hirax.net::inside out::01月08日

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2001-01-08[n年前へ]

何がきっかけになるか判らない。 

 ふと思い出したけど、中学時代の先生に三枝先生という人がいた。私達を教えていたときに既に定年の数年前だったが、その先生と較べてしまえば武田鉄矢や山下真司なんて本当にニセモノにしか見えないような感じの先生だった。私が中学を卒業してから4年後の冬の終わりに亡くなってしまったが、その先生が「グレてる生徒がマジメになるきっかけはほんのささいなことだったりする」と言っていた。

 それは、たとえば、母親が化粧っ気も無しに働いているところを眺めて、「母親に化粧をさせてやりたい」と思ったりするとか、そんなことだ。

 ふと思い出したそのきっかけが、ヒッキーのクリスマス(仮)だったということは内緒にしておこう。

KORG M1のバッテリー交換 

 とても簡単なので、KORGの言うままに修理に出す必要はないと思う。

2002-01-08[n年前へ]

風邪直らず 

 前日に同じ。で、熱のせいとアマノジャクなワタシは封印ネタをアップロード。そーいや、今週金曜の朝日新聞夕刊のコラム中でhirax.netが登場するかも、という話だが「巨乳ビジョン」じゃマズイか? しかし、風邪のせいで今だメールの返事も(Tさんゴメンなさいー)年賀状も書けず、と。

ルーシー・ルーシー 

 カナダから来たルーシー。結構多いなこの名前。(リンク

2003-01-08[n年前へ]

Photoshop簡単プラグイン作成環境 

 PDLSをアップロードしました。とっても、簡単にプラグインを作ることができますので、ぜひぜひ色んなプラグインを作成してみて下さい。そして、せっかくのWikiなので、関連する情報を書き加えてみて下さいな、と。

送電線の向こうの夕日 

 まるで送電線の後光のように見える夕日。きれいで少し不思議な夕日。
 そうえいば、職場から車で30分くらい行ったところにアイススケートリンクがある。行ったことはないのだけれど、富士山の麓にある小さな遊園地の中のスケート場だ。景色もとっても良いところだ。
 考えてみれば、アイススケートなんてずいぶん長いことやっていない。だけれど、久々に滑ってみようかな、気持ちいいかもしれないな。インラインスケートとはずいぶん違うだろうけど、もしかしたらとっても面白いかもしれないいし。
 スケートをしている時に、何ていっても一番気持ちが良いのが、後ろ向きに滑っているときだと思う。どっちに進んでいるのかも判らなくて、見えないムコウに体をまかせていくときなんて考えるだけでとても気持ちが良くなる。だから、後ろ向きに滑るのはとても気持ちがよい。だって、先が見えた未来なんて少しツマラナイと思ってしまうからね。少なくとも、私は。

送電線の向こうの夕日






小さいPowerBook G4 

 これはなかなか。懐かしいPowerBook Duoよりも小型なPowerBook G4。欲しい。Kylixなんかが動くならすぐにでも買うんだけど、お気楽開発環境がないとなぁ…。 で思い出したのが、今日の実験室でふと交わしたこんな会話。「その時、カンベさん達はジョブスの家に招待されたんだけど、何だかジョブスはオカマみたいな感じだったって言ってたなぁ。」「けど、フィオリーナよりマシだよなぁ。」
 本人が聞いたら怒るぞ、きっと。

2004-01-08[n年前へ]

Appleのクラスタリング技術『Xgrid』テクノロジー 

Xgrid これはとっても簡単そうなXgrind。少し前に結構いじくりまわした「とっても使いやすい」大日本印刷のAD-POWERs 「通常のグリッドやベオウルフクラスタにくらべて - とっても簡単、利用者にプログラマビリティを与える、遊んでるPCをのっとる - がコンセプトで、複雑なタスクコントロールやIPCなどはまったく用意していなく、並列処理というより並行処理を容易に机上でできるよう考えられていて、エントロピアが似たコンセプトで、pthread使うほうが慣れとコツが必要なくらい」というAD-POWERsよりも、さらにもっと簡単かもしれない。実際、中身を眺めて使ってみると、ずいぶんと簡単にいろんなこと(だけどやっぱり単純な並行処理)ができそうだ。とりあえず、「グリッド」でない「並行」処理のプログラムであれば、既存のプログラムを一瞬で流用できる。これは、結構便利かも。

