2008-06-28[n年前へ]
■「Mathematica開発者のウルフラム」と「ファインマン」
今週頭に「数式処理アプリケーションのMathematicaが最初にリリースされてから、今日で20年たちました」と、開発者Stephen WolframからMathematicaユーザにメールが送られてきた。スティーブン・ウルフラムが28才の時の1988年の6月23日にMathematica 1.0 が出荷されたのである。
For twenty years we've pursued our long-term vision for Mathematica.
Mathematicaは結局のところ、パターンマッチングを延々と行うプログラムである。データベースに登録されているパターン・規則にもどづいて、与えられた数式を置換していくことにより、Mathematicaは解(や所望の結果)を得る。
ところで、「ファインマン物理学」で有名なR.P.ファインマンはカリフォルニア工科大学で1983年から1985年までの間、計算機科学の講義(ファインマン計算機科学)をしている。その頃の学生がスティーブン・ウルフラムである。
ファインマンは「科学とは何か」の中で、「数学とはパターンにすぎない」「数学とはパターンを探すことだ」と端的に短く書き表している。この言葉を思い起こしながら、(おそらくそんな言葉を聞いていただろう)彼の学生でもあったウルフラムが「パターンマッチングによる数式処理アプリケーション」を商品化し市場に広まらせたのだ、と考えてみると何だか「面白い繋がり」を感じる。そんな繋がりを思い浮かべながら、Mathematicaの20年を集めたスクラップブック を眺めてみると、きっと楽しいと思う。
I'm looking forward to the next 20 years and hope that you'll continue to follow Mathematica on this exciting journey.
-- Stephen Wolfram
2009-05-19[n年前へ]
■思想は変わらない「Wolfram|Alpha」
Wolfram Researchが作った「新しい検索エンジン」だという、Wolfram|Alphaを使ってみた。結局のところ、これは”まさに”Mathematicaである。「Mathematica開発者のウルフラム」と「ファインマン」でも書いたように、これは
データベースに登録されているパターン・規則にもどづいて、パターンマッチングを延々と行い、また、データベースに登録されている値(とユーザが与えた値初期値)を用いて変換を続け、最終的に変換できなくなった時点で、それが「所望の結果」になっているというものだ。結局のところ、「問題を解く」というの多くはそういうこと、そいう”パターン”が多いのかもしれない。
それにしても、Solve[x^2-3x==1,x]と検索してみると、その答えを教えてくれる。それと同じように、"earthquakes near the Akashi-Kaikyō bridge"と検索すると、明石海峡大橋近くの地震に関する情報を教えてくれる。使ってみると、なかなかに楽しい。データベース、検索時に使う「関数(変換・作業を定義したもの)」「言葉」をユーザが追加していけたら、もっともっと面白そうだ。
そうすれば、ユーザの力で拡張させることができる・発展することができる「新しい検索エンジン」ができるに違いない。
2009-07-15[n年前へ]
■Microsoftとゲイツ氏,物理学者ファインマンの講義ビデオを無償配信
Microsoftとゲイツ氏,物理学者ファインマンの講義ビデオを無償配信
米Microsoftの研究部門Microsoft Researchは米国時間2009年7月15日,同社会長のBill Gates氏と協力し,著名な物理学者Richard Feynman氏の講義映像を一般公開すると発表した。Microsoft ResearchのWebサイトから無償でアクセスできる。
2011-08-09[n年前へ]
■「WOLFRAM CDF(Computable Document Format,計算可能ドキュメント形式)」と「既存の".nbp"ファイル」の違い
WOLFRAM Researchから「CDF(Computable Document Format,計算可能ドキュメント形式)」が発表されました。「計算のための新しいインタラクティブなドキュメント形式」…というわけで、何だかとてもワクワクします。それは、21世紀のTeXもしくはLaTeX形式なのだろうか?…などと期待しながら、発表資料を眺めています。しかし、発表されて間もなく・情報が少ないために、CDF形式と(これまで使われていた)"Wolfram Mathematica Player"用の再生専用ファイルである ".nbp"ファイルとの違いがまだよくわかりません。
