2011-11-19[n年前へ]
■「これは凄い!最速自炊カメラソフト」と「本を捨てるという”選択”」
本の頁をパラパラ…とめくるようすをiPhoneのカメラで検出・撮影することで、書籍の電子化をするという『最速自炊カメラ「Jucie」』をiPhone4で試してみました。 試してみた結果、想像した以上に実用的であることに驚かされました。 日本語で書かれた文庫本でも、特に大きな問題もなく、かなり綺麗に読み取ることができるのです。
下の動画は「三脚にiPhone 4をとりつけ、文庫本の頁をめくり、電子化している」ところを写したものです。 (読み取りのようすを撮影するために)片手で本の頁をめくっているにも関わらず、なかなかに良い感じで読み取りを行うことができています。 参考に、この動画撮影時に読み取った実際の読み取り画像を眺めてみれば、(右手で作業風景の動画撮影・左手で頁めくり、という)その読み取り作業のラフさを考えれば、その画質に驚かれるのではないでしょうか(WEB表示用に小さくリサイズ&解像度変換しています)。
ふと、気づかされたことがあります。 それは、「裁断せずに電子化することができる」という「自由度」の高さ、裁断しなくていいという利便は、必ずしも「自由」ではないのかもしれない、ということです。
裁断して電子化をした場合、裁断済みの本を何の迷いも未練も無く捨てることができます。 しかし、裁断もせずに本を電子化した場合、電子化した本が「そのままの形」で存在し続けている、ということになります。 すると、その本というモノを「捨てる」ということが「(心情的に)しにくい」ようにも思えるのです。 本という形あるモノがそのままの形で目の前に残っていると、そのモノを離れて自由になりづらい、とも感じます。
そして、「本を裁断して、もう捨てるしかないような形にしてしまう」という電子化作業の背後には、「捨てる」という「大きな選択」が隠れていたのだな、と今更ながらに気づかされたのです。
(twitter から)