2009-08-31[n年前へ]
■「空気」と「世間」
鴻上尚史の「「空気」と「世間」 (講談社現代新書)」の「おわりに」から。
壊れかけた「世間」の力を、幽霊のように大きく見ては損だと僕は思っています。激しい力を持っているにしても、それは、かつての「世間」とは違うんだと、相手を見極める必要があると思っているのです。
そして・・・
2010-11-13[n年前へ]
■「わかりやすいことには、どこかに必ず嘘が含まれている」
無料で読むことができる(この雑誌を読まないのは一生の損です)、けれど屈指のグラフ雑誌である、グラフィケーション GRAPHICATION 2010 No.171 特集「師弟関係」中の、玄田有史「師を語る - 石川経夫が生きていたら」から。
石川がなくなった後、世間で重視されるのは「わかりやすさ」ばかりになった。なんでも「わかりやすい」が一番。
しかし、わかりやすいことには、どこかに必ず嘘が含まれている。
「ワークマンシップ」という言葉を知った頃、玄田有史先生は石川経夫からワークマンシップを受け継いだのではないか、という言葉を聞きました。
「師弟関係」という言葉のもとに玄田有史先生が師を語る文章を読み、あぁ確かに「玄田有史先生は石川経夫からワークマンシップを受け継いだのだな」と心から理解したのです。
2012-05-28[n年前へ]
■「広い世界」を「(前に)進んでいく人」
自分が知ってる「前」でもあり、自分が知らない「前」でもある「n年前へ」から、「狭い世界(せかい)」と「世間(せけん)が狭い」など。
「世界が狭い」と「世間が狭い」は180度違う。「狭い世界」を造り出すのは「知り合いが多いハブ的な人の存在」であり、「狭い世間」を造り出すのは、「周囲状況と繋がらず離れてしまっている人」である。「世界が狭い」は「広い世界」を引力が強い人がねじ曲げて色々な場所を繋げていた結果であり、「世間が狭い」は「広い世界」を知らず閉ざされている状況である。「世界が狭い」と「世間が狭い」は大違いなのだから、自分が考える「世界(というもの)」が、果たしてそれは「(自分の外に広がる広い)世界」なのかそれとも「(自分の周りの狭い)世間」なのかを問い直す作業が必要だと思う。
私が印象に残っているのは一生懸命努力している人のビデオだ。工事現場で働いている人、10キロの道のりを歩いて学校に通っている少女ら、頑張っている人だ。
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