2012-01-08[n年前へ]
■「迂回し余る道」や「余る何かを導く何か」
十年一昔、と言います。十年というのはとても長いようでいて、それと同時に、思うよりずっと短い…そんな時間です。十年以上、WEB上で日記を書き続けていれば、色々あるものです。 from 「n年前へ」
本当の理科人間は理屈を言い争うディベートを好みません。どんな結論にも理屈はつけられるので、このようなコトバによる議論が、意味ある結論に導くとは思わないからです。
中学時代、「グレてる生徒がマジメになるきっかけは、ほんのささいなことだったりする。けれど、それが大事なことなんだ」と老先生が言っていた。それは、たとえば、母親が化粧っ気も無しに働いているところを眺めて、「母親に化粧をさせてやりたい」と思ったりするとか、そんなことだった。
道が柔らかく曲がっている。ゆったりと左に右に道が方向を変えている。そんな時、昔の街道の雰囲気を感じる。そして、その道端のどこかには、必ず寺社や祠がある。
坂村健は「新技術が研究されてから一般化するまでに二十年かかる」と言う。つまり、その当時の新技術が今現在2005年の世界を支えている(あるいは近い未来に支えていく)ことになる。科学技術の発展はそんなに速くない。科学技術を作っている側も使っている側も、時の流れはドッグイヤーであるかのように早いように思えるかもしれないが、実はそんなに速くない。
むしろ、いとうせいこう氏のような(数式を言葉とみなせない)文科系作家は、言葉の厳密な意味からもれてしまいがちなある種の感情や雰囲気といったものを表現していくのが主たる仕事ではないんだろうか。
これらの小説は、昭和初期という舞台上に、”今”という瞬間が描かれている。だから、小説に登場する登場人物たちは、”今”を生きる私たち自身である。…”今”を生きる私たちに向けて発せられた「ひとこと」に、少しばかり、目を通してみるのも良いと思う。
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