2001-04-14[n年前へ]
■今日届いたメール 「トイレ作法編」
「女性が立って男が座るのが常識の国もあります。
私の育った日本のイナカ(穀倉地)では、今80歳以上の人は小は男女ともに立ったまま行うのが普通でした。さすがに大は座る(しゃごむ)のですが。そういう風に風に育てたれた私は、やはり女が座っての小がなじめないままでいます。
パンツ(下着)というものも、20年位前はイナカのお年よりは着ませんでした。女は腰巻、男はふんどしは巻きますけど。それで、女がもよおすと、着物(スカート)のすそを少し持ち上げて出すのです。厠(トイレ)のつくりも、そのようになっていました。昔は。」
(リンク)(リンク)(リンク)(リンク)(リンク)
日本がこんなに狭くなったのはいつ頃からなのでしょうか?
■今日届いたメール 「スカート編」
「男がスカートを着て、女がズボンを切るのが常識の国もあるようです。欧州のほうでは、男の人がスカートを着るのがさほど奇異でないですよね。スコットランドでしたっけ?バグパイプを扱う人はスカートですよね。
日本でも、浴衣や着物は、見ようによってはワンピースですよね。はかまはキュロットスカートに見えませんか?(強引!ですね。)
ワンピースといえば腰のベルトがつかない形のは、見た目よりも風通しが良くて、夏はすごく楽なのですが、冬は寒いです。男の人にも是非夏の仕事着省エネルックで採用していただきたいです。よく高校野球の応援で上半身裸の人がいますが、こういうときにワンピースは一番良い服だと思います。
いつのまに、日本では、男はズボン、女はスカートになったのでしょうか?」
剣道をやってた頃、ノーパンで袴を履く先生も数多くいました。横から見えるのがちょっと、いや結構なんだかなぁ、状態でした。
■ふと思ったこと 周りは鏡?
あぁこの人はスゴイなぁとか、この人の手伝いをしてみたいなぁ、と思う人とたまに出会う。だけど、そんな人は何故かみんな「周囲に恵まれただけで、私の力じゃない」と言う。周囲に恵まれたのは偶然じゃない、とその人達を眺める私は思うのだけれど。
2002-04-14[n年前へ]
■WWWC
あまりツールの活用ができないワタシだけれど、WWWCをブックマーク代わりに「少しは」使ってみている。とはいえ、実は本当に好きなページはWWWCに入れていない。
もう更新されないんだろうな、と思いつつも時折見に行く「ちゃろん日記」なんて、WWWCに入れるわけがない。
そういえば、ニガシオが復活してた時もそうだった。見えないんだろうな、と思いながらも見に行ったその日偶然復活してた。なので、そこそこアナログなワタシはそんな偶然を信じて、大好きなページはWWWCには入れたくないのだった、と日記には書いておこう。
2003-04-14[n年前へ]
■テキストサイトのアクセス数 < ニュースサイト < アダルトサイト」という当たり前の現実
オモシロイ話はないのかな、と「読我新聞」を見ていると、hirax.netの「株価情報」が
銘柄「できるかな?」¥2691→7901と上昇。「偵察衛星の視力はいくつ!?」ページが「カトゆー家断絶」にて取り上げられたことが理由かと思われます。と解説されていたのである。なるほどなるほど。
しかし、私は「テキストサイトのアクセス数 < ニュースサイト < アダルトサイト」という現実を知っているのである。残念ながら、色んなニュースサイトにリンクされてもなかなか8000 IPアクセスまではいかないのである。ここまで急に「株価」が上がるのはアダルトサイトにリンクされた場合だけ、なのだ。現にこのhirax.netの情報を見てみると、実はアクセスの過半数はアダルトサイトからリンクが貼られている「ブラジャー解体新書」であることが判るのだ。
オモシロイものだなぁ、と思う。これが現実なのである。
アダルトサイトが実は影の巨大なポータルサイトになっているのである。アダルトサイトを見に行く人は実はそこ経由で色々な普通の(決してアダルト情報のみでない)サイトを見に行くのである。人は聖人君子ではないが、エロ「のみ」でもないのである。そこでhirax.netはエロサイトだと反論されたら、困ってしまうのだが。
2004-04-14[n年前へ]
■ATOKでperl(やその他大勢)プラグインを作った理由
麗美さんに
わはは。12日のぷらぷら日記に書いたことが聞こえたみたい(笑い)とツっコまれていました。当然ながら、それは聞こえていて、そのぷらぷら日記の影響も大きいです。ところが、実はATOKでperl(その他大勢)プラグインを作った理由への一つが、そもそも麗美さんたちの影響が大きいです。何故かというと、それはそもそもpukiwikiのプラグインに影響されているからです。
