新月近くの時は、月は太陽と地球に挟まれた位置にいる。

 「満月の時は、地球を間に太陽と月は反対方向に位置している」ということは、地表から見て月と太陽が逆の方向にいる、ということになる。だから、与謝蕪村の

菜の花や
月は東に
日は西に

与謝蕪村
という言葉を聞けば、地球に、地表に、地面に伸びる菜の花の東にいるのは満月だ、ということがわかる。そして、菜の花を夕日が照らし、同じように月の表面を太陽は照らしているのである。

 私たちが生きる生活に文学は根付いている。それと同じように、科学も私たちが存在する世界を扱っている。それらは、決して異なる場所に分かれているものではないだろう。だからといって、もちろん、同じものでもないだろう、とも思う。

2009-03-25[n年前へ]

エクセルのワークシート・サイズを広げて欲しい!? 

表計算ソフトであるMicrosoft Office Excel を使わざるをえない状況になった時、ワークシートのサイズ上限が小さくて困ることがある。あるいは、めんどくささを感じることがある。次に示すように、最近のバージョンでは、サイズ上限が広げられてはいるものの、それでも少ないと感じてしまう。

  • バージョン2007: 65536行(縦)×16384列(横)
  • バージョン97,2000,2002,2003: 65536行(縦)×256列(横)
 たとえば、横(列)が256=8bit 符号無し整数で表わされていると、2次元画像をエクセルで扱おうとした時に困ることになる。なぜなら、多くの測定器は(デフォルト設定では)1024×768という大きさのデータを出力することが多いからだ。だから、以前のエクセル、バージョンで言うと97,2000,2002,2003までのエクセルでは、2次元データの扱いを簡単に行うことができなかった。もちろん、画像データをエクセルで扱うわけがない・・・という実に的確な正論もあるだろうが、理想と現実は違うのが世の中というものである。だから、65536行(縦)×256列(横)では、困る人たちもいたわけである。

 では、バージョン2007以降、つまり、1048576(修正前:65536)行(縦)×16384列(横)であれば良いか、というと時系列データを扱うには、データ数が1048576(修正前:65536)行個では全然足りないということが多いと思う。たとえば、1nsごとにデータを取得したデータがあったとしたならば、1048576(修正前:65536)行個のデータはたった1.048576秒(修正前:0.065秒)に過ぎないのである。

 データ解析をするときには、「数は力」である。「力」というと誤解を生むかもしれないが、データは多くの量を扱えば扱うほど、とても素直な性質を見せてくるのは、事実である。

 エクセルをメインで使う人が(まだまだ)とても多いこの世の中、エクセルのワークシート・サイズをもっともっと広げて欲しい、と思う。

 (Ver.2007 行数の修正を行いました)

2009-03-26[n年前へ]

説明(展示)パネルの表面光沢 

 「とても読みるづらい」と感じる説明(展示)パネルを見た。よく見かける展示パネルというものは、ザラザラした表面に説明記事や説明図が描かれている。しかし、その「とても読みづらい」と感じた説明(展示)パネルは、アルミフレームの中にA1サイズくらいの印刷された説明記事が入っており、その説明記事の覆うようにプラスチックシートがフレームに挟み込まれているものだった。

説明記事表面がプラスチックシートで覆われていて、しかも、部屋の照明が天井にいくつもあるために、説明記事を読もうとすると、照明がプラスチックシート状に写り込み(反射し)、とても図や文が読みにくいのである。

 照明の写りこみが眺めている人の目に入らないように、照明光の向きがきちんと考えられているように配置されている場合は別として、説明(展示)パネルの表面光沢は、粗くないととても読みにくくて困ることが多い。説明(展示)パネルの表面光沢は適度に粗い方が好ましい。もちろん、その結果として、白っぽく淡く見えるようにはなっていまうが、「とても読みにくい」と感じることはない。

 このようなことは、ポスターなどにも当てはまると思う。テカテカで綺麗だけれど、照明が写りこみ読みづらいポスター、色鮮やかではないけれど読みやすいポスターのどちらが良いだろう。やはり、説明(展示)パネルの表面光沢は粗い方が良いのではないだろうか。

写りこみ






2009-03-27[n年前へ]

哲学の道沿い疏水は北上している!? 

 京都市の街は北が高く、南は低い。だから、御所の東側・祇園の西側を南北に流れる鴨川は北から南へと流れている。京都に住んだことがある人、京都に行ったことがある人なら、常識のようにそんなことは知っていると思う。

 「哲学の道沿い疏水は北へと流れている」と祇園の白川沿いを歩きながら聞き、驚いた。6年間京都で過ごし、哲学の道を数え切れないほど通り、哲学の道沿い疎水の水面を何度も眺めているはずなのに、北へ水が流れている、と意識したことはなかったような気がする。

 琵琶湖から山科を通り京都へ流れる疏水の一部が、南にある南禅寺から哲学の道に沿って北へ北へと登っていく。もちろん、実際の水面は北へ北へと降りていく、けれど京都の街の高低感覚からすれば、「北へ北へと登っていく」と言いたくなる。

 哲学の道沿い疏水は、北へ北へと上り流れてる。哲学の道を歩くときには、ゆっくり水の流れを眺めてみたい、と思う。今の季節なら、水面に浮かぶ桜の花びらがゆっくりと流れ動いていくさまを眺めてみたい、と思う。

桜の花びら






2009-03-28[n年前へ]

「桜の花のスペクトル」と「祇園の時間間隔」 

 祇園の白川沿いで、祇園で生まれ育った人から、年々桜の花の色が白くなっている、と聞いた。桜の花の手入れを怠っているせいか、年々、花びらの色が白っぽくなってきている、という。

