2012-11-07[n年前へ]
■「答えられる(だけの)力」は必要ない
「やりたいこと」はあるけれど、そのやりたいことを的確に表現する「コード」を書いたなら、(機械でない)人に頼む仕事自体が消え失せてしまうというジレンマがあります(未来に生き残る職業は「プログラミング言語・環境開発者」と「ニッチで・けれど高価なものを作る人」)
それと同じように、的確な「問い・質問・問題」を一度作ったならば、その「問い」に対し(機械以外の)何かに答えてもらう必要はほぼ消え失せてしまう、というジレンマもあります。なぜかというと、的確な「問い」というものは、「答えると意味あることを、答えうる範囲・解きうる条件に落とし込む」ものであって、そのような「問題」を描き出してしまったならば、当たり前のように、その「問題」の答えは導き出されるものだからです。
だから、「やりたいこと」を的確に表現したならば、(後は機械に任せれば)やりたいことが消えてしまうように、「解くべき問題」を的確に表現し得たなら「問題を解くための作業」の過半数は終了しているというようになることも多いような気がします
本当のところ、「答える」ためには「的確な問い」を描くということが必要十分条件なのではないか、と思います。だから、「問題を出されたら、答えることができる能力」なんて(その問題が作り出された段階で、すでに問題は解かれているのですから)実は無意味だ…と感じることも多いのです。
必要なのは「問い・問題」を手にするための力で、「答えられる(だけの)力」ではないだろう…と思うことが多くなりました。
人間は、決してあきらめてはならない。
「ロボット (R.U.R)」 カレル・チャペック