2001-01-17[n年前へ]
■主婦の生活
お笑いパソコン日誌で「主婦の生活」がSite of the Dayになっていた。このサイトは前に「毛髪力のガウスの法則」の下調べをした時に読んでいた。その時、最初は下の文書を読んで笑って、そして他のコンテンツ、阪神大震災の記事を読んだ。この人の文章はとても良い感じだ。本当に良い感じだ。(リンク)(リンク)
■あしたのあたし
もう、10年位前のことだ。京都の近郊の町にある大学の学園祭で種ともこのコンサートを聴いていた。たぶん、「うれしいひとこと」の頃だったろう。そうだ、あれは確か京都学園大学で、アンコールではまだリリースされていない「笑顔で愛してる」を聞いたはずだ。
そのとき聞いたMCはこんな感じだった。
「数字がバラバラに書いてあって、その数字を順番になぞっていくと最後に絵ができるヤツってあるじゃない?」「バラバラだったりしても、途中で間違っているように思えたりしても、色々と続けていたら最後に何か浮かび上がってきたりしたら、それで良いじゃないのかな?って時々思ったりするの。」
■阪神大震災の二年前
私が大学院を出る少し前に、私のいた研究室は「地殻変動国際シンポジウム (CRCM'93)」というものを主催していた。京都国際会議場はもう押さえられていたので、神戸国際会議場で開いた。神戸近くには断層もたくさんあるので、見学ツアーなども企画していた。そのCRCMの開催期間の1993/12/6/〜11は神戸に泊まっていた。その神戸を中心として阪神大震災が起きたのは、その二年後だ。
私のいた研究室は地震学の研究室ではなく、「地震予知の実現性」に関してはかなり懐疑的な立場をとっていた。しかし、予算申請書などには予算を得るために「地震予知」を大きく謳うわけだ。もちろん、私もそんな科研費の申請書を書いた覚えがある。つまり、私も「地震予知」のために予算をもらっていたわけなんだよなぁ。
2003-01-17[n年前へ]
■月は東に日は西に
重厚で、それでいて色鮮やかな夕焼けが終わろうとする西の空。そして、東のひっそりとした青灰色の空からは白くて微かに黄色い月が出てきた。東の空と西の空、静と動、全く逆だ。なかなか、ゆったりとした時間と景色。
■あゝ人生に涙あり
「テキスト王」と「お笑いパソコン日誌」の「コラム、エッセイ系のサイト、ニュースサイト」を読んで思った。
もし「コラム、エッセイ系のサイト」を作っているような人が「ニュースサイト」を作ったとしても、いつの間にか自分の語りをたくさん入れ始めるのに違いないのである。いきなり、自分の思い出なんかを語り始めてしまうに違いないのである。そしたら、それはきっと時事のトピックス・ニュースに関連する「コラム、エッセイ」にやっぱりなってしまうに違いない、と思うのである。ニュースより、自分の語りの方が多いサイトになってしまうに違いないのである。自分の思い入れをとくとくと語ってしまう(えてしてそれが面白かったり)に違いないのだ。
そしてまた、読む人の多い少ないに関係なく、コラム、エッセイ系のサイトを書く人は現れ続けるに違いない、と思う。もちろん、少しの期間しか書かない人もいるだろうし、もう少し長い期間書き続ける人もいるだろうけれど、新しく書き始める人はやはりたくさんいると思うのである。そして、書くのを止めれば消えてしまうだけのことなのである。芸能人と同じなのである。
芸能レポーターがなかなか消えないからって、芸能人になりたい人が芸能レポーターになりたいと思うわけがないだろう。もし、芸能人になりたい人が芸能レポーターになってしまったとしたら、そんな芸能レポーターのレポートはきっとヘンな感じがするに違いない。というわけで、こんな時は水戸黄門の主題歌「あゝ人生に涙あり」を思い出すのだった。
人生楽ありゃ苦もあるさ
くじけりゃ誰かが先に行く
あとからきたのに追い越され
泣くのがいやならさあ歩け
■D端子-RGBコンバータ
Logitechの「D端子-RGBコンバータ」BS/110度CSデジタルハイビジョンチューナーやD-VHSデッキから出力されるハイビジョン画像や、プログレッシブ対応のDVDプレーヤーや家庭用ゲーム機から出力されるプログレッシブ画像をPC用ディスプレイに繋ぐ。とっても便利そうなのでメモ。
2005-01-17[n年前へ]
■「パンドラの鐘」
高架鉄道も地下鉄もできて(その地下鉄で事故があったなんていうニュースもテレビではやっていますが…)、バンコクはずいぶん快適な街になってきていますが、それでもまだほのかに戦後の銀座という空気がありますね、確かに仰るとおりに。
積み残しの仕事に追われ、自由時間は半日だけでしたが、バンコクの秋葉原「パンティーププラザ」を駆け足で眺めてきました。かつての海賊ソフトバザールの片鱗もなく、ハード主体に変わっていました。ビル奥手の明るくも華やかでもないブースの中で、ブラウン管の駆動回路を修理している子供を見ながら、何だか感慨深い思いに浸ってしまいました。
ホテルの近くは塾がたくさんある一角で、(高校生向けの)応用物理専門塾?とか、基礎物理専門の塾?とか、驚くばかりのいろいろな専門塾がありました。そこには、チェラロンコン辺りを狙ってるだろう上流家庭の子供が通ってきていました。その塾の窓には"Unlimited Opportunity"なんていう風に書いてありました。ずいぶんと"Limited"な"Unlimited"なんだろうな、と少し考えたりもしました。「無限の未来・可能性」への扉、この塾への扉はずいぶんと限られているんでしょうか?
