hirax.net::Keywords::「講談社現代新書」のブログ



2009-10-15[n年前へ]

世の中には「騙す人と騙される人」の二種類しかない 

 堀井憲一郎「若者殺しの時代 (講談社現代新書) 」中の「1989年の一杯のかけそば」から。

 世の中には「自分は人を騙さない。でも人からも騙されずに生きていたい」というムシのいいことを考えてる人が多いこともわかった。僕は、世の中には「騙す人と騙される人」の二種類しかないとおもっている。
1 騙す人
2 騙される人
これで全部だ。どっちかを取るしかない。
 どちらかを選ぶしかない。もちろん騙されるほうに立っても、大きく騙されることもなく生涯を終えられることもあるだろう。騙す側を選んでも、表立って人を騙すことなく、平穏に人生を過ごせる可能性だってある。でもそれは結果である。どっちのサイドにつくかはきちんと自分で決めないといけない。人生の成り行きは自分では決められない。

2009-12-19[n年前へ]

「知っている」ことと「できる」ことは全く違う 

 齋藤孝の「なぜ日本人は学ばなくなったのか (講談社現代新書 1943) 」のあとがき、から。

 できていないのに、「わかっている」と言い続ける人には、進歩がない。「知っている」ことと「できる」ことは、全く違うことだ。そのあいだには深い川が流れている。

2010-01-17[n年前へ]

人間とは他人と自分の心の間の感覚器集合に過ぎない 

 石黒浩の「ロボットとは何か――人の心を映す鏡 (講談社現代新書) 」から。

「人間とは他人の心と自分の心にはさまれた感覚器の集合にすぎない」

 見事なくらい、ロボット工学における試行錯誤を通じて、人間というものは何なのだろうか、ということを「単刀直入」に語る本である。どれだけ、「単刀直入」で「わかりやすい」かは、数頁本書をめくってみればすぐにわかると思う。

2010-01-19[n年前へ]

悪用できない技術は偽物である 

 石黒浩の「ロボットとは何か――人の心を映す鏡 (講談社現代新書) 」から。

「悪用できない技術は偽物である」
 これが私の持っている一つの基準だ。技術とは世の中を変える可能性があるものである。逆に世の中にまったく影響を与えない技術は、意味のない技術であって、技術とは呼べない。その技術の使い方次第で、悪いこともできれば、よいこともできる。

2010-01-31[n年前へ]

自分で考えない力 

 小笠原喜康「新版 大学生のためのレポート・論文術 (講談社現代新書)」から。

 日本は明治以来、近代教育と言う国民皆教育の時代に入った。(中略) この目的のために重要な学力は、「時間を守る道徳」と「自分で考えない力」の二つである。
 戦後は、近代教育が社会に合わなくなってきた。学校は、70年代以降は急速にその力を失ってしまった。つまり時代に合わなくなっていった。「オイッチニー、オイッチニー」が通用するのは、古いタイプの大量生産工場に過ぎない。
 本書は、こんな日本の教育を受けてきた若者たちへのささやかなエールである。



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