2000-11-17[n年前へ]
■久々のちゃろん日記(仮)。
一安心。しかし、私はゲームはそれほどやらないがUOってそんなにハマるものなのだろうか?実は買ってはあるのだが、インストールはしていないのだった。時間がないのと、THNからの接続では回線断でなかなか遊べないという話を頻繁に聞くからだが…
■今日車の中で繰り返し聴いてた曲 = ミルク
CHARA。何故か落ち着けて良い感じ。
2001-11-17[n年前へ]
■ピクミンCMソング「愛のうた」の着メロ
頭の中でエンドレスで流れているので、着メロ用にまずは大雑把に作ってみました。とりあえず、四和音使用版です。私の携帯電話ではギターのストロークの感じが今ひとつ、かな。だけど、まぁまぁ良い感じです。なので、ワタシの携帯の着メロは「愛のうた」になりました。といっても、ほとんどいつもバイブモードなんだけど。
メロディはホンキトンクピアノで、ギターはスチールストリングギターを使いました、ハイ。
「ひっこ〜ぬかれて〜、たたか〜って〜、食べ〜られて〜、で〜も〜、私達〜、愛してくれとは、言わ〜ない〜よ〜…」
■ピクミンCMソング
の2ちゃんねる的パロディ動画とオリジナル動画と楽譜。オリジナルサイトはできれば二番まで演奏して欲しかった。なので、オリジナル動画の方がお勧めか。なにはともあれ、ギターを背景にとてもキレイな歌。なので、久しぶりにギターを弾きました。CDは12/6発売とメモメモ。 from お笑いパソコン日誌。(リンク)(リンク)(リンク)(リンク)
■今日見た景色 インラインホッケー横浜大会
保土ヶ谷でインラインホッケー横浜大会。情けなく負けたせいなのか、何なのか、ちょっと呆然と虚ろな顔のヤカラがいますね。(リンク)(リンク)
■今日の大人になったら ぐるぐるの旅 「MOMO」編
大人になったら何になろう?ぐるぐるはいくら考えてみても判らなかった。だから、「大人になったら何になる」かを探す旅に出た。最初にで出会ったのは、何でも知ってるという噂のGoogleだ。
Googleは何を考えたのか、「ミンキーモモ」というアニメの主題歌をぐるぐるに歌って聞かせた。「大人になったら何になる? 大人になったら何になる? 夢がきっと叶うわ…」と。だけど、結局「大人になったら何になる」のか、その歌を聞いていてもぐるぐるは全然判らなかった。
ぐるぐるは、その「モモ」という名前を聞きながら、ミヒャエル・エンデの「モモ」を思い出したり、北村想の「11人の少年」を思い出したりした。「亡き王女のためのパヴァーヌ」を流しながら、少女スモモを語る最後の台詞を聞いていたことを思い出したりした。時間泥棒とたたかったモモやスモモを語る青木はあれ?子供だったけ、とふと首をひねってぐるぐる考えたりもした。
そして、ぐるぐるはずっとずっと昔にその「ミンキーモモ」を見ていたことも、やっとのことで思い出した。そういえば、あの「モモ」が使える魔法はたった一つ「大人になる魔法」だった。何回も何回も色々な大人に魔法でなったり、あるいはなれなかったり、の話を思い出して。そして、「大人になったらかなえる夢」を見始める前の「モモの最後で最初の話」も思い出した。
だけど、ぐるぐるは結局Googleは一体何を言いたかったのだろう?と首をかしげるだけだった。そして、ぐるぐるは旅を続けることにした。いつかきっと、大人になったら…、何になろう?