私は"Limited"というものがキライです。確かに、世界は限られているけれど、それを受け入れていかなければならないことも確かだけれど、それでも「身の丈にあった」なんていう言葉はキライです。たくさんの「できること」があるのに、不自由な世界がもっと他にはあるのに、贅沢なばかりに色々なことができるのに、それを勝手に狭めたりするのはあまり好きではありません。
というわけで、公演パンフレット中では「身の丈」「根性」「信じる」なんていう言葉で解説されていた野田秀樹の「パンドラの鐘」、そんな「パンドラの鐘」が、今日の頭の中でガランゴロンと打ち鳴らされています。
賭けをしましょう。
あなたの服に触れず、その乳房に触れた日のように。
いつか未来が、この鐘に触れずに、あなたの魂に
触れることができるかどうか。
滅びる前の日に、古代の心が、
ふわふわと立ち上る煙のように、
いつか遠い日に向けて、届いていくのか。
あなたは、古代の心は、どちらに賭けます?
俺は、届くに賭けますよ。
■Laugh and grow fat.
WEB日記は「ちょっと書いて、書き換えて、さらに書き換えて」いくことが多いものだと思っていので、何度も「書いたり消したり」しながら、自分が良いとその日に考えているものを残していこうと思っている(かも)。「こちらの方が良い」と思い、(前に書いた)イマイチな文章を削除することもしばしばあるし、「自分が良いと思う言葉」を書き足すことも数え切れないほどある。さすがに、何日も遡って直すことはないけれど、そういう推敲を人に見えるところでしているのがWEB日記の特徴だと思う。逆に、そうしなければ多くの場合長くは続かないのではないか、とも思っている。あまり、気負っていては続かないのかも、なんていう風に思うこともある。また、もし続いたものであれば、それを止めたりするのは何だかとてももったいない、というようにも思う。
ところで、今日は ある言葉を見て考え込みつつも、ふと笑ってしまった。
「WEB日記の言葉削除依頼」というエントリーが。なんとなく気になったので、どんな言葉が削除依頼を受けたのだろう?とリンク先に行ってみたら・・・・削除依頼を受けてたのは僕の文章でした_|‾|○何だか、これはとても真剣な話で、笑っちゃいけないのかもしれないけれど…、上の一行を読んだ瞬間、崩れ倒れる人 _|‾|○ を見た瞬間にはなんだかちょっとだけ笑ってしまったのだった。
2006-01-17[n年前へ]
■「小さな小さな賞状」@裾野
昨日、一枚の賞状が手渡された。100円ショップで売っていそうな、とても小さな賞状だった。それがあまりに小さかったから、何だかとても楽しくなった。これまでもらったどんな大きな賞状より、とても嬉しくなった。こんな小さな、オモチャみたいな賞状に「○×株式会社 人事本部長○×△」なんて判子が押してあるなんて、結構面白くて楽しくなるじゃない? 小さな私の掌に隠れそうなくらいの、こんな小さな賞状を作るなんて…、まだ大企業病にかかってない可能性もあるのかも、ね。
■ヒューザー小嶋社長の教典は梶原一騎の「巨人の星」
小嶋進 ヒューザー社長がテレビで「ぶッ倒れるにしても、前に倒れる覚悟です!」と言うシーンをテレビで放映していた。あぁ、梶原一騎は偉大なんだな、とつくづく思う。梶原一騎の世界にはまっている人がここにもいるんだな、と思う。
「ぶッ倒れるにしても、前に倒れる覚悟です!」という言葉は、「…死ぬときは、たとえどぶの中でも、前のめりに死んでいたい」という「巨人の星」の中のセリフに違いない。「巨人の星」の中で星一徹が飛馬に言う。「坂本竜馬はこういった。いつ死ぬかわからないが、いつも目的のため、坂道を登っていく。死ぬときは。たとえどぶの中でも前のめりに死んでいきたい…と」「つまり、かぎりなき目的への前進だ!たとえ、どぶの中で死んでも、なお、前向きで死んでいたいっ。…それが男だ!」…そして、星飛馬が大リーグボール3号を投げて左腕を壊すとき、やはりこのセリフを言う。「おれの青春を支配したこの坂本竜馬のことばにかけて、後退しての死よりも、前進しての死を選んだのだ」 しかし、この「坂本竜馬はこういった」というこの言葉の出典は、梶原一騎の「巨人の星」以前には遡れなかったという(堀井憲一郎『「巨人の星」に必要なことはすべて人生から学んだ。あ。逆だ。』)。「汗血千里駒」にも「竜馬がゆく」にも、…坂本竜馬を描いたどの本でもこの言葉は載っていないという。
