2009-02-08[n年前へ]
■向田邦子と源氏物語と精神的別居
谷崎源氏にめぐりあったのは、昭和三十八年から九年にかけてではなかったどうか。…私の気持ちは一番沈んでいた頃だった。一身上にも、心の晴れないことがつづき、仕事の面でも、わかれ道に立っていた。これは、向田邦子の「源氏物語・点と線」の中の一節だ。単行本には収録されておらず、「向田邦子 全集第二巻 」の補遺の節で読むことができる。
向田邦子は、出版されている本は少ない割に、似たような話・似たような文章・似たような表現が頻出するように思う。「昭和三十八年から九年にかけて…一身上にも、心の晴れないことがつづき、仕事の面でも、わかれ道に立っていた」といった文章も、他の随筆の中でも(たとえば「父の詫び状 」収録「チーコとグランデなど」)何度か読んだような気がする。
その後、(父が向田邦子を気遣いわざと仕掛けた)口げんかから、
些細なことから父と言い争い、というわけで、向田邦子の一人暮らしが始まるわけだが、その少し前、昭和37年に向田邦子は「精神的別居」という随筆を書いている。この随筆は単行本には収録されていないので、やはり全集の中でしか読むことができない。
「出てゆけ」
「出てゆきます」
ということになったのである。
「父の詫び状 」収録「隣の匂い」
たまりかねて、アパートへ移りたいと申し出たら、これは、一言のもとに反対された。後になってから書かれた文章でない分、この昭和37年に書かれた「精神的別居」という文章は、後半少し道を失っているようにも思える。
(中略)
しかたがないので目下、家族とは精神的別居という手段をとっている。
もっとも、世間には、…
だからこそ、興味深い。