(リンク)(リンク)(リンク)(リンク)(リンク)
2002-11-17[n年前へ]
■デザイン変更のまとめ
カレンダー形式での表示は使用頻度が低いように思えたので、ひとまず非表示にした。また、サイドバーは本文表示の項目の6倍にしてみる。
■沼津港で見た景色
昨日、LUMIX FZ-1を買った。どうしてこの機種を選んだかというと、少し気分を変えてみたかったのである。これまで使っていたNikon775(入院中)を選んだ理由が「小さくて広角アダプターがつくこと」ということだった。だから、今回は「小さくて望遠に強いこと」という風に選んでみたのである。とはいえ、もちろん基本的に私は広角の写真が好きなので、LUMIX FZ-1にも広角アダプターを付けることになるだろう。とりあえず、右の写真はLUMIX FZ-1の広角端で撮った写真で、沼津港の市場から水平線を眺めながら撮った。
そして、左の写真は今度はLUMIX FZ-1の望遠端で撮った写真だ。光学12倍ズームというのはなかなか迫力がある。右の広角端の写真と比べて、その違いが判るだろうか(全然違う写真だけれども)。
しかも、寒い中で手が震えがちで、風が吹いてて、しかも曇り気味で夕日が沈む間際という暗い中にも関わらず、光学手振れ補正のおかげでブレにくかったのもなかなかに良い感じだった。
それにしても、何百回と眺めても、やはり海の近くで眺める青い空はとても綺麗だ。右の写真のような、もうすぐ日暮れという時の深い青とゴールドの空も、日が落ちる瞬間の赤い風景も、日が沈んだ後の藍色の空もどれも本当に綺麗だ。気分はもう、老後の散歩をしている夕暮れ、なのである。
右の写真は、沼津港の市場から外の海を眺めてみた。市場の屋根と柱がまるで写真のフィルムのフレームのように景色を切り取っている感じがとても不思議で天然の展覧会が開催されているみたいだ。不思議な景色だ。
■続・人間万事塞翁が馬
「人間万事塞翁が馬」の「人間」を何と読むだろうか?これまで、高校の先生が「じんかんばんじ…」と読んでいたのだけれど、周りの人たちは「にんげんばんじ…」と読む人がほとんどなのだけれど…。と、訊かれた。もちろん、私もその多数に属していて、これまで「にんげんばんじ…」と読んでいたのである。で、新明解辞典をひくと、「じんかん(人間)」の方は
じんかん(人間) 〔「じん」も「かん」もそれぞれの漢字の漢音〕 世間。世の中。「—に流布する」と出ていた。それでは「にんげん(人間)」の方はというと
にんげん(人間) (他の人間と共になんらかのかかわりを持ちながら 社会を構成し、なにほどかの寄与をすることが 期待されるものとしての〕人。と出ていたわけなのである。「人間万事…」の「人生の吉凶は簡単には定めがたい」という意味から言えば、確かに「じんかん」と読むのが正しいに違いない。勉強になるのである。
そしてまた、新明解の「にんげん(人間)」の定義もこれまた(他の人間と共になんらかのかかわりを持ちながら社会を構成し、なにほどかの寄与をすることが期待されるものとしての〕という枕詞が新明解らしくて良いなぁ、と思うのだった。
■国境の長いトンネルをぬけると…
読み方といえば、私はどうしてもクセで「国境の長いトンネルをぬけると…」は「国境(こっきょう)」と読みたくなってしまうのである。「国境(くにざかい)」と判ってはいても何か語感から「こっきょう」と読みたくなってしまうのだった。
2003-11-17[n年前へ]
■疲れる人達
「(名前が挙がるような)デジカメ業界の人たちの入院者の率が高く二割を超えていた」という話。もちろん、その業界で名前が挙がるような人達の中での割合だから、全ての人達の割合よりは少しばかり割合が高くなるかもしれない。それにしても、驚くべき数字だ。
この二割の人達以外に潜在的に体を壊している人もいるわけだから、なんとも疲れている人が多いわけだ。
2004-11-17[n年前へ]
■アニメーションの「3コマ打ち」
アニメーション界で「1枚のセルを3コマ撮る」3コマ打ち の技術の話。ちなみに、結論は「3コマ打ちと言うのはフィルムの24コマと言うフレームレートを最大限に生かした手法であり、日本人はこういう「ケチ」せざるを得ない状況において非常に力を発揮するように思う。この点は胸を張って誇るべき」という。
■ボ・ガンボスのトリビュートアルバム
ボ・ガンボスのトリビュートアルバム発売。UA・YUKI・渡辺美里・東京スカパラ・トータス松本・甲本ヒロト・奥田民生とか…。来年の1月26日に発売。
■「怒れる若手」と「なだめる上司」の伝統