ということは、梶原一騎がこの言葉をどこから引用した(作った)かはさておき、ヒューザー小嶋社長にとっての、「ぶッ倒れるにしても、前に倒れる覚悟です!」の原典は梶原一騎が描いた「巨人の星」なのだろう。もしかしたら、本人は「坂本竜馬」に影響を受けたと思っているかもしれないが、それは実は梶原一騎が描く「巨人の星」の中の星親子が語る「坂本竜馬」なのである。「巨人の星」の中で描かれた「坂本竜馬の言葉」がヒューザー小嶋社長の教典であるわけだ…。梶原一騎に影響を受けた「日本の男」はとても多いに違いない。
2008-01-17[n年前へ]
■老舗「七味家」の七味唐辛子を見てみよう
七味唐辛子の「七味」といっても、その七種類の原料には色々あるらしい。そこで、今日は明暦年間に創業されたという、京都・清水寺門前の老舗「七味家」の七味唐辛子をじっくり見てみた。すると、ずいぶんと色合いも内容も違うような気がする。赤というより薄緑がかった茶色で、S&Bの「七味唐辛子」と比べると、実に山椒の味が強い。舌にピリピリくる。
七味家の七味唐辛子ならうなぎにふりかけても、とても美味しそうだ。けれど、関東の鉄道ホームの立ち食いそばに振りかけるには、物足りないような気がする。他の七味唐辛子は一体どんな原料で、どんな味や香りなんだろうか。
2009-01-17[n年前へ]
■15秒起動・作業開始できる"SSD搭載B5サイズ"の MacOS Xマシン
「ThinkPad X60 で SSD の換装をしてみた」という記事で「OSの起動が速くなった!」と書いてありました。SSD(ソリッド・ステート・ドライブ)を使えばOSの起動が速くなるなら、元々比較的起動が速いMacOS XをSSDにインストールして動かしてみたらどうなるか?を知りたくなりました。そこで、SSD上でMacOS Xを使っている動画(下に貼り付けてあるものです)を元に、その起動時間を調べてみると、(起動方法の選択時間などを除けば)およそ15秒ほどで起動し、アプリケーションを立ち上げ使い始めることができるようです。
それにしても、こういった「高速に起動し、小さいけれど、(使いやすいキーボードとポインティングデバイスを持ち)広い画面を持つノートPC」を見ていると、思わず欲しくなります。こんな道具を使うことができれば、思ったことをすぐに形にできるかもしれないと感じたりします。やはり、毎日少しづつ未来へ進んでいることを実感させられますね。
2010-01-17[n年前へ]
■「南方熊楠」と「寺田寅彦」と「夏目漱石」を繋ぐミッシング・リンク
「寺田寅彦 バイオリンを弾く物理学者 」を読んでいて一番エキサイティングだった部分は、49ページから56ページまでの「蓑田先生」に関する部分である。寺田寅彦が、高知県尋常中学校で出会った一人の英語教師に関する部分だ。この部分の数ページだけでも、充分一冊の本になるくらい面白い。
寺田寅彦が熊本で英語教師の夏目漱石に出会う前、地元の土佐高知で出会った一人の英語教師「蓑田長政」は、アメリカ帰りの「帰国子女」である。蓑田先生がアメリカで大学生だった頃、近所にいた交友関係があった友人には南方熊楠がいる。そして、蓑田先生の父はパリ万博にも行っている。
蓑田先生は、高知の学校で学生にいたずらをされたりしながら、高知で数年すごした後に、校長と喧嘩し・生徒相手に大演説した後に、東京に帰ったという。・・・まさに、「坊っちゃん」の主人公である。しかも、その友人は、南方熊楠だ・・・というのが、現実の話だというのだからたまらない。
おそらくは、東京都内のどこかの寺の墓地か霊園に眠っているはずの蓑田先生に向かって、合掌。
