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2010-12-24[n年前へ]

iPhone リアルタイム動画像処理コーディング 

 自分が欲しいと思えるデジタルカメラが欲しくて、iPhoneプログラミングの勉強がてらiPhoneで動画像処理を行うプログラムのスケルトンを作ってみました。そんな「1.カメラ映像→(電子ズーム使用時は解像度変換)→2.OpenCVを使った画像処理→3.処理動画保存→4.画面描画」という処理を行わせるコードを書くときにメモしたことを、忘れないように書いておきます。

 特に時間のかかる画像処理を行うのでなければ、AVCaptureSessionPreset640x480、つまり、VGA(640x480)の撮影でも15FPS弱で処理をさせることができます。それを逆に言えば、iPhone4では、リアルタイムVGA動画処理&ファイル保存を15FPSで処理しようと思うと「機械の気持ちにならないとダメ」という感触です(動画保存処理を同時にさせるのでなければ、処理落ちはしないと思います)。

 何より一番処理に時間がかかるのは、「3.処理動画保存」の部分でした。この部分は「コードを変えることで処理速度を改善させる」ということがなかなかできないようなので(速く処理を行わせる方法があれば知りたいです)、もしも処理動画をスムースに保存させようと思うなら、それ以外の部分を「機械の気持ち」に沿って地道なダイエットをしないといけないように思われます。

 「2.画像処理」部分(とその前段)で「電子ズーム+色変換」を実装&動画保存させてみたのが、下の動画になります(撮影された動画を眺めてみると、「解像度変換・切り出し」における”中央部での丸め処理”が上手くないようですね)。「機械の気持ち」がわかり、自然に話すことができるようになるまでには、まだまだずいぶんと距離がありそうです。



 (「テストチャート」のページを映し出しているコンピュータ画面を撮影した動画です)

2012-11-07[n年前へ]

「答えられる(だけの)力」は必要ない 

 「やりたいこと」はあるけれど、そのやりたいことを的確に表現する「コード」を書いたなら、(機械でない)人に頼む仕事自体が消え失せてしまうというジレンマがあります(未来に生き残る職業は「プログラミング言語・環境開発者」と「ニッチで・けれど高価なものを作る人」

 それと同じように、的確な「問い・質問・問題」を一度作ったならば、その「問い」に対し(機械以外の)何かに答えてもらう必要はほぼ消え失せてしまう、というジレンマもあります。なぜかというと、的確な「問い」というものは、「答えると意味あることを、答えうる範囲・解きうる条件に落とし込む」ものであって、そのような「問題」を描き出してしまったならば、当たり前のように、その「問題」の答えは導き出されるものだからです。

 だから、「やりたいこと」を的確に表現したならば、(後は機械に任せれば)やりたいことが消えてしまうように、「解くべき問題」を的確に表現し得たなら「問題を解くための作業」の過半数は終了しているというようになることも多いような気がします

 本当のところ、「答える」ためには「的確な問い」を描くということが必要十分条件なのではないか、と思います。だから、「問題を出されたら、答えることができる能力」なんて(その問題が作り出された段階で、すでに問題は解かれているのですから)実は無意味だ…と感じることも多いのです。

 必要なのは「問い・問題」を手にするための力で、「答えられる(だけの)力」ではないだろう…と思うことが多くなりました。

 人間は、決してあきらめてはならない。

「ロボット (R.U.R)」 カレル・チャペック

2013-12-02[n年前へ]

「どんなものを作るかで定まるコーディング・ルール」と「平均律クラヴィーア曲集は平均律じゃなかった!という衝撃の事実」 

 五線譜の情報圧縮や対称化・単純化といった感じの話題から、プログラミングのコーディングルールや、記譜法における臨時記号や調合の(歴史の中での)変化といった話を眺めました。で、紆余曲折を経た後に、今日初めて(アルツハイマーが進んでなければ)知った「平均律クラヴィーア曲集は平均律じゃなかったんだ!」という衝撃の事実。

 そして、独自の「さまざまな記譜法」というあたりの話から連想したことは、岩城宏之「楽譜の風景ー記譜法のディレッタンティズム」と「ご冗談でしょうファインマンさん」の"From Far Rockaway to MIT"の一節。

 岩城宏之「楽譜の風景ー記譜法のディレッタンティズム」の方は、現代音楽の作曲家に対するこんな言葉。「自分の表現したいことを、能率よく、無駄なく演奏家に伝える方法を常に考えて欲しい。見やすい、わかりやすい方法で書いた方が自分のために得なのだ」
 そしてもう一方、「ご冗談でしょうファインマンさん」の"From Far Rockaway to MIT"の一節はこう。
 "I realized then that if I'm going to talk to anybody else, I'll have to use the standard symbols, so I eventually gave up my own symbols."
 人に何かを説明するときには、やっぱり標準の記号を使わなくてはならないことを悟り、それ以来自己流の記号を使うのはあきらめてしまった。

「時代が要請するコーディング・ルール」と「平均律クラヴィーア曲集は平均律じゃなかった!」という衝撃の事実。








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