2005-06-25[n年前へ]
■「遠くの景色」
たださんの日記の写真を眺めた。この写真の画角の少し外、右の外に私はかつて6年間住んでいた。写真の右後ろに見える「丸山」の頂上まで歩いて5分で行ける、そんな場所に住んでいた。「丸山」の頂上までは5分ぽっちなのに、ランドセルを背負って通っていた分校までは歩いて1時間かかる、そんな場所だった。信じてもらえないかもしれないけれど、小学校に入るまでは蒸気機関車が唯一の公共交通機関であるような、そんな場所だった。テレビはもちろん、NHKしか入らなかった。ガチャガチャとチャンネルを廻す必要なんかなくて、スイッチが一つあればいい、そんな場所だった。
山の下からほんの1, 2分で登ることができる丸山の頂上は、景色も良くてとても気持ちが良かったけれど、赤蟻の巣がところどころにあって、気をつけて寝ころばないと泣きたくなるくらいに痛く噛まれてしまうそんな場所だった。空は藍色のように蒼く、蒼くない空があるということを知ったのは、10歳の時に東京へ引っ越してからだった。冷たくない水道水がある、ということを知ったのも東京へ越してからだ。
きっと、今頃の高原野菜の出荷シーズンの畑の中や、その一帯で数軒しかない店先には、あの頃の同級生達がいるに違いない。他の学年と違って、1学級に「11人もいた」あのクラスの同級生達が何処かにいるに違いない。きっとあそこに今もいるんだ、と何故だかとても信じてみたいような気がする。そこにいなくても、きっとみんな何処かにいるんだ、と考えてみたいような気もする。
2006-06-25[n年前へ]
■「空」
from n年前へ.
仮に、同じ流星を遠く離れた恋人同士が見ることができたとしても、悲しいことに、たいていは違うところを見ているのである。…我々は他人とまったく同じものを見ることができない。残念だが。 「お笑いパソコン日誌」
蒼くない空があるということを知ったのは、10歳の時に東京へ引っ越してからだった。冷たくない水道水がある、ということを知ったのも東京へ越してからだ。
「空」 (自分が立っている所と違って)手の届かない、はるかに高い空間 新明解国語辞典
2008-10-04[n年前へ]
■無意味な蛇口
無意味なものを眺めるのは、とても楽しい。たとえば、今日見た「無意味なもの」はこんな水道の蛇口だ。何が無意味かは、下の動画を見ればわかると思う。何しろ、水道栓を右に回せば水道の蛇口が右に回り、水道栓を左に回すと水道の蛇口は左に回るのである。つまり、この水道からは水が永久に出てこない。
・・・・・・と、ここまで書いて考えた。もしも、「水道栓を右に回せば水道の蛇口が左に回り、水道栓を左に回すと水道の蛇口は右に回る」なんてことがあったら、どうだろう。つまり、栓を回した方向と逆向きに「アッチ向いてホイ」するのである。蛇口がたくさん並んでいる場所で、たとえば駅のトイレなどで、そんな蛇口を一個くらい設置しておくのも面白そうだ。
2010-01-26[n年前へ]
■井の中の蛙(かわず)、大海を知らず (初出:2005年09月17日)
浜辺に行くと、白い雲も少なくなって、完全に秋空になっていました。広い海と青い空を眺めていると、こんな一節が心に浮かびます。
井の中の蛙、大海を知らず
しかし、空の蒼さを知る
これは、誰かが荘子「秋水編」の有名な一節に「しかし、空の蒼さを知る」という一節を付け足したものだといいます。
井戸の中からでは、頭上に空いた丸い穴を通して、蒼い空が見えるだけです。そんな世界が限られた井戸の中からだからこそ、「空の蒼さ」を誰よりも知ることだってできることもあるのかもしれません。空しか見ることのできない井の中の蛙だからこそ、憧憬とともにその「空の蒼さ」を心に刻むことだってあるかもしれない、と思います。
そういえば、4歳の頃から6年間ほど、私は長野の野辺山高原に住んでいました。その後、野辺山高原から東京へ引っ越してから、「空が蒼くないこと」と「水道の水が冷たくないこと」に驚いた記憶があります。私がそれまで知っていた「空の色」は濃い藍色(リンク先はPDF)だったのですが、東京へ越してから見る空は「水色」でしたので、とても驚いたのでした。
長野の(少なくとも当時は)山奥で都会もろくに知らず、まさに「井の中の蛙」だったわけですが、先の詩の通り「空の蒼さ」は知っていたというわけです。
時折、自分がいる狭い世界でなく広い世界を眺めてみたい、という気持ちになることもあります。「井の中の蛙、大海を知らず」という言葉が頭に浮かぶことがあります。そんな時、同時に「しかし、空の蒼さを知る」という言葉も心に浮かびます。
あなたなら、「井の中の蛙、大海を知らず」という言葉をどんな時に思い浮かべるでしょう?そして、その言葉に「どんな一言」を続けてみたくなるでしょうか?