"Wolfram Mathematica Player"用の再生専用ファイル( nbpファイル)というのは、基本的にはWolfram Mathematicaのノートブック(".nb" ファイル)と同じものです。Wolfram Mathematicaでしか編集することができない".nb" ファイルと、"Wolfram Mathematica Player"でもインタラクティブに再生することができる".nbp"ファイルが「一番大きく」異なるのは、".nbp"ファイルには「このファイルは”WOLFRAM WEBサイト"経由で出力したものですよ」という「暗号化された署名」がファイル末尾に付け加えられていること、です。その署名がなければ、Mathematica Playerはそのコンテンツを再生しない、という「仕組み」になっています。
今回発表されたWOLFRAM Computable Document Format(計算可能ドキュメント形式)というのは、”WOLFRAM WEBサイト"から出力するものではありません。その代わりに、WOLFRAM Mathematicaアプリケーションが単独で出力することができ、その出力と同時に「暗号化された署名」を行うというファイルフォーマットです。その”正しい”署名が添えられたファイルのみをWOLFRAM Mathematica ”CDF” Playerがインタラクティブに再生することができるよう制限されています。…つまり、WOLFRAM Computable Document Format(計算可能ドキュメント形式)というものは、Mathematicaアプリケーションでしか作成することができない(という制限を掛けた)、というフォーマットです。「”CDF”フォーマットのファイルに対してのみ使うことができる」という(Mathematica ”CDF” Playerの)制限は、「そのファイルはMathematicaアプリケーションで作ったファイルのみ開くことができる」という制限と”イコール”であり、それは"Wolfram Mathematica Player"が再生可能な”.nbp”ファイルの作成元を制限していたのと同じ仕組みです。
実際のところ、"Wolfram Mathematica Player"とWOLFRAM Mathematica ”CDF” Playerというのは、ほぼ同じものであるように見えます。たとえば、どちらのカーネル(計算・解析処理を行う中心部)へは、たとえば、.NETインターフェースから自由にアクセス・制御することができます。そして、どちらも、WOLFRAMの署名がされたファイル以外を扱うことは拒否します。
ビジネスの面から眺めれば、当然の選択にも思えます。…が、ワクワクすることがない選択であり・ワクワクしない宣伝文句にも感じられてしまいます。
Mathematica を売る会社 Wolfram Research の設立にあたって Wolfram はリチャードファインマンに相談している。これに対してファインマンは反対している。君にとっては回りのすべての人が馬鹿に見えるだろう。だがそのような人達を使わなければならなし、翻弄されることこの上なく君から科学的成果が出なくなってしまうようになるだろう。だから、やめたほうがよいというような内容。Wolfram は、未だ CEO として健全な経営をしている。しかし、確かに Wolfram の新規の科学的成果は聞かなくなったような気がするのは気のせいだろうか。
ファインマンの手紙
2013-12-02[n年前へ]
■「どんなものを作るかで定まるコーディング・ルール」と「平均律クラヴィーア曲集は平均律じゃなかった!という衝撃の事実」
五線譜の情報圧縮や対称化・単純化といった感じの話題から、プログラミングのコーディングルールや、記譜法における臨時記号や調合の(歴史の中での)変化といった話を眺めました。で、紆余曲折を経た後に、今日初めて(アルツハイマーが進んでなければ)知った「平均律クラヴィーア曲集は平均律じゃなかったんだ!」という衝撃の事実。
そして、独自の「さまざまな記譜法」というあたりの話から連想したことは、岩城宏之「楽譜の風景ー記譜法のディレッタンティズム」と「ご冗談でしょうファインマンさん」の"From Far Rockaway to MIT"の一節。
岩城宏之「楽譜の風景ー記譜法のディレッタンティズム」の方は、現代音楽の作曲家に対するこんな言葉。「自分の表現したいことを、能率よく、無駄なく演奏家に伝える方法を常に考えて欲しい。見やすい、わかりやすい方法で書いた方が自分のために得なのだ」
そしてもう一方、「ご冗談でしょうファインマンさん」の"From Far Rockaway to MIT"の一節はこう。
"I realized then that if I'm going to talk to anybody else, I'll have to use the standard symbols, so I eventually gave up my own symbols."
人に何かを説明するときには、やっぱり標準の記号を使わなくてはならないことを悟り、それ以来自己流の記号を使うのはあきらめてしまった。