hirax.net::inside out::01月25日

2001-01-25[n年前へ]

Left Eye

カンバスから飛び出す「名画の世界」でホントのところ書いてみたかったのは、色んな見方が世の中にはあって、まずは同じ場所から眺めてみてからその後に他の場所から眺めてみるのも良いのかな、ということだった。でもって、次の日の英語のレポートの宿題は、片目で覗くカメラと視点の話なんかを書いてみた。
 で、次の日は「Pandora's box + 掌の中の答え」で、世の中には二つの状態が常に存在していて(以下略)
 じゃぁ、今日は何を書いたかはさておき、Right Eyeのリンクでもしておこう。

 「この観劇の前日にある友人が亡くなったこともあって,人・右目の死が琴線に触れた.シャッターが落ちるように,一瞬でいなくなってしまった彼.正しい目(Right Eye)を亡くして,残された目(Left Eye)は何を見つづけよう.何が見えるのだろう.」from まほろの観劇記録1998年 (リンク)(リンク

2002-01-25[n年前へ]

電話料金

 私の携帯はCdmaOneのGLOBAL PASPORTなので、香港でも通常通り使える。といっても、バカ高い通話料金を除けば、である。「渡航先にいる携帯」から「渡航先の国の電話」は安いのだから、「渡航先の国の電話」から「渡航先にいる携帯」も安ければ良いのに…。
 それにしても、auのWEBは無意味に装飾がされていて、非常に作りが悪いと思う。(リンク

2003-01-25[n年前へ]

北朝鮮の反米ドラマ

 面白い。どうみてもホストクラブ愛のホストのようなアメリカ人が登場してきたり、お色気満点のサービス番組だったり、色んなテレビ番組で放送しているのだけれど、いや実際面白い。思わず、ビデオに録画してしまったくらいだ。

今日の新穂高ロープウェースキー場


 新穂高ロープウェースキー場に日帰りで行ってみた。松本辺りまではとても良い天気だったのに、新穂高では天気は今一つの曇り空。下のゲレンデではたまに日が射したりもしたけれど、上のコースは曇りっぱなし。というわけで、天気は今ひとつだったけれどやはり滑りがいはあるし、ラングのバンジー1もOGASAKAのKEO'Sもなかなか良い感じだし、ゲレンデ内の温泉も気持ち良いし、もちろん満足なのである。
 少し気になったのが今年履いてるダンロップのタイヤ。例年はブリジストンのスタッドレスなのだけれど、今年はダンロップのを履いてみたが、コイツがこれまで履いていたものよりも滑るように思う。困ったものだ。

今日の新穂高ロープウェースキー場今日の新穂高ロープウェースキー場今日の新穂高ロープウェースキー場






2004-01-25[n年前へ]

今日の新明解アンコール「空」「大空」

「空」

自分が立っている所と違って手の届かない、はるかに高い空間。
from n年前へ

「大空」
晴れの日に野外で上を仰ぎ見た時、無限に続いて見える、広い空間。
from n年前へ

資料作り

 松任谷由実を聴きながら、講習会の資料をカチリカチリと作る。

カッコがつかない…?いやきっとつく。

 『「強弱」の定義って、ナニ?』というツッコミをされた方の名前に、ふと必然を感じたので書いてみようと思います。

 前に

弱者はなかなか強者にはなれないし、強者は弱者をほとんど例外無しに理解し得ない。
と書きました。昔の文章を書き直すのもどうかと思うので、書き直しはしませんけれど、
「弱者」はなかなか「強者」にはなれないし、「強者」は「弱者」をほとんど例外無しに理解し得ない。
と書き直しておけば良かったかな、とは思っています。「カッコ」を付けておけば良かったな、と思っています。文章で書くなら、…チョーさん風に言えば、「いわゆるひとつの」という感じです。「いわゆるひとつの」強者、「いわゆるひとつの」弱者という感じでしょうか。いくつもある言葉の意味の中の一つ、という感じかもしれません。あるいは、それだけでなくて、もっとシニカルな意味が入っているのかもしれません。

 例えば、-アメリカという「正義の味方」-というニュアンスや、-あなたは誰にでも「いい人」でいたがるのね-とか、そんな感じかもしれません。その「正義の味方」や「いい人」というのは、本当に正義だったり良かったりするかどうかはちょっと疑問、ていうニュアンスがありますよね。そんな感じかもしれません。 …「かもしれません」なんて書いていると言うことは、つまりは書いてみたけれど、私自身よくわからないわけです。

 結城さんのインタビューの中で、「強い人」「弱い人」とカッコ付きなのが、そんなニュアンスで書かれたのかどうかは判りません。編集者の方がつけたのかもしれませんし、あるいは結城さんが特にそういう意図でなく、カッコをつけてみただけかもしれません。ただ、そのインタビューを読んで、あぁやっぱりその「強い人」「弱い人」にはカッコがついているなぁと私は思ったのでした。