仕事用のメモや日誌はpukiwikiに書いているのですが、そんな時にはnow?とか#contentsとか#commentとかのプラグインがとても便利で使いまくるわけです。そしてそんな環境に慣れてしまうと、普通のエディタやその他のアプリケーションで作業していても、同じようなコマンドが使えないとどうにもストレスが溜まってしまうようになります。そこで、ATOKにその機能を持たせることにしたわけです。つまり、pukiwikiの作業環境をいつも使いたいから作ったのです。
最近、私の仕事周りでは各自のノートPCではもちろんpukiwikiが動いていますし、もちろんグループ用のサーバーでも動いているわけです。色んなアイデアメモや作業日誌やエトセトラ・エトセトラが色んなpukiwikiで記録され続けています。もう、使う人の数よりpukiwikiの数の方が多いくらいです。いや、人の数よりタスクの数が多いような環境下では実際そんな感じになってます。もう、pukiwiki無しでは仕事の作業効率が下がりまくりになるに違いありません(じゃぁ、そんなpukiwikiくん達が公認されているか、というのは実に残念ながら別問題なのですが…)。というわけで、各種開発者やドキュメント作成者の方々には感謝感謝の日々なのでした。
■4次元サイコロの秘密
四次元空間で「4次元サイコロの秘密」を振ってみよう。 from ■Syntax Error■
■エンジニアは職場でこう見られている
「エンジニアは職場でこう見られている」 これはとても面白い。要チェック。
■NIKEHOCKEY
ドラマ「プライド」のホッケー・シーンに「何だかなぁ〜」と思っていた人にはこんなNIKE CANADAのホッケー・ビデオ。 音楽もいい感じ。
■人間の精神力、気力の限界
リコーって何だか面白いなぁ。
精神的苦悩と焦燥から肺浸潤に掛かるが、…マラソンの抵抗療法を始める。150日に及ぶ監房生活中、拷問の苦痛の限度には気絶があって耐え得られること、…を知る。踏切りで乗用車が電車と衝突、死体安置室で意識を回復するほどの重傷を受ける。運転手は即死。再度人間の精神力、気力の限界を試すため、麻酔なしの手術を受ける。…スゴイ人だ市村清さんという方は。
■「研究開発リーダーの条件」
技術情報協会主催の明日・明後日開催の「研究開発リーダーの条件」 ちょっとプロジェクトX風なタイトル・内容なのかな。
2005-04-14[n年前へ]
2006-04-14[n年前へ]
■「ネットで渋滞シミュレータ」
Javaで動く渋滞シミュレータを紹介している「ネットで渋滞シミュレータ」
■ソンクラーン
本当に子供が多いよねえ、子供が多いということは、未来に希望が持てたということですよね。
川本三郎
〜木村井兵衛の13万コマ〜蘇る昭和の記憶
そういえば、私たちは昭和四十年代以降、町なかや、路地のそこここで子供たちの喚声をついぞ聞かなくなった。町から子供たちを消して一体、私たちは何を獲得したというのだろう。間違いなく人々は今未来を見失っている。 清野徹 「ドッキリTV語録」
2008-04-14[n年前へ]
■「バルコニー特許」の幾何学
建築基準法に基づいて建築物の容積率は決まる。それにしたがって床面積も決まる。
ところで、建築基準法上は「バルコニーのような外部に開放された部分は、幅2mまでは床面積には算入されない」という。そのため、
バルコニー面積が容積に参入されると、販売面積が減少し売れ行きが悪くなるため、必然的に世の多くのバルコニーは「幅2m以下」になっている。という。
「バルコニー特許」は、バルコニーの形状を工夫し、「幅2メートル以上だけれど、床面積には算入されないバルコニーを作る」というものだ。確かに、そう説明されて眺めてみると、4m×4mの10畳ほど広さのバルコニーが、(ほとんどの場所で)外部から幅2メートルの範囲におさまっている。
なるほど小さなアイデアのようだけれど何だかとても面白い。バルコニーの形状を、さらに形を変えてみたりしたならば、さらに有効利用できるようになったりすることもあるのだろうか。
2009-04-14[n年前へ]
■「文学」や「科学」や「学問と呼ばれるもの」を楽しめること
「文学」や「科学」や「学問と呼ばれるもの」にはたくさんの共通点があるけれど、必ず備えている共通点の一つが「何かに役立つこと」だと思う。たとえば、「さまざまなことを予測すること(わかること)ができるために、機械を作り上げたり、未来を予測したりできること」とか「心をとても豊かに、気持ちよくしてくれること」といったものを、「文学」や「科学」や「学問と呼ばれるもの」は必ず備えている。
言うまでもなく、(非常に限られた範囲であっても)未来を予測できる科学は多いし、その一方、小説だって、現在の科学以上に物事を精微に描き出し、そして、過去から現在、さらには未来までも解説してくれるものも多い。結局のところ、「心をとても豊かに、気持ちよくしてくれること」というのは、過去から未来・そして、その狭間にある、現在を説明・理解させてくれるものであることも多いと思う。
歴史は繰り返す。方則は不変である。それゆえに過去の記録はまた将来の予言となる。
