2003-09-14[n年前へ]
■『巡り会い』in新明解
「世界って狭い。でも逢いたい人には巡り逢えない」という言葉。Google検索ならきっと簡単に巡り会うこともできるのだろうけれど、現実に巡り会うのはそれとは違うから、ね。の続き。
それに、Googleの巡り会いなんかは無い方が良いかもしれないし、ね。
「後悔しない?…いやきっとする」を読みつつ、なるほど辞書で引くって大切だなぁと感心し、私も辞書で引いてみた。もちろん、こういうときは期待を込めて新明解で。
巡り会う=長い間分かれていたものが思いがけない所で出会う。巡る「巡る」という言葉のイメージを1にとるか、2にとるかで『巡り会う』のイメージが過去に向くか、未来に向くかが分かれるのかも?どうでしょうね?元カレと新カレのイメージの違い、という感じでしょうか?どうでしょうね?
=1.回って、元の所へ戻ること。
=2.あちこちに立ち寄る
あと、真似して歌で例えるなら中島みゆきの「時代」の「巡る」という感じかな。
■紙がいいものと電子ブック「が」いいものと
実は老眼鏡をかけて紙の本を読むより、 かけないで液晶ディスプレイでテキストを読む方が、はるかに楽なんですよ。 ディスプレイの方が明るさや眼からの距離を調整しやすいからなのです。というもの。ただし、この手の意見は通常無視されるものではないかと思う。それは、「老眼鏡をかける人」というのが多数派ではない、あるいは「老眼鏡をかける人」相手の商売はニッチな商売だと認識されているからだと思う。その認識が将来どうなるかは判らないけれど、いわゆる大企業では大きいが故のコストを考えると確かにそのニッチな商売(と判断している以上は)には手を出しづらいに違いない
どう思います?
■逝けるWEBページのためのパヴァーヌ
さて、「Google検索の時間軸」に話を進める(戻す?)と増井俊之さんの古さに応じて廃れて見えるWEBページの仕組みに私はとても気持ちが惹かれます。"Dying Page"つまり『逝けるWEBページ』proxyというのは、私はとても自然にあるべき姿だと思うのです。「劣化しないデータ」というのは技術的にはとても素晴らしいと思うのですけれど、古い記憶が劣化して見えてこそ、新しい記憶も生み出されていくのかな、と。古いページが"dying"になってこそ、新しい色に"dyeing"していくのかな、と感じたりするのです。
というわけで、BGMはもちろん亡き王女のためのパヴァーヌ(逝ける王女のためのパヴァーヌ)で。
■水晶玉トリック
ここで
(1)なんか適当に2桁の数字を頭に思い浮かべる(ここでは「88」にしたとする)。をする。有名なものではあるが、なかなか面白い。毎回リストを書き直しているのが良いところかな。
(2)思い浮かべた2桁の「数字」を足し算する。「88」の場合は「8+8」となり、 この場合は「16」になる。
(3)次に、元の数から足した数を引き算する。この場合は「88-16」で、 答えは「72」となる。
(4)水晶玉の横にある、一覧表のなかから、「72」の横にあるへんな模様を じっと眺め、覚える。
(5)その模様を強く、強く、強く念じながら、うりゃっと水晶玉をクリック。