 とはいえ、複数ジョブを簡単に処理させようと思うと、WEB管理システムの付いているAD-POWERsの方が優れているかも。こっちなら、PCが苦手な人にも本当に気楽に使ってもらえるし。 from スラッシュドットジャパン

2005-01-08[n年前へ]

紫外線(UV)ミニライト 

 偽札を簡単に作ることができるようになった今日この頃、紫外線(UV)ミニライトを持ち歩いてみるのも面白いかも。
UVミニライトLEDアクセサリ偽札チェッカー付ボールペン TI-404-1 紫外線タイプ

PhotoshopCSの通貨偽造防止機能 

 PhotoshopCS搭載の通貨偽造防止機能を試してみた。結果は「新札(新しく発行されたデザインのお札)は検知されるが、旧札は検知されないかった」ということ。
大樹の日記※自称デザイナーhttp://hotwired.goo.ne.jp/news/news/technology/story/20040115303.htmlSlashdot | Photoshop CS Adds Banknote Image Detection, Blocking?

BACK TO THE 80's 

groovy diaryThe Commodore 8-bit WWW server コマーシャルで見かけたBACK TO THE 80'sを買う。2枚のCCDと1枚のDVDで、懐かしい80年代の32曲のビデオ・クリップと音楽が蘇る。クイーン、カルチャークラブ、ポリス、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド…、あの頃の懐かしい音楽と映像が入ってる。バグルスの「ラジオスターの悲劇(こちらはパロディ版)」もしっかり入ってるのもうれしい。Comodore 64で作られたオープニングで始まったミュージック・トマト・ジャパンやベスト・ヒットUSAを観ていた人は、必見かもしれません。

「二十年後の未来」 

 「つくば科学万博クロニクル」という本を買った。今から二十年前に開催されたつくば科学万国博覧会についてかかれた本だ。二十年前のあの頃を懐かしく思い出す人たちはもちろん、二十年前の過去に描かれた未来を知らない人たちも一度手にとってページをめくってみると良いと思う。例えば、高さ42メートル幅48メートル、(閉会式後に)2000インチ超大型ディスプレイの「ジャンボトロン」で"We are the world."を上映した「関係者10人だけの閉会式」の話など、「二十年前に描かれた未来の舞台裏」は間違いなく読む価値がある。

「科学技術を考える」 そういえば、つくば科学万博が開催された二十年前の1985年に発行された本が「科学技術を考える」だ。「万博会場の自動翻訳機を使って、エスキモーとケニア人が対話している。いまや、世界中が科学の力で結ばれている。ロボットにピアノを弾かせたり、似顔絵を描かせることが流行している。しかし、そんなことができたからといって、世界中に渦巻いている異民族間、異文化間の問題が何か一つでも解決したわけでもない」という書き出しで始まるこの本には科学技術の(その当時の)現状や未来(特に科学技術が人に対して何をなしていくか)が描かれている。

 この本の中で、坂村健は「新技術が研究されてから一般化するまでに二十年かかる」と言う。つまり、その当時の新技術が今現在2005年の世界を支えている(あるいは近い未来に支えていく)ことになる。科学技術の発展はそんなに速くない。科学技術を作っている側も使っている側も速いように思えるかもしれないけれど、実はそんなに速くない。車輪の再発明でない新しいことがたくさんあるわけではないのだから、二十年前の過去の未来を眺めてみると、今の未来が見えてくるかもしれない。二十年前に作り出された夢を振り返ってみると、自分たちの未来の方向が蜃気楼のように(だけど明瞭に)見えてくるはずだと思う。

「整数と小数」と「言葉と感情や雰囲気」 

ぽいんつさんの日記.(またの名をresidual.)お笑いパソコン日誌 2000年9月 「元々はそんなに意味がなかった」という、"point"と"residual"という名前を見て、一番最初に思い浮かべたのは「円周率は約3でいいか(2000/9/28 AM 11:05辺り)」でした。円周率πと(πの小数点"point"以下を切り捨てた、あるいは、円周率πを一番近い整数に整えた"adjust")3の間には、無限に続く少数で表される残差"residual"があるわけですが、この「円周率や誤差」辺りの話を読んで感じたこと(それをなかなか言葉で言い表せなかったりするのですが…)を思い出しました。
 点"point"で指し示しされたものと本来の何かとの残差"residual"や、小数点"point"で切り捨てられがちな残り"residual"の何か、あるいは、「厳密な意味からもれてしまいがちなある種の感情や雰囲気」といったものを思い出したわけです。 