寺田寅彦
もしかしたら、それとは逆に、その過去から未来への鎖から放ってくれるような楽しさを持つ「科学」「文学」なども多いかもしれない。SF小説などは、その一つかもしれない。いずれにせよ、「文学」や「科学」や「学問と呼ばれるもの」を題材に、一人ででも、あるいは、時には他の誰かと共にでも、楽しめることができればとても幸せだと思う。
2010-04-14[n年前へ]
■気付かないことを教えてくれる解説や説明
久世光彦 主催の「久世塾 」単行本を読んでいると、滅多に手放しでドラマを褒めることがないという久世光彦が「ビューティフルライフ 」を、シナリオが上手い、演出が上手い、そして、木村拓哉が上手い、映像監督が、カメラマンが、関わった人すべてが上手い、と非常に評価していた。
僕はあのドラマを非常に評価するのです。めったにドラマは褒めませんけれども、あれはみんながうまいのです。
特に、印象的だったのは、木村拓哉についてこう書いていた部分だ。
それと木村拓哉がうまい。あの木村は半端でなくうまかった。(中略)そのぶんをちゃんと木村が背負ってやっている。あれが何か妙な間で、悲しいのか悲しくないのかわからないじゃないかというようなことがうまいのです。なぜ印象的だったかというと、「ビューティフルライフ」について全く同じようなことを、確か(誰が書いていたか、記憶が正確ではないけれど)清野徹が書き、絶賛していたからだ。あの木村拓哉の演技は絶品だ、と。
こういった解説がされて、ようやくわかること、というものは数多くある。こういう解説文を読んだ時には、自分では汲みとることができなかったもの、あるいは、自分では見ることができない「それがどのように生み出されたか」を知ることができて、少しトクをしたような気持ちになる。そして、もう一度、それを味わい直したくなる。
例えば、「ビューティフルライフ」は、いかにもトレンディドラマの代表みたいな木村拓哉と常盤貴子をくっつけて設定を合わせただけだろうとけなす人もいるけれども、そこには戦争があってドラマになっていた。それは見てわかる。ディレクターと北川悦吏子さんとの間でかなり熾烈な戦争があったような気がします。
久世光彦
2011-04-14[n年前へ]
■「Ruby+Thinkpad」で作る地震震度計
地震が続く今日この頃、めまいと地震を区別できない…というシチュエーションのために、昨日は「お手軽な地震検知器」を作ってみました。今日は、その続きとして、Ruby(とIBM産ノートPCを使って)で地震検知器を作ってみることにしました。
地震の震度は、大雑把に言えば、加速度と揺れ動く時間とその周波数で決まります。以前、ノートPCで作る地震警報システムを作ろうとしたことがあります。加速度センサを備えた機器は多いわけですから、身の回りにある機器で地震の震度を算出する…なんていうことは、実に簡単に「できる」ものです。
今日は、以前作った「Ruby版 Thinkpad 加速度センサ類取得クラス」を使って、「地震の震度スクリプト」を書いてみました。ノートPC(Thinkpad)の内蔵センサからの加速度を得て、その上で「揺れ動く時間」と「その周波数」というパラメータを適当にネグった上で(=無視した上で)適当に加速度から揺れ動く(地震の)震度を近似計算するスクリプトを書いてみたのです。このスクリプトは、語句単純に「ruby hoge.rb "スクリプトを走らせる秒(s)数"」という風に走らせることで、100ms毎に検知した加速度から震度を計算し続けて、もしも地面が揺れていると判断された時には、地震の震度を一秒に一回づつ、たとえば、
3 5 (=震度5弱) 5.5 (=震度5強) …といったように表示する、というものになります。そのRubyコードは下のようになります。「Ruby版 Thinkpad 加速度センサ類取得クラス」を、このスクリプトと同じディレクトリにでも置いた上で、このスクリプトを実行させれば、上に示した例のように動きます。
require 'accelerometer' include Math waitSec=0.01 # = each 100ms averageNum=(1.0/waitSec).to_i def send si puts si end def process(gxy) si=nil si=1 if gxy> 0.5 si=2 if gxy> 2 si=3 if gxy> 5 si=4 if gxy> 20 si=5 if gxy> 40 si=5.5 if gxy> 100 si=6 if gxy> 140 si=6.5 if gxy> 200 si=7 if gxy> 400 send(si) if si&&si>3 end class Array def average val=0.0 self.length.times{|i| val+=self[i] } return