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2011-10-15[n年前へ]

「原子力防災」著者 松野元さんがテレビ番組で語ること 

 今年の3月、「知識を得た上でどうすべきかを各人が判断する」というバイアスで「災いを防ぐ=防災」ということを考えるなら、それが「原子力」というものに関してであるのなら「原子力防災―原子力リスクすべてと正しく向き合うために 」という本を、まずは読んでみるのが一番良いように思う、と書きました。

 この本が「考える」ために「一番良い」理由は、関連事項について広く・深くデータを示しつつ、データの意味を具体的に定量的にわかりやすく説明しているからです。エネルギーの必要性から、関連事項を理解するのに必要な科学知識や、各種リスク評価…、本のタイトルからは想像できないくらい非常に広い範囲のことが書かれています。
 著者(松野元)がこだわり続けているのが、こんな考え方(バイアス)であるように思えます。『(原子力災害が発生した場合)住民は、関係者に十分な情報を要求し、専門家の意見を聞いて、最終的に他人任せでない決断を自らが選択しなければならない』

 この本の著者である松野元さんを中心に置いた、「原子力防災」についてのテレビ番組(NHKドキュメンタリーWAVE 伊方原発 問われる“安全神話)を見ました。

 (福島原発事故が起こって以来)自問自答を繰り返している。
 自分の人生を掛けてやってきたのに、あの福島の事故を抑えるような原子力の体制にできなかったことを、 悔しさというか残念だというか、私のできる範囲で償いというか・・・償えるかどうかわからないけれど、何かお役に立ちたい。
 50分弱ほどの番組ですが、松野さんがゆっくりと話す言葉に耳を傾けていくうちに、(戦後の日本にはとても重く響く)こんな言葉で終わる最終シーンまで、すぐ辿り着いてしまうと思います。
(エネルギー自給ということが)私の夢だったし、日本の夢でもあった。エネルギーに困らなければ、おそらく、食料にも困らない。
 (原子力で手に入れようとする)大きなメリットの後ろには、大きなリスクがある。原子力防災は「(事故になりうることが必ず)起きる」として考えるべきで、そのための備えが必要だということです。
 そして、ここから先は、私(松野)の気持ちだけかもしれないが・・・、準備をしておけば事故はないかもしれない。それが本当の願いです。
 松野さんが技術者として語る言葉を聞きながら、その言葉を出すまでの「(たとえば”安全”という”永遠に辿り着くことができない目標”に対する)考え方*」を理解しようとしてみたくなります。
*この番組中で松野さんが語る言葉には、 柴田 俊一さんがマーフィーの法則「信頼工学版」第3法則 "You can't win-you can't break even- you can't even quit the game."をひきつつ書いた言葉を重ねつつ聞くと、とてもわかりやすく自然に響くかもしれない、と思います。
 安全確保はゲームに例えて言えば、勝てない・引き分けもない・棄権もできない、というものである。つまりその仕事に就いた人は、絶えず努力をする必要があり、しかもそれでもなお永久に「絶対」という段階には到達できない。


20111001 伊方原発 問われる“安全神話” 投稿者 PMG5


NHKドキュメンタリーWAVE 伊方原発 問われる“安全神話
 “フクシマ”によって崩壊することになった原発の安全神話。その神話が形作られていくきっかけとなったのが、四国電力の伊方原子力発電所の安全性を巡って 30年近く争われた裁判である。当時、四国電力で原発設置を担当したある技術者(松野元)は、裁判後、徐々に社内で蔓延していく「絶対安全」に対して、異論を訴えたが黙殺され続けてきた。裁判資料を読み解くと、地震のリスクなど専門家の調査結果が無視されている部分も多い。第2のフクシマは防ぎたいと、今でも原発の危険性を訴える技術者の思いを軸に、現在でも“安全神話”が続く原子力発電の現場を見つめる。

2012-03-09[n年前へ]

2011年3月1日から1年間の「”原発”記事とブックマーク」 

 2011年3月1日から今日までの1年間に、私たちみんなの間で「人気記事」となった”原発”記事とコメントを、今一度読み直してみたくなり、はてなブックマークから全て引っ張ってみました。それが、2011年3月1日から1年間の「”原発”記事とブックマーク」です。

 今から振り返れば、事故後3月12日に書かれた池田信夫氏やMIT研究者による記事などが、「間違っていた」ことや、ニュー速VIPブログ「放射能から身を守る方法」や元「東芝の原子力技術者が語る福島原発の現状」の「正しさ」が、今一度見えてきます。

 あるいは、地震の1週間前に書かれた(四国伊方原子力発電所の実験風景をひきつつ書かれた)いしだ壱成氏記事を読めば、その的確な指摘に考えさせられ、そして同時に、そこにつけられた私たちみんなが付けたブックマークコメントを読めば、「安全神話」を生み出し、今回の災害を生み出した「人の姿」も見えてきます。

 「今回の災害で得た多くの科学的データを生かし、こうした災害が起きないようにしたい」というような内容をどこかで読み、「それはそれで大事なのだろうが、それでは、防災のためにはあまり効果的でなさそうだ」と感じました。なぜなら、災害を生み出す量を決める一番のファクターは、科学・技術ではなく、他の何よりも「人」である、と思うからです。金融工学がいかに進もうと、バブルが繰り返し起きるように、科学技術がどれほど進もうと、主人公はやはり「人」なのです(正しい判断をしない「みんな」はいつも「バブル」を繰り返す)。

 「分数もできない大学生」のような"みんな"が行う判断は正しいと思いますか?
 分数ができても、みんなが正しい判断をするとは言えない。金融工学がいかに進もうと、バブルは繰り返す。

 未来に生かすべきは、他の何より「私たち自身つまり”人”がおかしがちな誤り」への振り返りなのではないかと思いつつ、今日眺め直してみたものが2011年3月1日から1年間の「”原発”記事とブックマーク」です。



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