hirax.net::inside out::2002年11月17日

最新記事(inside out)へ  |   年と月を指定して記事を読む(クリック!)

2002年10月 を読む << 2002年11月 を読む >> 2002年12月 を読む

2002-11-17[n年前へ]

デザイン変更のまとめ 

 カレンダー形式での表示は使用頻度が低いように思えたので、ひとまず非表示にした。また、サイドバーは本文表示の項目の6倍にしてみる。

沼津港で見た景色 

 昨日、LUMIX FZ-1を買った。どうしてこの機種を選んだかというと、少し気分を変えてみたかったのである。これまで使っていたNikon775(入院中)を選んだ理由が「小さくて広角アダプターがつくこと」ということだった。だから、今回は「小さくて望遠に強いこと」という風に選んでみたのである。とはいえ、もちろん基本的に私は広角の写真が好きなので、LUMIX FZ-1にも広角アダプターを付けることになるだろう。とりあえず、右の写真はLUMIX FZ-1の広角端で撮った写真で、沼津港の市場から水平線を眺めながら撮った。

 そして、左の写真は今度はLUMIX FZ-1の望遠端で撮った写真だ。光学12倍ズームというのはなかなか迫力がある。右の広角端の写真と比べて、その違いが判るだろうか(全然違う写真だけれども)。
 しかも、寒い中で手が震えがちで、風が吹いてて、しかも曇り気味で夕日が沈む間際という暗い中にも関わらず、光学手振れ補正のおかげでブレにくかったのもなかなかに良い感じだった。
 それにしても、何百回と眺めても、やはり海の近くで眺める青い空はとても綺麗だ。右の写真のような、もうすぐ日暮れという時の深い青とゴールドの空も、日が落ちる瞬間の赤い風景も、日が沈んだ後の藍色の空もどれも本当に綺麗だ。気分はもう、老後の散歩をしている夕暮れ、なのである。

 右の写真は、沼津港の市場から外の海を眺めてみた。市場の屋根と柱がまるで写真のフィルムのフレームのように景色を切り取っている感じがとても不思議で天然の展覧会が開催されているみたいだ。不思議な景色だ。

沼津港で見た景色沼津港で見た景色沼津港で見た景色沼津港で見た景色






続・人間万事塞翁が馬 

 「人間万事塞翁が馬」の「人間」を何と読むだろうか?これまで、高校の先生が「じんかんばんじ…」と読んでいたのだけれど、周りの人たちは「にんげんばんじ…」と読む人がほとんどなのだけれど…。
と、訊かれた。もちろん、私もその多数に属していて、これまで「にんげんばんじ…」と読んでいたのである。で、新明解辞典をひくと、「じんかん(人間)」の方は
じんかん(人間) 〔「じん」も「かん」もそれぞれの漢字の漢音〕          世間。世の中。「—に流布する」
と出ていた。それでは「にんげん(人間)」の方はというと
にんげん(人間) (他の人間と共になんらかのかかわりを持ちながら         社会を構成し、なにほどかの寄与をすることが         期待されるものとしての〕人。
と出ていたわけなのである。「人間万事…」の「人生の吉凶は簡単には定めがたい」という意味から言えば、確かに「じんかん」と読むのが正しいに違いない。勉強になるのである。

 そしてまた、新明解の「にんげん(人間)」の定義もこれまた(他の人間と共になんらかのかかわりを持ちながら社会を構成し、なにほどかの寄与をすることが期待されるものとしての〕という枕詞が新明解らしくて良いなぁ、と思うのだった。

国境の長いトンネルをぬけると… 

 読み方といえば、私はどうしてもクセで「国境の長いトンネルをぬけると…」は「国境(こっきょう)」と読みたくなってしまうのである。「国境(くにざかい)」と判ってはいても何か語感から「こっきょう」と読みたくなってしまうのだった。