2010-12-04[n年前へ]
■ドッグイヤーに生きる「文明人」は近視眼的な発想に陥りがちだ
縣 秀彦「天文学者はロマンティストか?—知られざるその仕事と素顔 (生活人新書) 」から。
純粋な科学の追究は、その成果を応用することで、人々の生活を豊かにしたり、(中略)人類の歩みや個人個人の生活と深く繋がってきました。そして二十一世紀を迎えた今、科学の成果は、タイムラグなく直接人々の生活と関わりを持つようになってきています。
これはとりもなおさず、今を生きる文明人たちが、近視眼的な発想に陥りがちだということを意味します。その結果、愚かなことだとわかっていながらも、私たちは無意識のうちに、「役に立つ」「立たない」という評価軸のみで人の営みを測ってしまいがちなのです。
「役に立たない」「知っていても得しない」ことに、人類は古くから取り組んできました。文化とはそういうものです。
2011-07-27[n年前へ]
■自分の「気持ち」と「キャラクター」
かとうちあき「野宿入門〜ちょっと自由になる生き方〜 」中の「自分のキャラクターを知ろう」から。…とても単純でいて、だからこそ、とても一般的にあてはまる、つまり器用に上手に凝縮された言葉。
たぶん、ほとんどの人は、自分が見つけうる野宿地候補の中から、そのときの自分(の「気持ち」と「キャラクター」)と向き合い、どうにか妥協点を見いだすことで、野宿地を決定していくのでしょう。
「29歳、独身、女。風呂は、まだない」という言葉で始まる序章から、「すごく寂しくなっちゃって…そうしたら、私も自分の『家族』ってものが欲しくなったの。それで結婚したし、あなたも生んだの。…赤ちゃんだったあなたの背中には、羽が見えたのよう!あなたの背中に羽が見えたのよう!」と母が娘に語る言葉が記される「おわりに〜母とのおっぱい野宿」まで、ページを読み進めていくと…不思議なことに何でもできるような気持ちになってきます。
(何が豊かとか、何が面白いとか…わからないこと、割り切れないことを)わたしたちは答の出ないことを、あんまり深く考え込んではいけないのでしょう。 「これだけは覚えておこう」 from 「野宿入門 」
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