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2010-02-28[n年前へ]

「嘘」と「外面」という「阿吽像」 

 中町綾子「ニッポンのテレビドラマ 21の名セリフ 」の、向田邦子脚本に関する「じょうずな嘘」の項から。

 「生まれてはじめて嘘をつきました。一番大事なことは、人に言わないということが判りました。言わない方が、甘く、甘酸っぱく素敵なことが判りました。

「あ・うん」 第四回 さと子の台詞から

 向田邦子は嘘を描いた人である。向田邦子を愛する人は、その嘘を嘘と知りつつ好んでいるような気がする。それは、たとえば、久世光彦である。

 小説版「寺内貫太郎一家」の解説で、演出の久世光彦は向田邦子のことを嘘のうまい人と言っている。
 「嘘を上手につく人でした。実際にあったことを人に伝えるとき、いやな部分は捨て不愉快な台詞は愛嬌のあるものに書き直し、舞台装置や衣装も心楽しいものに作り変えて話すことを嘘つきというのなら、向田さんは大変な嘘つきでした。一日の大半は嘘をついて暮らしていました。夢のある嘘をついて、心痛むことの多い人生を楽しくしようとしていました」
 そういう向田邦子の嘘を感じつつ、憧れる人の気持ちは、わかるように思う。あるいは、久世光彦が書く言葉なら、それは、とても頷けるような気がする。嘘を感じた上で、それに頷きつつ、憧れる人の気持ちなら、わかるような気がする。
 「笑(わら)いばなし」にゃ、できないのかい。

「寺内貫太郎一家」 祖母きんの台詞から。 
 向田邦子の「入口」は「嘘」と「外面」である。その二つの阿吽像を過ぎた先こそが、向田邦子の魅力だと思う。

2010-03-02[n年前へ]

「やりたいこと」と「やれること」について 

 中町綾子「ニッポンのテレビドラマ 21の名セリフ 」の安斎あゆ子脚本の「セーラー服通り」から。

 「ご両親はあなたの進路について理解してくれていますか」と聞くことがある。多くの場合、「自分のやりたいことをやりなさいと言ってます」と答えす。そのうち、やれないとわかったときはどうするのだろう?そんな思いにふと駆られることがある。やれないとわかるのはいつだろうと思う。
 未来(夢)ばかりを見つめると、「いま」が見えなくなる時がある。いまが見えなくて、自分のできることを見失うことがある。
 もし、やりたいことが叶わなかったり、見つからなかったとしても、今の自分を否定する必要はない。才能のあるなしに関わらず、いま自分にできることを精一杯やってみる。そうすることで、何か自信のようなものができるのではないか。あの時以来、私はそんあふうに生きたいと思うようになった。

 テレビドラマは現代を描き、そのテレビドラマの間に挟まる広告は、その現代からさらに未来を描く。

 あの頃、あの時、…そんな時代を描きだしたテレビドラマの台詞や音楽の背景を、深く感じてみたい人(特に、R40世代)がこの本を手に取れば、掌の上にタイムマシンが登場すると思う。

 このドラマのサブタイトルは、最終輪の「さよなら 欲しくない」を除いて、毎回「○○ 欲しい」となっていた。「男の子 欲しい」「お部屋 欲しい」…。彼女たちはいつも何かを欲しいと望んでいた。だけど、ただ貪欲に何かを手に入れていくわけではなかった。

2010-03-03[n年前へ]

地球は止まらんし、反対向きには回らんし 

 中町綾子「ニッポンのテレビドラマ 21の名セリフ 」の大森美香脚本の「風のハルカ」から。すべて、主人公ハルカの台詞。

 「どうしようもないんやな。地球は止まらんし、反対向きには回らんし」
 「明日からまたいつもの朝を始めんといかんから。正巳がおらんくなっても、私は生きちょるし、ご飯を食べて、眠って起きて、前に進むしかないんよ」
 地球は時点を続け、西に太陽が沈めば、やがて、東から太陽が昇る。そして、人は朝版を食べて、また、前に進む。

2010-03-05[n年前へ]

ハッキリ言って『スカ』な「xx年代の正体」 

 中町綾子「ニッポンのテレビドラマ 21の名セリフ 」の「バブル期のテレビ番組」から。

 1990年、別冊宝島は『80年代の正体!』を出版し、「それはハッキリ言って『スカ』だった」と、その文化状況をばっさり切り捨てた。
 では90年代はどうだったのか。(中略)ばっさり切り捨てるほどの文化もない。
 では、ミレニアム'00年代の文化はどうだろうか。現在の文化、'10年代の文化はどうなっていくだろうか。

 もしかしたら、「つねに、方法論で逃げていただけであり、そこには実体がなく、結局は流行の奴隷になっただけだ」という『スカ』な『80年代の正体』と同じなのかもしれない。あるいは、この「同じ」ことは、その分量は変化するかもしれないが、いつの時代にもあることなのかもしれない。

2010-08-27[n年前へ]

「人はそうそう思っていることをしゃべれないものだ」 

 中町綾子 「ニッポンのテレビドラマ 21の名セリフ」の向田邦子「寺内貫太郎一家」に関する解説から。

 「嘘を上手につく人でした。実際にあったことを人に伝えるとき、いやな部分は捨て不愉快な台詞は愛嬌のあるものに書き直し、舞台衣装や衣装も心楽しいものに作りかえて話すことを嘘つきというのなら、向田さんは大変な嘘つきでした。一日の大半は嘘をついて暮らしていました。夢のある嘘をついて、心痛むことの多い人生を楽しくしようとしていました。

久世光彦 小説版「寺内貫太郎一家」解説
 それにしても、この懐中電灯の場面はドラマ史に残る名シーンだ。暗闇にタイミングよく浮かび上がる家族一人一人の顔…しかし、そんな風に言いたいことがあったら言えと言われても、いざしゃべるとなるとそううまくはしゃべれない。このシーンには、…人はそうそう思っていることをしゃべれないものだということがすべて表現される。

中町綾子 ニッポンのテレビドラマ 21の名セリフ 「じょうずな嘘」
 そんな「作りばなし」、寺内貫太郎一家の停電のシーンのラストから。
 「笑いばなしには、できないのかい?」



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