今日の夕日 それでも、もしも『なにか「強い人」の定義があったらなぁ』と思うのでしたら、例えばこういうのはどうでしょう?例えば、結城さんの「強い人」へのアドバイス、『世の中には「正しければ良い」って思う人がいるんですよね。正しければ相手に何を言っても良い。相手の本当の姿なんだから、相手に突きつけても良い。正しいことがすべてだ、と』というアドバイスが必要な人が「強い人」だ、というちょっと逆向きな定義はどうでしょう?『「正しければ良い」って思いがちな人』が「強い人」だ、っていう定義はどうでしょう?あくまで「カッコつき」の「強い人」の定義になってしまいますけれど。

 もちろん、気になされている定義というのは「カッコのつかない」ものに対する定義なのでしょう。ところが、実のところ、私は「カッコがつかない強い人」というものをその言葉の意味も含めてよく想像することができません。意味すら想像できないのですから、そんな人が実在するのかどうかなんて、全然わかりません。もしも、そんな強い人というものが実在するのなら、それは「人じゃない」んじゃないか、とすら思ってみたりします。つまり、もしも「カッコをつけなければ」人は全て弱いと思っているわけです。そして、それとは逆に「強い人」というのは、もしかしたら「自分にカッコをつけてしまっている」のかもしれない、とも思うわけです。

2005-01-25[n年前へ]

富士山

 朝6時の駐車場は軽く凍っている。試しにパックをアスファルトの上に置いて、足で蹴ってみると、ずいぶん遠くまで滑っていく。富士山の左手に見える光柱は、みるみる間に沈んでいく朝の月。富士の裾野に見えるVの字は小さなスキー場。ほんの3時間の後に同じような景色を眺め直してみると、そこはまるで別世界。


富士山富士山






「舞い落ちる枯葉と、名刺落下のはためき」

花便り 「秋になると枯葉が不規則に舞い落ちるのをよく目にする。流体力学の複雑さを象徴する現象として教科書にもしばしば登場する。この舞い落ちる枯葉の数値シミュレーションを行うために、(何故か)手から離れた名刺が左右にヒラヒラとはためきながら落下するようすを計算してみた」という「舞い落ちる枯葉と名刺落下のはためき
 寺田寅彦が椿の花が落下するようすを描いた「思い出草」の話を思い出す。寺田寅彦が理研の庭の椿の花を観察した話をふと思い出す。 

2006-01-25[n年前へ]

裾野

Title 昼休みの箱根側の山。一月の終わりにしては、寒くない。目の前に立っている鉄塔に繋がれた送電線の先を眺めると、箱根の山の先まで続いている。箱根の山にはかすかに白い雪が残っていて、青い空には白い雲も浮いている。
 携帯電話の液晶ごしに眺めた「今日見た景色」

2008-01-25[n年前へ]

「泪橋」と「思川」

 「泪橋(なみだばし)」といえば、ボクシング漫画「あしたのジョー」の舞台となった場所だ。東京都北区王子の王子神社と南の飛鳥山の間から、石神井川の水をせき止め東へ流した石神井用水(音無川)が、王子→田端→西日暮里→日暮里と流れ、三ノ輪まできたところで流れが分かれ、その一つが思川として隅田川に白髯橋付近で注ぐ。その思川にかかっていた橋が「泪橋」だ。


 泪橋という名前にはこんな由来がある。

 浅草方面から来てこの水路にかけられた橋を渡ると、そこには当時「仕置場」と呼ばれた千住小塚原の処刑場がありました(今の回向院あたり)。処刑場に運ばれる囚人達がもう二度と戻ることのできないこの橋で、皆、泪を流したとも、見送りの人たちとここで泪で別れた、とも言われ、この橋が囚人達が「娑婆」と最期の別れを告げる場所となっていたようでした。このような成り行きで、この橋が「泪橋」と呼ばれるようになったのだそうです。


 思川は荒川区と台東区の区境となっている。しかし、思川を見ることは、今はもうできない。思川の水の流れの上に「明治通り」が作られたからだ。泪橋も、現在では明治通りの上に掲げられた交差点の名前「泪橋」に姿を変えている。


 冒頭の「あしたのジョーの一こま」を見たとき、ふと、あしたのジョーの「丹下拳闘クラブ」が思川の千住小塚原の処刑場側の橋下にあったことに気がついた。つまり、思川の「浅草と反対側の川辺」に丹下拳闘クラブが建てられていた、ということである。


 ジョーが「あっ…」と叫び丹下拳闘クラブを見つけるシーンで、川の水は右から左に流れている。川の流れが「右から左に流れている」と見える理由はいくつかある。その中で一番大きな理由は、「漫画ではあらゆる”流れ”は右→左に進む」というルールである。ストーリーも読者の視線もすべてが右から左に流れる中では、描かれた思川も右から左に流れていると見るのが自然だ。思川は西から東に向かい隅田川に注ぐから、丹下拳闘クラブは、思川の北、かつての仕置場側にあったことがわかる。鑑別所・少年院を経て、浅草の山谷のドヤ街近くで練習をする「あしたのジョー」は、思川(おもいがわ)の仕置場側にいる。そして思川を越え泪橋を渡る。


 「あしたのジョー」と、「娑婆」と「仕置場」の間に架けられた「泪橋」を渡る人たちを重ね眺めてみる。横断歩道に姿を変えた泪橋の交差点を眺め、道の下の思川を歩いて渡る人たちを見る。「思い(おもい)」と名づけられた川の上にかかる泪橋を渡る人を見る。


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泪橋