2011-09-18[n年前へ]
■「放射性物質」と「ひまわり」と「こどもパワー」
福島の校舎屋上で集めた砂埃を、線量計のプローブ上に乗せてみます。すると、ここ数日に収集した砂塵も線量計を鳴らしますが、それと比べものにならないくらい、3月に収集した砂塵は今もうるさく「キッキッキキキッ」という音を鳴らします。半年少し前では非現実的なことであったようにも思えますが、こんな放射能体感実験を、今では、いとも簡単に行うことができるようになりました。
いつの間にか、「放射能」という言葉が日常的なものになってしまいました。これからも長い期間にわたり、そんなことを受けれざるをえない日々が続くようです。
だとするならば、そんな状況に応じて「いろんなこと」を学び・いろんな「教え方」をしてみるのも良いかもしれません。たとえば、小学校で「こんな授業」をすることもあるのかもしれないと思ったりします。
「放射性物質はね、花粉なんかと同じように、地面の表面や草木の表面にくっつくんだよ」
「雨が降ればどうなるの?」
「どうなりそうか、想像してごらん。雨が降れば、草木の表面から洗い落とされ・地面表面から奥へと染みこんで行きそうだよね」
「ヒマワリや菜種を植えれば、放射性物質を”地面から吸い込んで集めてくれる”って言ってたよ」
「そうだね、根からいろいろなものが溶け込んだ水分を吸ってね」
「土の中にある根っこが地面にある放射性物質を吸い上げられるの?ヒマワリの根って、わりと地面の深くに伸びているよね?」
「地表にあるものを、深く根が張るヒマワリの根で吸い上げることはできないよね。菜種ならもう少し根が浅いかもしれないけれど、それでも地表のものは吸い上げられないだろうね。雨が降って放射性物質が地面から地中へ入かないと、地中にある根からでは吸えなさそうだね」
「だけど、雨が降って、地面から土の中に染みこんで行った放射世物質を、全部吸い上げることはできないんじゃないの?」
「そうだね、土に染みこんで行った中のほとんどは、染みこんでいってそのまんま、だろうね」
「それなら、雨が降った方がいいの?それとも、雨が降らない方が良いの?どういうことが起きるの?」
「どういうことが起きそうか、どうしたら良さそうか、想像したり・考えてみることにしようか。さぁ、どう考える?」
九段下、お堀近くに建つ財務省の旧官舎で、福島県から避難しているこどもたちと「自転車鬼ごっこ」をして遊びます。こどもたちがシャカシャカシャカシャカと小さな小さな自転車のペダルを力強く漕ぎ、そのこどもたちに混じり、使われなくなった官舎駐車場でオタオタと遊び回る夏の終わりの日曜日です。
2011-10-03[n年前へ]
■「ホットスポット」と「空間補間アルゴリズム」と「不確定性原理」
ホットスポット…それは周囲の値とかけ離れた値を持つ場所です。…そんな「ホットスポットという言葉」は、この2011年の3月以降の日本では、(残念ながら)念を押すまでも無い「当たり前の常識」となってしまいました。
「情報」というものは限られているのが普通です。たとえば、すべての場所における情報すべてを知ることができることは希(まれ)で、通常はごく限られた場所における情報しか知ることはできません。だから、その限られた場所における情報から「すべての場所についての情報を推測する」といったことが必要になります。
右の図は、犯罪発生密度の時空間分布図を示したものです。京都周辺で発生した「ひったくり犯罪」を”平面2軸=空間分布/高さ軸=時間分布”として表したものです。向かって左の辺りが「桂町周辺」で、右の辺りが「桃山周辺」です(さらに細かな京都ひったくり犯罪分布地図は「犯罪発生の時空間 3 次元地図― ひったくり犯罪の時空間集積の可視化 ―」を読むとわかります。京都の町に詳しい方は、この文献に収録されている”地図”を眺めてみると、その実にローカルな風景を脳裏に思い浮かべながら眺めてみれば、実に興味深いかと思います)。
恒常的に犯罪発生が続くホットスポット領域は、積乱雲のように立ち現れますが、その一方で一時的に犯罪発生が特定の地区に集中する場合にはホットスポットは島状に浮かんでおり、2種類のホットスポットが容易に区別できます。
こうした「ホットスポット=周りとは大きく異なる値を持つ場所」の存在と「周りの値から(値が未知の)注目する場所における値を推定するということ」はもちろん相容れません。「補間=周りの値から(値が未知の)注目する場所における値を推定するということ」は、(たいがいの場合)「周りの値と(注目点は)同じような値を持つ」という前提が置かれているわけですが、「ホットスポット」という存在は「周りとは大きく異なる値を持つ場所」であるからです。
不確定性原理に従って、(関連する)複数のことを同時に正確に知ることはできなかったりします。「定常的な特性に関する情報」と「突発的・その瞬間の特性」の両方を共に精度高く知ることはできません。目的と手段、その両方に感度があるアンテナと技術を手にする…のが、私たち技術オタクなテクニカル・ジャンキーです。
と、そんなことを「京都周辺のひったくり犯罪の時空間マップ」と「東日本の放射線量マップ」を見ながら、ふと考えました。…複雑なものです。
「”大小”の刀を差した武士、その大小の刀をカラシニコフに置き換えれば、幕末は今のイラクでの状況と何も変わらない。それでも欧米人はビジネスチャンスを求めて幕末日本を訪れた。
外へ外へと向かっていく、そういうエネルギーがなかったら、人類はいまだに洞窟の中で暮らしてたんだろうか。
「イラクと幕末」から。
2012-02-27[n年前へ]
■人が「聞きたい」と感じる話題のマトリクス
人が「聞きたい」と無意識的に感じていることや、「(そんなことは)聞きたくない」と強く感じていることを、「内心不安に思うこと」と「待ち望む期待」という2択、そして、「それら不安や期待への肯定と否定」という2択の、計2 x 2のマトリクスで描いてみました。
「(内心)不安に思うことの否定」というのは、かなりの部分「期待の肯定」と重なります。たとえば、一年近く前を振り返るなら、「不安に思うことの否定≒期待の肯定」という右上の象限と左下の象限は「安全厨」と呼ばれることもあった話題です。
そして、「不安に思っていたことへの肯定」と「期待していたことに対する否定」というのも少し似ています。それらは、期待に反することなので、人は決してそれを「聞きたい」とは思いません。しかし、そんな「不安に思うことへの肯定」や「期待していたことへの否定」を一度聞いてしまったならば、その落胆や失望を補うための解決策や希望を心から欲します。何らかの「薬(くすり)」を、私たちは欲しくてたまらなくなります。
…だから、私たちはそんな薬を聞きたくて・読みたくてたまらなくなります。そんな左上のゾーンは、この一年間、時に「放射脳」と呼ばれたりもした話題です。
何かの話を聞くとき、あるいは、何か記事を読むときには、こんな2×2のマトリクス上で、その話題の立ち位置を確認してみると、少し興味深いかもしれません。