むしろいとうせいこう氏のような(数式を言葉とみなせない)文科系作家は、言葉の厳密な意味からもれてしまいがちなある種の感情や雰囲気といったものを表現していくのが主たる仕事ではないんだろうか。

お笑いパソコン日誌 「円周率は約3でいいか」

2006-01-08[n年前へ]

北千住 

北千住北千住北千住北千住






2008-01-08[n年前へ]

「昔の街道」と「はらっぱ」 

 特に名所でも何でもない道を歩いているとき、遥か昔の街道や町並みが見えてくることがある。出張先でいつも通らない道を通ったとき、初めての町で景色を眺めているとき、いろんなものをきっかけにして、そんな景色が見えることがある。

 そんな風に思うのは、たとえばこんな時だ。道が柔らかく曲がっている。ゆったりと左に右に道が方向を変えている。そんな時は、昔の街道の雰囲気を感じる。そして、そんな時には必ず、その道端のどこかに寺社や祠がある。

 なぜだろう、昔の街道は定規で引いたような直線じゃない。いつも滑らかに傾斜し続けている。そんな感じがする。…そんなことを思いながら朝の道を歩いていると、「はらっぱ」を見つけた。「はらっぱ」なんて、久しぶりに見たような気がする。昔の街道沿いのはらっぱのてっぺんには、一体何があるんだろう?

蛇行する
川には蛇行の理由あり
急げばいいって
もんじゃないよと

  俵万智『チョコレート革命』

昔の街道沿い昔の街道沿い昔の街道沿い昔の街道沿い昔の街道沿い昔の街道沿い






2009-01-08[n年前へ]

人は「分類」や「単純化」を好むのだろうか? 

 ふと、「分類する」ということについて考えた。さまざまなものを、私たちは分類して整理したつもりになって安心してみたりする。あるいは、上手く整理することができなくて悩んでみたり、人ごとに分類の仕方が違って議論になったりする。

 本当の理科人間は理屈を言い争うディベートを好みません。どんな結論にも理屈はつけられるので、このようなコトバによる議論が、意味ある結論に導くとは思わないからです。

 今、hirax.netはRuby on Railsを使い作ったシステム上で動いている。そして、記事には、手動であるいは自動でタグが付けられている。そして、個別のタグが付けられた記事は、たとえば、hirax.net::Keywords::「才能」のブログ「才能」のブログという具合で、そのタグ付けされた記事だけを読むことができる(1,2)。とりあえずは、「分類」ということは諦めてタグ(キーワード)を付けることだけにしてしまっている。いや、もう少し正確に言えば、「分類」「分ける」ということははなからできない、と思っている。色々な見方があって、どんな見方をする人が多くて、自分の見方がどう偏っているかなかなかわからない以上は、「分類」「分ける」ということをしてみてもしょうがない、と感じてしまうことが多い。

 しかし、分けることはできなくとも、「近いもの」を見つけることはできるだろうは思う。近視眼的に、それぞれの色々な見方で「近いもの」を見る・見つけることができて、そんな近いものを想像してみたり・繋げてみたりすることは比較的簡単にできるだろう。頭の中で思い浮かべてみたり、あるいは、システム上で「距離」を計算してみたりすることだ。

 「分類」「分ける」ということは不可能なことのくせに、そのくせ、やたらに人を惹きつけるものであるように見える。それは、やはり、人が単純化したものを好むからなのだろうか。・・・と思うこと自体が、単純化・カテゴライズになっているのかもしれない。

ラクガキ






2010-01-08[n年前へ]

”今”を生きる私たちに向けて発せられた「ひとこと」 

 ほとんどすべての本で、単行本と文庫版の間には、あとがきの部分に大きな違いがある。単行本ではあとがきがないが文庫版ではある、というものも多い。また、その逆に、単行本では長い解説がついていたりすることもある。だから、単行本と文庫本の両方を読んでみると、新鮮に感じることがある。

