2010-01-14[n年前へ]
■「技術の進歩」と「歌詞の意味」と「10円でゴメンね」
本棚を整理していると、種ともこのデビューアルバム「いっしょに、ねっ。 」のピアノ譜が出てきた。電話の「ベル」の音がドラム代わりに曲始まりを奏でる「10円でゴメンね」を聴きながら、技術が進歩して文化が変わっていくと、歌詞の意味がわからなくなってしまうものだ、と実感させられた。
勇気出して、ダイヤル回して
受話器とうらはらに、心は繋がらない
今では、ダイヤルを回す黒電話を使ったことがない人の方が多いだろう。そして、もしかしたら、10円玉を公衆電話に入れて、家の外から電話をかけた経験がない人のほうが多いかもしれない。ケータイを持たない人を見つけることのほうが難しい現在では、電話「線」ってナニ?「アンテナで電波」じゃないの?と思う人も多いことだろう。
10円でゴメンねなぜ、10円なのか、それがなぜ、なぜウルトラマンの3分間なのか、首をかしげてしまうのが自然な時代に、今はもうなっているに違いない。(電話の歴史を楽しく眺めるなら、同じ時代、やはり同じ種ともこの「ないしょ Love CallのPV」を観るのも良い)
ことばが出てこない Telephone line
ピンチのウルトラマンみたいさ
制限時間 Three minutes
下に張り付けた動画は、デビューアルバムの後、何年もしてからリアレンジされたバージョンで、「電話の音」を多用した最初のアレンジとは非常に異なっている。すでに、この頃ですら、時代がアレンジの変化を要求したのだろう。
まさに、「歌は世につれ、世は歌につれ」である。
2010-08-29[n年前へ]
■「帰り方を教えてあげること」
中島京子「ツアー1989」のラスト近くにある言葉(と似た言葉)。
「僕は、(僕じゃない他の人たちが作り出した)吉田超人なんかじゃないってことだよ」
そして、もう一つ、と、つけくわえた。
「(自分自身の存在や居場所を見つけられずに戸惑っている)迷子を見かけたら、帰り方を教えてあげること」
2013-06-22[n年前へ]
■30年前、庵野秀明や岡田斗司夫が大学生時代に作った「ウルトラマン特撮映画」
島本和彦が(在籍していた)大阪芸術大学を舞台に、青春を描いた「アオイホノオ 」を読んでいると、同じく大阪芸術大学に在籍していた庵野秀明や岡田斗司夫が授業の課題で作ったという「ウルトラマン映画」が登場していました。その映画、ちょうど30年前の1983年に撮影された「帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令」をYoutubeで眺めてみると、これがセットもミニチュアモデルもほぼすべてが紙製だと思えないリアリティで驚きました。
映画動画「DAICON FILM - 帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令」を見た後、そのメイキング動画「DAICON FILM - 帰ってきたウルトラマン メイキング映像」をさらに見ると、何だか限りなく楽しそうで・活力があって、自分の中にエネルギーが注入されていくような心地になります。そして、舞台裏と完成映像の違いに、新鮮に驚かされます。
でもねぇ、大阪にその時いたのは、俺にしても…その最低の俺にしても、山賀にしても庵野にしても、多分ね、この番組を見ている君らとそんなに変わらないんだよ。
ガイナックスが生まれた本当の理由