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2010-04-07[n年前へ]

向田邦子の小説から滴る、かなしみ、滑稽さ、懸命さ、やるせなさ。 

 角田光代の「恋をしよう。夢をみよう。旅にでよう。 」から。

 たしかに、向田邦子の小説はよく切れる包丁のようではある。けれど、その切り口のなんと痛々しいことか。切り口から滴る、かなしみ、滑稽さ、懸命さ、やるせなさ。

 久世光彦の「美の死―ぼくの感傷的読書」から(最も失敗した作品の中で・・・)。

 <<向田邦子は、小説のなかで、虚構をかりてありのままの自己を語ろうとしたが、それは不可能、すくなくとも非常に困難であることが、書きはじめてすぐにわかった。二十編ほどの小説の多くは、こざかしいだけで底の浅いものである。成功した作もあるが、それは自己を語ったものではない。むしろ向田邦子は、最も失敗した作のなかで血をしたたらせている。  (高島俊男 「メルヘン誕生―向田邦子をさがして」)>>

 慧眼である。

2010-04-12[n年前へ]

進歩した科学がろくなことをしていない側面がある 

 久世光彦 主催による「久世塾 」から、山元清多の言葉。「久世塾」は、「21世紀の向田邦子を作ろう」と開かれた、シナリオライター養成講座。

 僕はあまり楽観的に今の世界というものを考えていない。歴史というものが直線的に進歩して、よりよくなっていくんだというようには思っていまいところがあるのです。ときにどんどん悪くなることもある。
 皆さんは、ケータイができたり、メールができたり、ネットができたりして、「世の中、便利になったな」とか「科学は進歩するんだな」と思うけれど、進歩した科学がろくなことをしていない側面があるわけです。

2010-04-13[n年前へ]

でも、普通の女の話に私は絶対にこだわろうと思っています。 

 久世光彦 主催による「久世塾 」から、内館牧子の言葉。

 「内館の書くものは、いつも普通の女の話ばかりだ」と言われます。でも、普通の女の話に私は絶対にこだわろうと思っています。
 私の話の中には外科医の女も出てきませんし、スチュワーデスも出てこない。弁護士の女も出てきません。(中略)
 何者にもなれず、なりたいと思っても能力にも自信がなく、年齢ばかりがいって、どうしようかと悩んでいる女たちが一番ドラマチックで切実だし、一番生きるうえで大変だと思います。

2010-04-14[n年前へ]

気付かないことを教えてくれる解説や説明 

 久世光彦 主催の「久世塾 」単行本を読んでいると、滅多に手放しでドラマを褒めることがないという久世光彦が「ビューティフルライフ 」を、シナリオが上手い、演出が上手い、そして、木村拓哉が上手い、映像監督が、カメラマンが、関わった人すべてが上手い、と非常に評価していた。

 僕はあのドラマを非常に評価するのです。めったにドラマは褒めませんけれども、あれはみんながうまいのです。

特に、印象的だったのは、木村拓哉についてこう書いていた部分だ。

 それと木村拓哉がうまい。あの木村は半端でなくうまかった。(中略)そのぶんをちゃんと木村が背負ってやっている。あれが何か妙な間で、悲しいのか悲しくないのかわからないじゃないかというようなことがうまいのです。
 なぜ印象的だったかというと、「ビューティフルライフ」について全く同じようなことを、確か(誰が書いていたか、記憶が正確ではないけれど)清野徹が書き、絶賛していたからだ。あの木村拓哉の演技は絶品だ、と。

 こういった解説がされて、ようやくわかること、というものは数多くある。こういう解説文を読んだ時には、自分では汲みとることができなかったもの、あるいは、自分では見ることができない「それがどのように生み出されたか」を知ることができて、少しトクをしたような気持ちになる。そして、もう一度、それを味わい直したくなる。

 例えば、「ビューティフルライフ」は、いかにもトレンディドラマの代表みたいな木村拓哉と常盤貴子をくっつけて設定を合わせただけだろうとけなす人もいるけれども、そこには戦争があってドラマになっていた。それは見てわかる。ディレクターと北川悦吏子さんとの間でかなり熾烈な戦争があったような気がします。

久世光彦

2010-08-27[n年前へ]

「人はそうそう思っていることをしゃべれないものだ」 

 中町綾子 「ニッポンのテレビドラマ 21の名セリフ」の向田邦子「寺内貫太郎一家」に関する解説から。

 「嘘を上手につく人でした。実際にあったことを人に伝えるとき、いやな部分は捨て不愉快な台詞は愛嬌のあるものに書き直し、舞台衣装や衣装も心楽しいものに作りかえて話すことを嘘つきというのなら、向田さんは大変な嘘つきでした。一日の大半は嘘をついて暮らしていました。夢のある嘘をついて、心痛むことの多い人生を楽しくしようとしていました。

久世光彦 小説版「寺内貫太郎一家」解説
 それにしても、この懐中電灯の場面はドラマ史に残る名シーンだ。暗闇にタイミングよく浮かび上がる家族一人一人の顔…しかし、そんな風に言いたいことがあったら言えと言われても、いざしゃべるとなるとそううまくはしゃべれない。このシーンには、…人はそうそう思っていることをしゃべれないものだということがすべて表現される。

中町綾子 ニッポンのテレビドラマ 21の名セリフ 「じょうずな嘘」
 そんな「作りばなし」、寺内貫太郎一家の停電のシーンのラストから。
 「笑いばなしには、できないのかい?」



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