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2011-01-28[n年前へ]

「しゃべり過ぎの時代」と「ヒューマン」 

 向田邦子が、

 現代は、しゃべり過ぎの時代である。
書いたのは、twitterもない、何十年も前のことになる( 「男どき女どき 」)。そんな向田邦子のことを表現する久世光彦の言葉をいつも思い出す。
 ぼくは向田邦子の一番いい時期とつき合っていたんだと思う。非常にいたずら好きのはずんだ時期で、嘘つきの時期、見栄っ張りの時期。そういうのがヒューマンだと思うから。

久世光彦
 あの女らしさが好きなんです。 シナリオにしてもエッセイにしても隅から隅まで女なんです。人はよく(向田邦子を指して)女の優しさとか可愛らしさ、ちょっと悲しいユーモアとか暖かな賢さに溢れた人と言いますが、そんなことはありません。きっと、女の浅ましさとか嫌らしさ、逆上とか嫉妬、そんなものをちゃんと人並み以上に持ち歩いている人なのです。だから、一番女らしいと思うのです。

久世光彦

2011-04-27[n年前へ]

「手にしたもの」と「指一本触ったことがないもの」 

 こんな言葉を眺めました。

 手に入っても好きなものが、本当に好きなものだと思います。
 この言葉を読んだ直後、久世光彦が向田邦子を思い出しながら綴った言葉を思い出しました。それは、言葉自体が指すことは異なるようでいて、けれど、なぜかどこか似ているような言葉です。
 もし、あなたのまわりに、長いこと親しくしているくせに、指一本触ったことがない人がいたら、その人を大切にしなさい。

久世光彦 「触れもせで―向田邦子との二十年

 似ているけれど違うような言葉で表現されたこれらふたつの「対象」、「手に入っても好きなもの」と「長いこと親しくしているくせに、指一本触ったことがない人」というふたつのものは、実は(何らかの親戚のように)似た存在ではないかと、ふと考えたりもします。

 「手に入っても好きなもの」「長いこと親しくしているくせに、指一本触ったことがない相手」…いずれも長く続く対象です。それは、確かに大切な存在なのだろうと感じます。「手に入った好きなもの」「長いこと親しくしているくせに、指一本触ったことがない人」…そんなかげがいのないものたちを、あなたはどんな塩梅で心の中に抱えていることでしょう。

 あなたの好きなもの、は一体どんな存在でしょうか?



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