2013-01-17[n年前へ]
■ハイスピード撮影した降雪動画で考える「吹雪中の視界距離の公式」
『 続 「吹雪中の視界距離の公式」で知る「雪を舞わせる風の怖さ」』で、”風速(雪を動かす風)が2倍増すと、目の前を舞う雪の量が2倍増えたのと同じ程度の影響がある”という「吹雪中の視界を示す式」は、起きている現象が線形だとすると成り立たないだろう、つまり、この「吹雪中の視界を示す式」を作り出しているのは何らかの非線形性ではないか…といったことを考えました。
今週の月曜日、久しぶりに吹雪を感じさせる雪が降りました。そこで、雪が降るさまをハイスピード撮影してみました。そんなハイスピード撮影した降雪のようすが、下に貼り付けた動画です。
この動画を見てわかることのひとつは、雪が写っている部分は「真っ白」に飽和している、ということです。つまり、空気中を降り・動く雪が写っている部分は決して「うっすらと雪が半透明に写っている」わけではなく、雪が移動している部分が「(サチって=飽和して非線形極まりない状態になっていて)すべて真っ白」に見えているということです(右下の画像は、輝度が飽和していることがわかりやすいように輝度を色相で表現したものです)。
ということは、風速(雪を動かす風)が増して雪が早く動けば、動く雪で真っ白に塗りつぶされる領域が増え、目の前の視界がどんどん遮られていきます。そして、”風速(雪を動かす風)が2倍増すと、目の前を舞う雪の量が2倍増えたのと同じ程度の影響がある”という「吹雪中の視界を示す式」が成立する…ということになります。
というわけで、「吹雪中の視界を示す式」は景色を眺める側(視覚や撮影系)に非線形性があれば「確かに当然至極成り立つ式になりそう」と、ハイスピード撮影した降雪動画を見つつ納得する今日この頃です。
2014-01-17[n年前へ]
■日の出が一番遅いのが「冬至の日」でない理由
日の出が一番遅いのが「冬至の日」でない理由 を書きました。
地球の自転軸が太陽に対して傾いているため、夏は日が長く・冬は日が短くなります。 日(太陽が地上に昇っている昼間)が一番長くなるのが夏至で、日が一番短くなるのが冬至です。冬至は「太陽が出ている時間が一番短い」のですが、しかし、太陽が地平線から昇る「日の出」時刻が一番遅いわけではありません。たとえば、日本であれば、日の出時刻が一番遅いのは、冬至を過ぎて1月に入った頃です。…どうして、「太陽が出ている昼間の長さ」と「太陽が地平線から顔を出す時間」が一致していないのでしょうか?
2016-01-17[n年前へ]
■エッシャーが作り出した3次元球体彫刻を「全天周投影」して眺めてみたい!?
不思議な幾何学的世界を描いたオランダの画家エッシャーは、現実に触ることができる立体物つまり3次元体のアートも作り出しています。1940〜1950年代にエッシャーが作った3次元球体彫刻を眺めていると、なぜだか「あまり面白くない」と感じました。
その理由を考えると、3次元球体を眺めても、そのごく一部しか見通すことができないためではないか?と感じました。球体の表面に「空間を規則正しく埋め尽くす模様」が描かれていたとしても、部分的にしか「見えない」ために、2次元平面に描いた作品で感じるような「空間が不思議に意味を持った模様で埋め尽くされている」という印象を、ほとんど受けないのです。だから、今ひとつ面白く無い…と感じてしまうのではないか?と感じたのです。
空間表面を規則正しく充填する作品は、手に持てるような物体として表現するのではなく、自分を360度の全方向から包み込む(プラネタリウムのような)全天周画像として投影し、その世界の中に入り周囲4πステララジアンの空間全てが不思議な模様で連続的に埋め尽くされている風景を眺めた方が面白いような気がします。
「プラネタリウムドームに投影するエッシャーの世界」の上映会…眺めてみたいと感じる人・やってみたい!と思う人たちが少なからずいるのではないか?と想像してみたりします。