2013-12-02[n年前へ]
■「どんなものを作るかで定まるコーディング・ルール」と「平均律クラヴィーア曲集は平均律じゃなかった!という衝撃の事実」
五線譜の情報圧縮や対称化・単純化といった感じの話題から、プログラミングのコーディングルールや、記譜法における臨時記号や調合の(歴史の中での)変化といった話を眺めました。で、紆余曲折を経た後に、今日初めて(アルツハイマーが進んでなければ)知った「平均律クラヴィーア曲集は平均律じゃなかったんだ!」という衝撃の事実。
そして、独自の「さまざまな記譜法」というあたりの話から連想したことは、岩城宏之「楽譜の風景ー記譜法のディレッタンティズム」と「ご冗談でしょうファインマンさん」の"From Far Rockaway to MIT"の一節。
岩城宏之「楽譜の風景ー記譜法のディレッタンティズム」の方は、現代音楽の作曲家に対するこんな言葉。「自分の表現したいことを、能率よく、無駄なく演奏家に伝える方法を常に考えて欲しい。見やすい、わかりやすい方法で書いた方が自分のために得なのだ」
そしてもう一方、「ご冗談でしょうファインマンさん」の"From Far Rockaway to MIT"の一節はこう。
"I realized then that if I'm going to talk to anybody else, I'll have to use the standard symbols, so I eventually gave up my own symbols."
人に何かを説明するときには、やっぱり標準の記号を使わなくてはならないことを悟り、それ以来自己流の記号を使うのはあきらめてしまった。
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