 北村薫の「街の灯 (単行本) 」には、田中博による、「北村薫論」と「北村薫スペシャル・インタビュー」が掲載されている。このスペシャル・インタビューが、良い。

(昭和初期を舞台とした「リセット 」「街の灯」に関して)
北村薫:その時代の人には結局、”今”は見えないもんだなと。われわれの時代にしても、五十年経って、どう評価されるのかなんて分かりませんよね。どんなに頭のいい人でも”今”っていうことは評価はできないだろう。それなら、別のかたちで”今”を書いてみたらどうかという気持ちもありますね。
(「街の灯」の続編はあるのですか?という問いに対して)
 一応、予定として、この人はこうなるというのは、ぼやっとは浮かんでいるんですがね。一番最後の場面、ベッキーさんの言う台詞もわかっています。
 シリーズ最後の「鷺と雪 」で、ベッキーさん(別宮さん)は登場人物2人に、それぞれある「ひとこと」を言う。一人は、その言葉を聴き「護符をいただいたかのような表情で、そっと頷き」、もう一人は、「この言葉を胸に刻んでおこう」と思う。

 これらの小説は、昭和初期という舞台上に、”今”という瞬間が描かれている。だから、小説に登場する登場人物たちは、”今”を生きる私たち自身である。

 この、”今”を生きる私たちに向けて発せられた「ひとこと」に、少しばかり、目を通してみるのも良いと思う。

2013-01-08[n年前へ]

続 「吹雪中の視界距離の公式」で知る「雪を舞わせる風の怖さ」 

 「吹雪中の視界距離の公式」で知る「雪を舞わせる風の怖さ」で使った「吹雪中の視界を示す式」は、このようなものでした。
 視程(m)=10^(-0.886 Log[飛雪空間密度(g/m^3) 速度(m/s)] + 2.648)
この式は、視界(視程)が「1立方メートルあたりに存在する雪の重量(飛雪空間密度)」と同じくらい「雪の速度」に影響を受ける、というものです。 つまり、たとえば風速(雪を動かす風)が2倍増すと、目の前を舞う雪の量が2倍増えたのと同じ程度の影響がある、という式です。

 この式は、単純に解釈しようとすると、少し不思議に感じられる式です。なぜかというと、ごく単純に考えると、風速(雪粒子の相対速度)が増しても視界の程度は変わらないように思えてしまうからです。

 たとえば、冬景色に対して、ほぼ無風下でほんの少しの雪が降っていたとします(下左写真)。雪粒子の量が10倍に増えた場合の視界を、光の演算や視覚がすべて線形な重ね合わせができるという条件下でシミュレーション計算してみると、下右写真のようになります。確かに視界が悪くなっています。

 

 しかし、同じように今度は、雪の量を10倍に増やすのではなく雪の速度を10倍に増やし、(さきほどと同じように)光の演算や視覚がすべて線形な重ね合わせができるという条件下でシミュレーション計算してみると、基準視界(下左写真)は下右写真のようになります。…おや、視界が悪くなるどころか、むしろ「わりと綺麗に景色が見えている」ような結果になっています。

 

 すべての演算に線形性が成り立つとすると(また、風景中に反射率が低いものしかないという条件でない限りは)、「雪粒子の速度が増しても、視界が悪くなるわけではない」という結果になってしまいます。なぜかというと、雪の動きが早くなると、刻々の瞬間に各々の方向に対して雪が景色の「見え」を遮る・白く見せる効果が平均化・均一化され、結果として「視界全面に対して”雪が存在する比率でコントラストを低下させる”」という効果しか生じないからです。

 しかし、それは「現実の吹雪中の視界の程度」を反映していない(冒頭の式とは挙動が違う)ということは、「すべての演算(光演算や視覚)がすべて線形な重ね合わせができる」という前提は「合ってない・間違ってる」のだろう…ということになるわけです。

 風速(雪を動かす風)が2倍増すと、目の前を舞う雪の量が2倍増えたのと同じ程度の影響があるというこの式は、意外に面白い式です。冬の夜長のこの時期、こんなパズルを解いてみるのはいかがでしょうか。

続 「吹雪中の視界距離の公式」で知る「雪を舞わせる風の怖さ」続 「吹雪中の視界距離の公式」で知る「雪を舞わせる風の怖さ」続 「吹雪中の視界距離の公式」で知る「雪を舞わせる風の怖さ」






2014-01-08[n年前へ]

「ギネスビールの下に沈む泡」をOpenFOAMで計算してみよう!? 

