2008-05-23[n年前へ]
■『理系サラリーマン 専門家11人に「経済学」を聞く! 』
「個性溢れる11人の経済学者の方々に話を聞く」という趣旨の本、『理系サラリーマン 専門家11人に「経済学」を聞く! 』が発売されました。大竹文雄・玄田有史・友野典男・松原隆一郎・小島寛之・奥村宏・西村和雄・森永卓郎・中島隆信・栗田啓子・中村達也という、11人の経済に関わる方々が、ものわかりの悪い生徒に実に丁寧に教えてくれたこと、その内容が本になりました。
本書には、一般の方々や経済学者の方々のアンケートから、「経済学者」「一般のひと」がそっくりだけれど、ほんの少しだけ違う姿が浮かび上がり、「豊かになるために必要なもの」をクラスタ分析した結果から、「希望とか自由とか愛」といった見えないものの繋がりを眺めたりすることができるオマケもついています。また、産業・科学や芸術・宗教といった歴史背景と、経済学の世界地図の上に時系列で並べた「歴史年表」もついています。
豊かになるために、小島先生はたくさんのものを選び、(「若い頃は時間があるけれど金がなかった。今は時間だけが必要…つまりは年をとったということです」といった言葉とともに)大竹先生と友野先生は時間だけを必要とし、森永先生は「愛」だけを選びました……
一般の方々や経済学者の方々へのアンケート結果、そこに記された言葉を眺めていると、不思議なほど私たち自身(そして私たちの分身のような経済学者の方々)の姿が見えてきます。そんな私たち自身の姿・私たち自身が望むことを眺めつつ、経済学者の先生方が話すこと読むのも、一興かと思います。
2008-05-24[n年前へ]
■続・『理系サラリーマン 専門家11人に「経済学」を聞く! 』
クールビズ・ウォームビズの効果に関するシミュレーション記事の「原稿料の分け方」を飲み屋で話したことをきっかけとして、『理系サラリーマン 専門家11人に「経済学」を聞く! 』は生まれました。
私が授業を受けた11人の経済学者の先生たちには、2つの特徴があったように思います。1つは、ものごとを色々な方向から眺め一種冷めた考え方もする、ということでした。そして、もう1つは、多くの人と同じように、先生方の仕事への熱意は「素朴で単純な」暖かな気持から生まれているのかもしれない、と感じたことです。つまり、クールな頭とウォームな心が混じりあっていた、ということです。
「はじめに」
単行本にするにあたり、コラム(今気づきましたが、p.217のフローチャート中の「上がる」「下がる」が逆になっていました)や読んで欲しいと感じた本の「ブックガイド」を書き足しました。インタビューから少し時間を経てから書いたものですが、その分、少し漬かっていて味が深まっていると良いな、と願っています。
何より大変で、なおかつ、何より一番新鮮だったのが「経済学者の先生方に行ったアンケートの集計作業」でした。「好きな経済学者とその理由」「分数もできないみんなの判断でも”正しい”ことが多いと思うか?」「豊かになるために必要なものは何ですか?」という3つの拙い設問に対して書かれた言葉は、本当にどれも新鮮に感じたのです。記事中で先生方が語った言葉をアンケートに書かれた言葉とともに読み直したい。改めてその言葉を聞き返したいと強く感じさせられました。
「経済学の目的はみんなを幸せに豊かにすること」だといいます。それならば、「幸せ・豊かさ」とは一体何なのでしょうか。そんな「豊かさ」というものは、人が自分自身で見つけ出すしかないのかもしれません。そんな「豊かさ」は少し「孤独」と似ています。
最終ページ 中村達也著「豊かさの孤独」に対する紹介文
2011-02-13[n年前へ]
■ガチンコと八百長を俯瞰した時の「ソン」と「トク」
「貴乃花が八百長相撲を嫌い、ガチンコ相撲を貫き通していたこと」を書いた記事を読み「なるほど、相撲の道を追求し続けた貴乃花だ」と感じ入りました。けれど、それと同時に、中島隆信「 大相撲の経済学」の第六章の中の「八百長は本当に悪か」という一節を思い出したのです。
ここで問いたいのは角界の八百長を絶滅することが本当に社会にとってプラスになるのかどうかという点である。(中略)力士のケガは、体重増など体力的な原因が確かに大きいだろうが、一面では真剣勝負の現れともいえないだろうか。そして、この一節と同時に、第九章で書かれている、(平成14年当時)7場所連続休場していた横綱貴乃花に対して、「土俵に上がり出場した上で、横綱の責任をまっとうできないときは、自ら身体を決してもらいたい」と横綱審議委員会が引退勧告に近い注意を貴乃花に対して行っていたことを書いた一節も思い出したのです。ガチンコを続けたという横綱は、史上で一番、土俵に上がることができなかったのでした。
大相撲が興行を続けて行く上で、「八百長」と「ガチンコ」のどちらかだけが100%だとしたら、きっとうまくないのだろう、と感じさせられます。貴乃花はひとつの頂点だけれども、みんなが貴乃花だったとしたら、定期的な巡業をすることもできない相撲集団になっていたのかもしれない、とも思わされるのです。