 その話を聞いたとき、桜の花びらは一体どんな吸収・反射スペクトルをしているのだろう、ということが気にかかった。そして、その吸収・反射スペクトルはどのように変わってきているというのだろうか、その原因はどこにあるのだろうか。あるいは、もしかしたら、桜の色は変わっていないけれども、桜の花を照らす陽や灯りのスペクトルが変わってきていたり、あるいは、眺める側の感覚が変わってきているのだろうか、などと、考えた。

 そんなことを考えながら、「祇園で初めてネオンライトが点いた建物」「提灯が灯りとして使われていた頃」の話を聞いているうちに、「昔は暖簾に火がついて燃えることが多かった」「だから、最近は、店が営業している時間にだけ暖簾をかけて、閉店とともに暖簾をしまうようになりましたけど」と言う。その、「最近は」という言葉に少し驚き、その「最近」は何十年ほどなのだろうか、と思った。

 「年々、花びらの色が白っぽくなってきている」という「年々」は一体どのくらいの時間感覚・間隔なのだろうか。

祇園白川の桜祇園白川の桜祇園白川の桜






2009-03-29[n年前へ]

「理想」を「誰でも簡単に実現できる」ようにしたい 

 「論理的にプレゼンする技術」は、これまでに書いたものとくらべて、

 「これが理想だ」という資料を、「コンピュータに慣れていない人」「パワーポイントしか使わない人」でも簡易に作れるようにする
ということを、これまでよりずっと強く意識して書き・描きました。逆にいえば、これまでに書いたものは、今振り返って考えてみると「コンピュータに慣れていない人」には、あまり優しくなかったように思います。

 しかし、たとえば、今回の本の挿入図はほぼすべてが「Windows VistaのLunaモードでの操作画面」になっています。つまり、コンピュータに慣れていない人が、本に掲載されている図の通りに辿れば(混乱せずに)やりたいことができるようにしようということで、Lunaモードで画面をキャプチャしまくりました。それは、つまり、コンピュータのデフォルト設定を変えたりはしない人、が読むさまを想像しながら作ったからです。

 また、たとえば「図を張りこんだグラフ・特殊効果グラフ」なども、すべて「PowerPointだけで」作る手順を書いてみました。「使えるものはすべて使おう」という理想ではなく、「Windows上でMicrosoft Office(だけ)を主に使う人・場合が多い」という現実の中で、いかに「理想に近いものを(しかも簡易に)作るか」ということを考え、そういった手順書(図)を作りました。

 いろいろな「わからないこと」「わかりにくいこと」をわかろうとする毎日の中で、「わかりやすい」とはどういうことかと、いつも考えています。わかりやすい説明・プレゼンという「理想」を「誰でも簡単に実現できる」手伝いをしたい、とよく思います。本書が、そんな手伝いができたら、ほんの少しでも役に立てたら、何よりも幸いです。

図張り込みグラフ図張り込みグラフ






2009-03-30[n年前へ]

心地良い「快速列車シート」と心地良くない「直角シート」 

 学生時代に京都へ行ったとき、阪急電車やJRの快速電車の座り心地の良さに驚いた覚えがある。それまでの生活の中で「直角向かい合わせのボックスシート」ではなく、背もたれが前後方向に動くことで「座席の向きを自由に変えることができるシート」を見て驚いたように思う。

 「直角向かい合わせのボックスシート」では、膝が目の前の人とぶつかってしまい窮屈な思いをしたりする。あるいは、ワイワイガヤガヤしたいグループ旅行と、一人でぼうっとしていたい人が一緒になってしまったりして、心地良いとは決して言えないような気がする。けれど、快速電車なのに「座席の向きを自由に変えることができるシート」は(ほんの少し自由度が上がるだけなのに)ずいぶんと心地良かったように思う。

 久しぶりに、京都で阪急の快速電車に乗った。今度は、これまでの便利さはそのままに3列シートになっていた。一体、この「ゆとり」設計はどこから生まれてくるのだろうか。人の多さ・少なさだろうか。それとも、それ以外の何かだろうか。

2009-03-31[n年前へ]

上賀茂の山中で一人暮らす 

 京都の街中から近い上賀茂の山の中に、レンガで作られた中くらいの建物と、小さな木造の建屋があった。今、それらの建物が以前と同じようにあるとも思えないが、少なくとも以前はあった。近くには、第二次大戦後の砲台跡が残っていて、何だかずっと昔から何の変化もないような場所だった。

 そこは、街並みからそれほど離れていないけれど、ちゃんとした道もなくなっていて、人が足を踏み入れるような場所ではなかったけれど、学生時代、実験をするために、よくその場所へ行った。急な藪道を、恐る恐る何度も上り下りした。不思議なことに、その場所は集中して思索にふけることができた、ような気がする。

 そんな辺鄙な場所にある木造の家だけれど、これまでに何人もの人たちがその建物に住んでいたことがあると聞いた。元京大総長の尾池和夫も、その建物に数年の間、住んでいたと聞いた。水は雨水だけがたよりで、電気だけはある、そんな生活をしていた人たちの話を聞いて、とても驚いた。

 あんな場所で一人暮らしていたら、ずいぶんと色々なことを考えそうな気もする。そして、何だか仙人のように悟りを開くことができそうにも思えてしまう。それくらい、上賀茂の山中で一人暮らしていた人たちの話を聞いて、とても感嘆してしまった。


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上賀茂の山中で