2009-02-18[n年前へ]
■ウソで隠した迷い
高島俊夫の「メルヘン誕生―向田邦子をさがして 」より
この「手袋をさがす」のなかで向田邦子は自分のことを「十人並みの要望と才能」と言い、また「貧しい才能のひけ目」と言っている。これははっきりウソである。向田邦子は、自分に関して、そんなことはこれっぱかしも思ったことはなかろう。
彼女は、「自分には才能がある」と思っていた。平凡な家庭主婦になるのは宝のもちぐされである。どこかに自分の才能を発揮する場があるはずだ。ーこの考えが一貫して彼女の中にあった。
「潰れた鶴」
向田邦子の「あ・うん 」より
おとなは、大事なことは、ひとこともしゃべらないのだ。
「やじろべえ」
2009-02-19[n年前へ]
■ぐしゃぐしゃに積んだ将棋のコマ
向田邦子の「あ・うん 」より
「ほら、将棋のコマ、ぐしゃぐしゃに積んどいて、そっと引っぱるやつ」
「おかしな形はおかしな形なりに均衡があって、それがみんなにとってしあわせな形と言うことも、あるんじゃないかなあ」
「ひとつ脱けたら」
「みんな潰れるんじゃないですか」
「やじろべえ」
2009-03-21[n年前へ]
■「阿吽」の像
たまに通る街の一角に、顔を寄せて力強い顔を見せる「阿吽」がいる。その「阿吽」たちがいる場所の前で、いつも立ち止まってしまう。そこは争いに対して、結果を出す・司る場所の裏で、そこに佇む「阿吽」たちは、一体どんなことを考えているのだろうか。
阿吽(あうん)は仏教の呪文(真言)の1つ。悉曇文字(梵字)において、阿は口を開いて最初に出す音、吽は口を閉じて出す最後の音であり、そこから、それぞれ宇宙の始まりと終わりを表す言葉とされた。次いで、対となる物を表す用語としても使用された。
Wikipedia 「阿吽」
2010-02-28[n年前へ]
■「嘘」と「外面」という「阿吽像」
中町綾子「ニッポンのテレビドラマ 21の名セリフ 」の、向田邦子脚本に関する「じょうずな嘘」の項から。
「生まれてはじめて嘘をつきました。一番大事なことは、人に言わないということが判りました。言わない方が、甘く、甘酸っぱく素敵なことが判りました。
「あ・うん」 第四回 さと子の台詞から
向田邦子は嘘を描いた人である。向田邦子を愛する人は、その嘘を嘘と知りつつ好んでいるような気がする。それは、たとえば、久世光彦である。
小説版「寺内貫太郎一家」の解説で、演出の久世光彦は向田邦子のことを嘘のうまい人と言っている。そういう向田邦子の嘘を感じつつ、憧れる人の気持ちは、わかるように思う。あるいは、久世光彦が書く言葉なら、それは、とても頷けるような気がする。嘘を感じた上で、それに頷きつつ、憧れる人の気持ちなら、わかるような気がする。
「嘘を上手につく人でした。実際にあったことを人に伝えるとき、いやな部分は捨て不愉快な台詞は愛嬌のあるものに書き直し、舞台装置や衣装も心楽しいものに作り変えて話すことを嘘つきというのなら、向田さんは大変な嘘つきでした。一日の大半は嘘をついて暮らしていました。夢のある嘘をついて、心痛むことの多い人生を楽しくしようとしていました」
「笑(わら)いばなし」にゃ、できないのかい。向田邦子の「入口」は「嘘」と「外面」である。その二つの阿吽像を過ぎた先こそが、向田邦子の魅力だと思う。
「寺内貫太郎一家」 祖母きんの台詞から。
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