(「怒れる若手」と「なだめる上司」の二人組という)パターンだと、上司の方が最新技術にうとくても油断できない。優秀な部下を使って、間接的に外注の技術力や仕事の丁寧さをチェックしているのだ。部下の様子を見ていろいろなことを理解してしまうのだ。規律やシステムを緩めに作って、上司の裁量で部下を泳がせる。そもそも優秀な部下というものは、上司に見えないことが見えるのでたいてい怒っていて、時として上司に理解できないような無茶をする。そういう人が、羽目をはずせる余地があってこそ、日本的経営組織というものはうまく回っていたのだ。…部下を怒らせることが問題なのではなくて、部下の目を自分の武器として使えないことが問題である。
■Boxed Economy Simulation Platform
社会シミュレーションのためのプラットフォーム "Boxed Economy Simulation Platform" from HPO:個人的な意見 ココログ版
■カメラ付き携帯電話をスキャナとして利用する
Xerox Research Centre Europe(XRCE)において開発が進められた、カメラ付き携帯電話をスキャナとして利用可能にする新技術に関する記事「メガピクセル携帯がスキャナに! 欧州で生まれた新技術をライセンス提供」
■正規確率分布によるバスト形状
中央値をシフトした正規確率分布(y=exp(-x^2))の工学的表現により、バスト形状を表現しようとする手動ゆさゆさページ. バスト形状を正規確率分布で…?と思う人も多いかもしれないが、それについては具体的な例をもとにさらに進んだ提案をしてみれば良いに違いない。
■「ダイアリ」なのにweb上で公開
そうですね。私もあまり自分の行動は日記に具体的には書かないですものね。眺めた景色は書くけれど、あまり自分の行動は具体的には書けないし、思ったことも「あまり」書かない。 じゃぁ、それが自分を反映していないかというと、逆にとても反映しているという感じ、でしょうか。自分が興味を感じて、そして、眺めたものだけを書き留めておくわけですから。
2005-11-17[n年前へ]
■「はてブコメント」に陽を当てる
「はてブコメントの暴力性 」を読んで、「はてブコメント」に陽を当ててみたい、と考える。もっと、はてなブックマークのコメントを表に引き出してみれば、少し感じが違うかもしれないのだから。…それが、いいのか悪いのかわからないけれど。
2007-11-17[n年前へ]
■A dream is a wish your heart makes.
"Rail is draw"というURLにマッピングした「線路を描く」「自分が進みたいイメージ、けれどよくわからないイメージを自分で描く手伝いをする」というWEBアプリケーション。 作っているときに気づいたことは、自分が作りたいものは「定型作業をするアプリケーションでないもの」だということだ。目的・したいことが明確に決まっているものでなく、曖昧なイメージを形にする手伝いソフトウェアを作るのが好きだ、ということがわかった。だから、曖昧なイメージが「具体的なイメージ」として目の前に集められていくこのRailisdrawは、結構気持ち良く気に入っている。
システム手帳に"Cinderella Magick"とラクガキし、そして、このラクガキWEBアプリを作り始めました。だから、「シンデレラの魔法」がこのWEBアプリで作りたかったテーマです。ブラウザ上で、誰もがシンデレラになれるといいな、というのが本WEBサービスの"wish"です。
When you can dream, then you can start.
A dream is a wish you make with your heart.
A dream is a wish your heart makes.
If you keep on believing,
The dream that you wish will come true.
2008-11-17[n年前へ]
■0.2×11-2 = …?のヒミツ
前に何度も見たことでも、久々に見たり読んだりした時、新鮮に面白く感じることは多いように思います。
Mathematicaのデモ中で、「計算の丸め誤差」をエクセルで見ました。数値計算の有効桁数や丸め誤差を気にする人は多いでしょうし、エクセルや多くの計算プログラムやあるいは言語で「誤差がどんどん重畳されていくようす」を眺めたことがある人も多いと思います。いえ、実際のところ、技術系の人であれば、そんなデモを眺めたことがない人の方が稀少ではないでしょうか。とはいえ、前に何度も見たことでも、やはり新鮮に面白く感じることは多いように思うのです。
そこで、(Mathematica のデモンストレーション中で演じられていた)エクセルで「0.2×11-2」の計算を繰り返していったときのようすを動画として再現して貼り付けてみました。
まず、エクセルで、0.2×11-2を計算します。そして、『「(0.2と表示された)その答え」×11-2』と計算するのです。そして、その答えにさらに…と計算を繰り返していくわけです。
