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2008-12-22[n年前へ]

「○×する10の方法」と「できる人はやる」 

 本屋に行ってビジネス棚に目を走らせてみると、「○×するための10の方法」といった本が溢れている。ふと手に取ろうとした瞬間に、こんな言葉を思い出して、伸ばそうとした手をいつもポケットの中に戻してしまう。

He who can does.
He who cannot teaches.
(できる人はやる。できない人は教える)

バーナード・ショー

 これが他のジャンルの棚ならば、手を戻したりせずに本を持ち頁をめくる。けれど、目の前にあるのがビジネス棚だと何だか少し眺ようとする気持ちがどこかへ消えてしまう。本当にそんな素晴らしい方法があるのなら、きっと、その人自身がやっていることだろう。特に、ゼロ・サム・ゲーム的な事象の場合には、「○×するための10の方法」を書くくらいなら、誰にも言わずにその「10の方法」をするはずだ。

 だから、ちまたに溢れる「○×するための10の方法」が正しいかどうかは、その「○×」がゼロ・サム・ゲーム的要素を含むか否か、がひとつの目安になるように思う。

2009-11-05[n年前へ]

経済成長率下のゼロサムゲーム 

 小島寛之「数学で考える 」から。

 どんなに個人が有望そうな投資戦略を取ったとしても、経済成長率がゼロなら、国民全員の投資収益を集計するとゼロになる。つまり、国民全員で見た場合、投資とは単なるギャンブルによって現資産の再分配をしているにすぎないことになる。

 以下は、「数学で考える 」の中で引用されている村上春樹の「パン屋再襲撃」から。

 つまり世の中には正しい結果をもたらす正しくない選択もあるし、正しくない結果をもたらす正しい選択もあるということだ。



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