  ビールをグラスに注ぐと、「グラスの中の泡は上に浮かび上がっていく」のが普通に思えます。けれど、たとえば、ギネスビールをグラスに注ぐと、グラス中で泡が下へ下へと沈んでいくさま(ギネス・カスケード)を見ることができますし、実はギネス以外のビールや水ですら、そんな「下に沈んでいく泡」を見ることができます(参考:ギネスビール風「下に沈む泡」を作るコツ)。

 ビールを心から愛してる知人が、フリーのシミュレーションソフトウェア(開発プラットフォーム)であるOpenFOAMを使って、「ギネスビールの下に沈む泡」 を(正月休みの自由研究として)シミュレーション計算していました。非圧縮流体ソルバとDEMのソルバを組み合わせた連成解析ソルバを、(使いたてなので)かなりの試行錯誤=時間を費やして、けれど「たった8行のC++コード」で書いて5分のCPUタイムを使って計算されていました。

 計算はグラスの断面右半分です。白い球は直径60μm(1mmの100分の6)の泡、ビールの粘度を10cP(水の10倍)としてみました。グラス中央では泡は浮力によって上向きに移動しますが、ガラス面では下向きに移動しています。ギネスは真っ黒で中央の泡の動きがみえないため、人間の目には泡が下向きに移動しているように見えます。



 以前、「ギネスビール風「下に沈む泡」を作るコツ」で紹介した、シミュレーションソフト FLUENT を使った「ギネスビールの泡は上がるか下がるか ?」では、「ギネスビールの下に沈む泡」の秘密をシミュレーション解析で解き明かしつつ、こんな風に書いています。

 古来, 人類は不可解な自然現象 に悩まされてきました. 由緒ある黒 ビール 「ギネス」 の泡がグラスの中 で下降しているように見えるのはな ぜだろう ? この現象は泡の物理的特 性に反するのでは ? ―― この単純 な疑問は, 何世紀もの間, 哲学者 や理論家達の論議の的となりながら も, 答えはみつからないままでした. しかし,数値流体力学 (CFD) により, 絶対的で信頼できる答えが導き出さ れました. 泡は上昇すると同時に下降していたのです.

 こんなカッコ良すぎる「いいセリフ」に書かれているような「何世紀もの謎を解き明かす作業」を、自分の意志で自由に使うことができる時間や道具の範囲で、つまりは「自由研究」でできる…って凄くいいな!と思います。

2017-01-08[n年前へ]

ネット画像から有名人の個人情報(静脈パターン)を可視化してみよう!? 

 SNSなど投稿した「ピースマークなどの指写真」から指紋を推定する記事「指紋がネットで狙われている! 手の画像は悪用恐れ… 国立情報学研が新技術の実用化目指す」を読みました。写真の解像度が高ければ、指紋の抽出は確かにできそうです。もっとも、2017年時点の、よくある撮影解像度やアップロード画像解像度を考えると、指紋抽出はまだ困難な気がします。

 撮影の解像度だけを考えれば、皮膚内での波長毎の吸収・散乱特性の違いによる静脈可視化の方が楽かもしれません。掌を走る静脈は、その模様が人ごとに違うため、個人認証機器に多く使われたりします。そこで、各波長(RGB画像)の特性の違いを利用して、静脈推定をしてみることにしました。

 まずはネット上から掌が映った写真を探してみることにします。有名人の掌が映った写真はとても多く、観客に手を振る写真・演説中に両手の掌を開いて聴衆に見せている写真など、さまざまなパターンの画像が手に入ります。

 そして、静脈を可視化するために色の違いを利用するとなると、重要なことは「圧縮率が低い画像を探す」ということです。なぜかというと、人の視覚系は明度に対しては敏感ですが、色の違いに対しては解像力が低いため、多くの画像ファイルでは色情報が圧縮され低解像度になっているからです。

 圧縮率が低く・掌が映った有名人画像を探してみると、まず最初に見つかったのが綾瀬はるかさんの写真です(下左図)。この画像に「静脈部分を抽出する画像処理」を掛けてみると、皮膚下を走る静脈が浮かび上がってきます(下右図)。

 静脈模様を可視化する用途には、ネットにアップロードされている画像では圧縮率が問題になります。しかし、自分で撮影する画像なら、撮影さえすれば、圧縮が掛かっていない画像が手に入ります。…ということは、個人情報を狙われやすい有名人の人は、静脈模様を覆い隠す「静脈盗撮防止用のコンシーラー」などが必需品になるかもしれません。