2004-10-13[n年前へ]
■もしかして「萌え」、もしかして「腐女子」、もしかして「女子高生」
もしかして「萌え」、もしかして「腐女子」という素晴らしい誤字訂正指摘機能。これは、民主主義に基づいて「多数派が正しい」「正義は多数決で決める」システムをGoogleは採用しているということだろうか? ちなみに、「女子大生」は「もしかして女子高生」だという…。
2005-07-02[n年前へ]
■理系といえば白衣…!?
少し前にJR品川のSTARBUCKSであった話だ。小さな円テーブルを前に座る私の正面には木村拓哉と生瀬勝久を足して2で割ったようなディレクター氏がいる。私の左横にはガレッジセールのゴリ似のAD氏がいて、ビデオ・カメラを私に向けて(カメラ・テストかなにかをして)いる。そして、すぐ右では真面目そうな女子高生が勉強をしている。女子高生はディレクター氏と同じ向きで座っているので、私の方に顔を向けていて、ディレクター氏からは顔が見えない。
ディレクター氏が「オッパイ星人」なんて言うたびにに、真面目そうな女子高生はイヤそうな視線を繰り返し繰り返し私に向ける。そのキツ〜イ視線は私でなくて木村拓哉氏(もしくは生瀬勝久氏)かゴリ氏に向けて欲しいなぁ、と私は神様にお願いをする。しかし、女子高生は(気弱そうな)私にだけそのキツイ目を向ける。あぁ、「弱い部分を攻める」のは戦略の基本鉄則だよなぁ、と思いながら私は女子高生から目をそらし続ける。
そして、話が終盤に入った頃、AD氏が聞く
AD: やっぱり、いつも白衣を着てるんですか?あぁ、この道は何度も通った気がする。この言葉は何度も聞いたことがある(他の定番パターンは「やっぱり、部屋の中はアレですか?色んなモノがあるんですか」だ)。それじゃぁ、「理系のコスプレ」だよなぁ、と思いキッパリ答える。
白衣は全然着ないです…(三点リーダーがキッパリでないような気も?)「理系=白衣」というようなステレオ・タイプな理系像だけでは面白くないしねと頭が思いながら、何故か口が勝手に動き始める。
どっちかというと、作業服ですよね。明和電機の兄弟が着てるようなやつです。
AD: あぁ、(ノーベル賞で有名になった)田中さんみたいな?
そうそう、そんな感じのアレですね。技術系はやっぱりアレですね。うん。
AD: なるほど。なるほど。あぁ、これもやっぱり「ステレオ・タイプな技術系像」だ…。看護婦の白衣と同じくらいの「技術系のコスプレ」だ…。隣の「女子高生」はそんな会話を聞きながら、またイヤ〜な顔を私に向ける。「田中さんのアレ」や「明和電機のアレ」では、女子高生には好かれないだろうなぁ…。だけど、そのキツイ視線は辛いなぁ…。
2006-10-24[n年前へ]
■「UNIXコミュニティと女子高生」
from n年前へ.
まずUNIX コミュニティにおける言語と女子高生コミュニティにおける言語の相似性を提示する。次にこのような言語体系を生み出す環境の認知心理学的類似性について考察し、UNIX が女子高生と数学的に等価であることを示す。
2010-02-20[n年前へ]
■モテ顔美人の写真が撮れる「プリントシール機」の開発競争
広がる女性ビジネス、モテ顔美人の写真が撮れる「プリントシール機」の開発競争をレポート。最先端ゲームに注目が集まる展示会「AOU2010 アミューズメント・エキスポ」が19日、千葉県の幕張メッセで開催された。
バンダイナムコゲームスの資料によると、15歳~22歳の女の子はSNS「mixi」上に日常的にプリント画像をアップしている行動を市場調査からキャッチ。かつてのプリ帳から携帯電話端末を使った“フォトアルバム”の見せ合いで楽しんでいるのでは、と女子高生らのネットワーク変化を分析している。
2011-04-23[n年前へ]
■「黒体放射」する「自転車に乗る女子高生のお尻」
高校生の頃、女子高生の「制服」に心の底から憧れていました。通っていた学校は共学だったのですが、自由気ままな服を着ることができる私服の学校だったこともあり、「人(ヒト)は自分が持たないものに憧れ・好きになる」という世界の原理原則にもとづいて、それが「ブレザー」でも「セーラー服」でも「それが制服でありさえすれば、素晴らしい」という制服マンセーな太く固い背骨を得て、さらに「制服という型を守り抜く心」にこだわる精神構造を得るまでに至ったわけです。
たとえば、建築で言えば、鉄骨建築が理系で、プレハブ住宅が文系なのである。プレハブ住宅を支えるのが壁であるように、皮膚の感覚を大事にするのが文系で、力強くそそり立つ鉄筋コンクリートのごとく、骨から組み立てていくのが理系なのである。つまり理系は骨があるのである。詩で言えば、散文詩は文系で定型詩が理系なのである。つまり、理系は型を守り抜く心を持つのである。
だから、たとえば、理系は女子高生の制服が大好きなのである。ありとあゆる個性を持つ女子高生たちをセーラー服(あるいはブレザー)という記号で記号・集合論的に取り扱うことを可能にし、ついにはその制服を見るだけで萌えることができる、それが理系なのである。
「めがねっこ大好き。 」
そんなわけで「女子高生の制服こそが世界の至宝の存在だ!」と信じていたわけですが、そんな風に思いつつも、ひとつだけ「これさえなければ…」と感じることがありました。その「女子高生の制服」のここさえなければ…と感じていた部分というのは、自転車通学をする女子高生は、例外なく、制服のお尻部分が実にグロッシーにテカっていたことでした。黒い色の制服が好きだったこともあって、その黒い制服に白く輝くテカリを持つことに違和感を持っていたのです。
制服のは粗い繊維でできています。そんな制服に光があてられたとき80パーセント程度の光は繊維内部に入り・そして繊維の中で吸収され、やがて熱エネルギーに変わります。残りの20パーセント程度の光は、スカートの繊維表面で反射し四方八方に散っていきます。四方八方に散る…ということは、どこかひとつの方向に反射するわけではありません。つまり、スカートがテカって見えるということはないわけです。
ところが、毎日自転車のペダルを漕いでいる女子高生たちの制服は、サドルとお尻で擂(す)り潰(つぶ)されて、繊維表面が真っ平らに変形していきます。表面が凸凹とした繊維からの反射光は強くありませんが(テカりませんが)、表面が平らに潰された繊維からの反射光は強く・そんな制服を育てた「女子高生のお尻」はテカり輝いてしまうのです。
自転通学する女子高生たちは、見るからに輝いています。そして、そのお尻もまた輝いているのです。その黒い制服が輝くようすを、極めてわかりにくく表現するならば、それはエネルギーを反映して光り輝く黒体放射にも思えます。
ところで、女子高生の制服(スカート)は、最初から光沢仕上げの繊維で作った方が良いのかもしれない、と妄想します。最初から光沢を持っている繊維ならば、表面がもとから平滑な繊維ならば、毎日自転車に乗っていてもお尻が黒体放射してしまうこともない…と思う一方で、全身テカリまくりの制服は絶対ダメだ〜とも考えたりするのです。ということは、「自転車に乗る女子高生のお尻」は未来永劫「黒体放射」し続ける…それはそれでいいのかも、しれません。