2009-11-17[n年前へ]
■「朝三暮四」と「不確実な将来」
(中国、宋の狙公(そこう)が、飼っている猿にトチの実を与えるのに、朝に三つ、暮れに四つやると言うと猿が少ないと怒ったため、朝に四つ、暮れに三つやると言うと、たいそう喜んだという「荘子」斉物論などに見える故事から)とある。ある時期から、この故事を思い出すたびに、妙にここで書かれている内容が気になるようになった。
1.目先の違いに気をとられて、実際は同じであるのに気がつかないこと。また、うまい言葉や方法で人をだますこと。朝四暮三。
2.生計。くらし。
トチの実を「お金」というものに例え直して考え始めると、特にその内容に対する好奇心が強まってきたのである。なぜなら、「朝に三つ、暮れに四つやる」と「朝に四つ、暮れに三つやる」では、将来がどう変わるか次第で、全然内容が違うのではないだろうか。
もしかしたら、夕暮れ時には朝とはトチの実の価値が全然違うかもしれない。朝の時点ではトチの実に価値があったとしても、その数時間の後には、(宿題ひきうけ株式会社のそろばん技術やカイコと同じように)トチの実のデフレーションが激しく進み、夕暮れ時にもらうトチの実には何の価値もないかもしれない。
もちろん、その逆のパターンもあるだろう。夕暮れ時のトチの実の価値が非常に高まっている、という場合である。…けれど、私たちは将来のことはわからない。楽観的に将来を眺めることができる人もいれば、そうでない人もいる。将来を悲観的に考えて、トチの実4つをもらうなら、その価値がわかっている朝に先に欲しい、と思うことは自然な感じ方のようにも思われる。単純に「非合理的」と断言できるたとえ話ではないようにも、思われる。
朝三暮四、生計・くらしを営んでいく中で、私たちは、どういう選択をするものなのだろう。猿である私たちは、一体どういう選択をすべきなのだろうか。そういうことが、よくわからないまま、毎日は続く。
2010-01-15[n年前へ]
■100円ショップで、できるかな? 「腕時計の電池交換50円ナリ」編
腕時計を手に取りつけようとすると、針が止まっていることに気づきました。夜の間に、電池が切れてしまったようです。(ちなみに右の腕時計は、反転・逆さ印字タイプと言う風変わりなものです。ですから、写真が一瞬変に見えるかもしれませんが、これで正常なのです)
とりあえずは、他の腕時計を使うことにしましたが、止まってしまった腕時計はお気に入りでいつも使っているものですから、電池交換しなければなりません。
とはいえ、時計屋さんに行っても良いのですが、電池交換すると1500円くらいかかります。また、時計屋さんによっては、作業に時間がかかることもあります。そこで、100円ショップに行って、腕時計用の電池を買い、自分で電池交換してみることにしました。
まずは、腕時計を開けてみます。止まった腕時計は裏蓋が「はめこみ式」というもので、本当にただ蓋がはめ込まれているだけのものです。そこで、裏蓋に精密ドライバーを押しあてつつ傷がつかないようにクイッと力をかけてやると、裏蓋がスポッと抜け、時計の裏側部分の電池部分にアクセスすることができるようになります。傷がつかないように、というところが大切です。
そして、腕時計に入っていたのと同じタイプの電池(今回はSR62という具合の型番の電池でした)を100円ショップに買いに行きました。ちなみに、行ったのはダイソーです(セリアにはありませんでした)。すると、同じようなタイプの電池が何種類かあったので、2個で100円のものを買いました。
そして、腕時計の中に電池を入れ、ついでに少し蓋周りをアルコール清掃もして、裏蓋をスコンと時計にはめこんでやります。すると、秒針がカチ・ツカチッと音を立てて動き出しました。2個で100円の電池ですから、実質50円で腕時計の電池交換ができた、ということになります。
「100円ショップの電池は長持ちしない」と言われたりもしますが、電池もまだ一個余っていることですし、その時はまた電池交換をすればいいわけです。というわけで、今回は、デフレ・不況感あふれる中の、DIY(Do It Yourself)記録です。
2010-01-27[n年前へ]
■「フロー」と「ストック」と「豊か」ということ
塩沢修平「デフレを楽しむ熟年生活 (講談社プラスアルファ新書) 」から。
これまで説明してきたように、GDPや国民福祉指標などのフローの指標で豊かさをはかることは、適切とも言えないし、難しくもある。
ヨーロッパでは何百年も前に作られた建物や道路がいまでも立派に使われている。人々はそれらを利用して豊かに暮らしているのであるが、それらを利用してもGDPには換算されない。
あなたが今年、家を建てて、そこに住み始めたとしよう。その家の建築費は今年のGDPに含まれるが、来年以降のGDPには含まれない。建物や道路あるいは耐久消費財などは、つくられた年のGDPには含まれるが、その後は何人使われても、家賃などを除いてGDPには換算されないのである。
ただしそれらは、フローとしてではなくストックとして社会に残り、あなたが豊かな生活を送るために大きく貢献する。(中略)豊かさはフローだけではなく、ストックも考慮して比較したほうが実態に近いと思われる。
ふと、「理系サラリーマン 専門家11人に「経済学」を聞く! (Kobunsha Paperbacks Business 17) で感じた、いくつかの疑問を思い出した。
「フローとストックというのは、作業給と能力給の違いのようなものでしょうか?」
「技術者が勉強用に本を買ったりするのも、単にモノを買う消費ということになるのでしょうか?」
2010-05-03[n年前へ]
■ダイソーの「自転車タイヤ・パンク修理セット」を使ってみた
100円ショップのダイソーの「自転車タイヤ・パンク修理セット」を使ってみました。もちろん、「よし、今日こそ使おう!」と思ったから使ったわけでなく、昨日、情けなくも道路の段差でタイヤをパンクさせてしまったので、しょうがなくパンク修理をすることにしたわけです。「自転車タイヤ・パンク修理セット」100円ナリをダイソーで買ったのは、良くも悪くも時流に沿って、お財布の中身が大幅なデフレーションをし続けているからです。それはまるで、パンクした自転車のタイヤ・チューブのようにヒュルヒュルと萎(しぼ)むデフレが続けているからです。
自転車屋さんに行ってパンク修理をしてもらうと、1000円くらいの修理代金がかかります。その1000円が(ゴムのりやゴムパッチが何回か使えることを考えると)100円以下でできるのは、財布も私もうれしい限りです。しかし、その値段の差はゴムパッチの品質が(自転車屋さんが使うものと100円ショップで売っているものでは)違うだろうことや、何より自分自身の人件費(時間)をゼロ円として、勘定に入れていないことが大きいように思います。
…ということは、100円ショップで買った道具を使って自分で修理するのは経済学的に眺めると一体どういうことになるんだろう?とか、こういうお財布の選択が景気には一体どんな影響を与えるのだろう?とちょっと考えてみたりする今日この頃です。