すると、あっという間に丸め誤差が積み上がっていって、20回も計算を繰りかえすと値が1000くらいになってしまいます。こういったことは、浮動小数点の精度を考えれば当たり前な話です。しかし、「タネがわかっていても面白い手品」があるように、こんなデモンストレーションも(たまに眺める分には)見ていてとても楽しく感じてしまいます。
もしかしたら、特にこの手のデモを楽しく感じるのは、「キカイが動いている仕組み・仕掛け」を感じることができるからかもしれません。アレ?と感じ、その興味を入り口として、目の前の現象を眺めていくうちに「キカイが動いている仕組み・仕掛け」が見えてくるからかもしれません。
そして、いつも「それってとても楽しいと思わない?」と感じるのです。
2009-11-17[n年前へ]
■「朝三暮四」と「不確実な将来」
(中国、宋の狙公(そこう)が、飼っている猿にトチの実を与えるのに、朝に三つ、暮れに四つやると言うと猿が少ないと怒ったため、朝に四つ、暮れに三つやると言うと、たいそう喜んだという「荘子」斉物論などに見える故事から)とある。ある時期から、この故事を思い出すたびに、妙にここで書かれている内容が気になるようになった。
1.目先の違いに気をとられて、実際は同じであるのに気がつかないこと。また、うまい言葉や方法で人をだますこと。朝四暮三。
2.生計。くらし。
トチの実を「お金」というものに例え直して考え始めると、特にその内容に対する好奇心が強まってきたのである。なぜなら、「朝に三つ、暮れに四つやる」と「朝に四つ、暮れに三つやる」では、将来がどう変わるか次第で、全然内容が違うのではないだろうか。
もしかしたら、夕暮れ時には朝とはトチの実の価値が全然違うかもしれない。朝の時点ではトチの実に価値があったとしても、その数時間の後には、(宿題ひきうけ株式会社のそろばん技術やカイコと同じように)トチの実のデフレーションが激しく進み、夕暮れ時にもらうトチの実には何の価値もないかもしれない。
もちろん、その逆のパターンもあるだろう。夕暮れ時のトチの実の価値が非常に高まっている、という場合である。…けれど、私たちは将来のことはわからない。楽観的に将来を眺めることができる人もいれば、そうでない人もいる。将来を悲観的に考えて、トチの実4つをもらうなら、その価値がわかっている朝に先に欲しい、と思うことは自然な感じ方のようにも思われる。単純に「非合理的」と断言できるたとえ話ではないようにも、思われる。
朝三暮四、生計・くらしを営んでいく中で、私たちは、どういう選択をするものなのだろう。猿である私たちは、一体どういう選択をすべきなのだろうか。そういうことが、よくわからないまま、毎日は続く。
2011-11-17[n年前へ]
■日本の「信号機の青色」には「国際ルール上は緑色」とするための「言い訳」が隠されていた!?
信号機に関するCIE(国際照明委員会)勧告と日本法規の違いを「眺めて実感してみよう」という『日本の「信号機の青色」には「国際ルール上は緑色」とするための「言い訳」が隠されていた!?』を書きました。
CIE(国際照明委員会)の「信号機の色としては、こういう(範囲の)色を使うべし」という「色範囲」と「(日本の法規で決まっている)日本で使って良い”青信号”の色範囲」を描いてみたのが下の図です。 この図を見ると、結構面白いことがわかります。
つまり、「国際的には”緑色”と主張できる(?)範囲内で、最大限”青色”っぽくした」のが、日本の「前に進め色=青と緑が混じったようなビミョーな色」という色なんです。
2013-11-17[n年前へ]
■ヘリウム風船に「夢や希望」を乗せて・叶えるために飛ばします!?
2013年、チェンマイのロイクラトンで、空に流されていくコムファイ・コムローイを眺めてみると、一昨年2011年には見かけなかった「変わり種コムローイ」を見つけました。…それは、いくつかのヘリウム風船にぶら下げられ空高く上がっていくクラトン(灯籠)です。川面に浮かべ・流されていくはずの灯籠が、ヘリウム風船にぶら下げられて、どこか遠くの空に飛ばされているのです。
軽量化のためにプラスチックで作られたクラトン(灯籠)が、ヘリウムを詰めたゴム風船にぶら下げられ浮かんでいるのを見ると、「伝統の作り方とか関係なくて、何でもありだ!」と何だかとても楽しくなります。
そしてまた、ヘンだけど奇妙に可愛い(まるで熊本県PRマスコットキャラクターのくまもんみたいな)「顔模様」のコムファイが屋台にたくさん吊され並んでいたりします。こうした色モノ系キャラクタたちも、普通の伝統的コムファイやコムローイと同じように、希望や夢を積んで空に飛ばされていくのです。
コムファイに希望を積み込み・天に届け・望みを叶えるためには(コムファイへの)「サイン」が必要なので、空から地上に降ちてきたコムファイを眺めてみれば、そこには夢を望んだ人たちの名前が描かれていたりします。それは、まるで「空に浮かべられた絵馬」のようで、少し切なく・懐かしくなります。