2010-02-22[n年前へ]
■文章の目的と、その手段・方法について
「 文章というものについて知りたいのであれば、この一冊を読むべしという、丸谷才一の「文章読本 (中公文庫) 」中で書かれている文章から。
文章というものは、判断や意見を相手に伝え(伝達)、あわよくばそれを信じさせるために書かれる。
「論理的」ということでなく、人への「伝達」、人との「コミュニケーション」ということを(プレゼン資料を添削する作業を繰り返すことを通して)考えて、そして気付いたことを書いた「論理的にプレゼンする技術 聴き手の記憶に残る話し方の極意 (サイエンス・アイ新書)」の3刷目が近々出ます。
「基本ができる」ことは「応用することもできる」という言葉、基本ができれば何でもできる、逆にいえば基本ができる人は実は少ないという言葉を眺めたとき、そんな内容に納得することも・違和感を持つこともあるかもしれません。そのどちらにしても、少しばかりの時間を費やし、ご一読して頂ければ幸いです。
2010-03-09[n年前へ]
■「正しいこと」と「面白いこと」は両立しない。
斎藤美奈子の「文章読本さん江 」から。
「正しいこと」と「面白いこと」は両立しない。読む側になって考えてみれば、すぐにわかる。無難で上手なだけの文章なんか、これ以上、読みたい?私たちが求めているのは、常識をくつがえすような、新鮮な文章でしょう?
「正しいこと」と「面白いこと」は両立しない、と書いてしまうと語弊があるかもしれない。「科学的に正しいこと」「興味深いこと・面白いこと」が両立する場合は、それほど稀(まれ)というわけでなく、あるからだ。たとえば、寺田寅彦の随筆などがそうだ。(科学的に)正しく、そして面白い。もちろん、寺田寅彦のような稀有な例を出してしまうと説得力が失せるかもしれないが、科学的ということに限れば「正しいこと」と「興味深いこと」はそう珍しくない、と言っても良いのではないだろうか。
ここで、斎藤美奈子が書く「正しいこと」というのは、そういう分野における「正しさ」ではない。それは、たとえば、ニュースを見てレポーターやキャスターが語る「正しいこと」や、それについて、さらに人が語る「正しい」こと、というようなものかもしれない。
少なくとも、私が読みたい文章は常識に沿った道徳本ではないことは確かである。