2005-01-17[n年前へ]
■「パンドラの鐘」
高架鉄道も地下鉄もできて(その地下鉄で事故があったなんていうニュースもテレビではやっていますが…)、バンコクはずいぶん快適な街になってきていますが、それでもまだほのかに戦後の銀座という空気がありますね、確かに仰るとおりに。
積み残しの仕事に追われ、自由時間は半日だけでしたが、バンコクの秋葉原「パンティーププラザ」を駆け足で眺めてきました。かつての海賊ソフトバザールの片鱗もなく、ハード主体に変わっていました。ビル奥手の明るくも華やかでもないブースの中で、ブラウン管の駆動回路を修理している子供を見ながら、何だか感慨深い思いに浸ってしまいました。
ホテルの近くは塾がたくさんある一角で、(高校生向けの)応用物理専門塾?とか、基礎物理専門の塾?とか、驚くばかりのいろいろな専門塾がありました。そこには、チェラロンコン辺りを狙ってるだろう上流家庭の子供が通ってきていました。その塾の窓には"Unlimited Opportunity"なんていう風に書いてありました。ずいぶんと"Limited"な"Unlimited"なんだろうな、と少し考えたりもしました。「無限の未来・可能性」への扉、この塾への扉はずいぶんと限られているんでしょうか?
私は"Limited"というものがキライです。確かに、世界は限られているけれど、それを受け入れていかなければならないことも確かだけれど、それでも「身の丈にあった」なんていう言葉はキライです。たくさんの「できること」があるのに、不自由な世界がもっと他にはあるのに、贅沢なばかりに色々なことができるのに、それを勝手に狭めたりするのはあまり好きではありません。
というわけで、公演パンフレット中では「身の丈」「根性」「信じる」なんていう言葉で解説されていた野田秀樹の「パンドラの鐘」、そんな「パンドラの鐘」が、今日の頭の中でガランゴロンと打ち鳴らされています。
賭けをしましょう。
あなたの服に触れず、その乳房に触れた日のように。
いつか未来が、この鐘に触れずに、あなたの魂に
触れることができるかどうか。
滅びる前の日に、古代の心が、
ふわふわと立ち上る煙のように、
いつか遠い日に向けて、届いていくのか。
あなたは、古代の心は、どちらに賭けます?
俺は、届くに賭けますよ。
■Laugh and grow fat.
WEB日記は「ちょっと書いて、書き換えて、さらに書き換えて」いくことが多いものだと思っていので、何度も「書いたり消したり」しながら、自分が良いとその日に考えているものを残していこうと思っている(かも)。「こちらの方が良い」と思い、(前に書いた)イマイチな文章を削除することもしばしばあるし、「自分が良いと思う言葉」を書き足すことも数え切れないほどある。さすがに、何日も遡って直すことはないけれど、そういう推敲を人に見えるところでしているのがWEB日記の特徴だと思う。逆に、そうしなければ多くの場合長くは続かないのではないか、とも思っている。あまり、気負っていては続かないのかも、なんていう風に思うこともある。また、もし続いたものであれば、それを止めたりするのは何だかとてももったいない、というようにも思う。
ところで、今日は ある言葉を見て考え込みつつも、ふと笑ってしまった。
「WEB日記の言葉削除依頼」というエントリーが。なんとなく気になったので、どんな言葉が削除依頼を受けたのだろう?とリンク先に行ってみたら・・・・削除依頼を受けてたのは僕の文章でした_|‾|○何だか、これはとても真剣な話で、笑っちゃいけないのかもしれないけれど…、上の一行を読んだ瞬間、崩れ倒れる人 _|‾|○ を見た瞬間にはなんだかちょっとだけ笑ってしまったのだった。