val/self.length.to_f end end period=ARGV[0].to_i*(1.0/waitSec).to_i acc=Accelerometer.new gdatum=Array.new(averageNum) {|i| 0.0 } gi=0 period.times do |i| gx,gy=acc.getAccelerometerData.map{|v| 980.0*tan((v.to_f)/50.0*22.5/360.0*6.28)} gdatum[gi]=sqrt(gx*gx+gy*gy) gi=gi+1 if gi==averageNum process gdatum.average gi=0 end sleep waitSec end
Thinkpad(やそれと似た同類の危機)に搭載されている加速度センサでは、震度1とか2程度の震度を正確に検知することはできません(その理由は後ほど書きます)。…その一方で、「日本全国の机の上に置かれていて(スマートフォンは、残念ながら、机の上には置かれていないのです)、さらに、その機器を使って”震度”を算出することができる値を刻々計ることができる計測器」というものが、ノートPCほどちまたに溢れているわけでもありません。
今日は、そんな貴重な道具を使ったスクリプトを書いてみました。こんなスクリプト、手元のPC向けのクライアント用スクリプトだけでなく ネットワークに接続しているたくさんの人たちが動かしたら一体どうなるか、ということについては、また明日にでも書いてみたいと思います。
2012-04-14[n年前へ]
■大人が「手に入れるべきもの」「忘れないでいたいもの」
江國香織が22人のインタビューイに「子供のころの話」を聞き、その時代を振り返る大人の言葉を文章にした「十五歳の残像 」を読みつつメモした部分(hirax.net::Keywords::「十五歳の残像」のブログ)を眺め、ふと考えました。
十五歳の頃、それから年を経た頃、時間が経っても同じ事も多ければ、少しの「違い」もあったりします。その「違い」は良いとも悪いとも…どちらとも言えない、「違い」です。良いとも悪いとも言えないものを時に身につけ、時に失ってきたとしたら、それら「両刃の剣」を両面から眺め、それらを忘れないでおこうと願い、十五歳の大人の言葉を眺め直してみました。
「どんどん矛盾していくよね」→矛盾を受け入れる。けれど、その矛盾を生み出す「限り・限界」を当たり前と受け入れない。
「でも、表現するということはそういうことでしょう?イメージをある程度限りある形で強く打ち出していく、というのが表現ななんだから」
甲斐よしひろさん
「無神経でいようと思ったら、いられるようになったことかな」→無神経さを手に入れる。それと同時に、感受性を失わない。
宮本文昭さん
「自分をごまかす、とか、許す、とか、そういうことは長けてきたと思います」→自分をごまかす・許すという「弱さ」というか「強さ」を身につけると同時に、そうしない「若さ」を忘れないようにする。
おすぎさん
聡明なひと、というのはつまり、絶望の認識のあるひと、ということなのだろう。ただし、長塚さんの言葉にはとても肯定的な響きがあって、…私はちょっとほっとした。→「絶望の認識」をもちつつ、「肯定」をあきらめない。
長塚京三さん
言葉のひとつひとつに、必ず論理的必然性というか、原因と結果が備(そな)わっている。双六(すごろく)風に正確に一歩づつ先にすすめていく話し方だ。それも、聞き手がとりのこされないように丁寧に、きちんきちんと手順を踏んで。
公文 公さん
2013-04-14[n年前へ]
■「お金を扱う銀行」と「金を商う金行」の違い!?
「銀行」という言葉は"Bank"の中国語訳です。「”おカネ”に関する商い」のことを、かつて中国は銀本位制だったので、銀行と呼んだのです。その中国語訳を日本が流用した結果、「おカネ(金)に関する業務を銀行が行う」という具合になり、まるで原子番号79番の金と47番の銀が入れ替わってしまったかのような名前になっています。
もしも中国が金本位制だったなら、銀行は「金行」と呼ばれたのでしょうか?歴史上の「もしも」は想像することしかできませんが、こんな風景(右上写真)を眺めていると、「日本金行」とか「三井住友金行」になっていたかもしれない、と思わされます。
右上の写真を見ると、縦に掲げられた看板に、赤く大きな文字で「金行」と書かれています。これは、マネーという役割を意味するおカネ(金)ではなくて、モノとしての原子番号79番の金=ゴールド製品を商いする、まさに「金行」の看板です。
写真をよく眺めると、「金行」の左横には、マネーとしてのカネ(金)を商う「銀行」の看板も並んでいます。もしも、中国がかつて金本位制だったなら、この看板の「銀行と金行」は、どんな語句になっていたのでしょうか?
参考:「キンタマ(金玉)マンドウ(満堂)」のナゾを解け!?