2008-06-29[n年前へ]
■「素晴らしく綺麗な景色」は写真に撮れない
綺麗な風景を見てカメラのシャッターを押したい、と思うことがあります。それは、写真に撮って残したいという気持ちではなくて、目の前に広がる素晴らしい景色を他の誰かにも伝えてみたい、というような感じに近いように思います。心惹かれる景色であればあるほど、そんな景色を写真に撮りたい・誰かに伝えたい気持ちが浮かび上がってきます。
けれど、それがどんなに素敵な景色だったとしても、カメラを取り出そうという気持ちが起きない状況が、いくつかあります。たとえば、「山腹の上に月が佇む景色」がそんな景色の一つです。写真を撮る気が起きない理由は、私の腕では「魅力的に浮かぶ月の大きさが、撮った写真ではどうしても小さく見えてしまう」からです。肉眼でとても大きく見える月が、撮影した画像中ではあまりに小さい存在になってしまうのです。つまり、眺める景色の素晴らしさを絶対に写し取ることができないだろう、と確信してしまう時に、カメラを取り出す気になれないように思います。写真で「真を写す」ことができそうにないと確信してしまうのです。
湧水池に蛍を見に行きました。緑色に強く光りつつ浮かぶ蛍や、水草に止まり、ゆっくりとした点滅を続ける蛍を見に行きました。蛍が浮かび上がる景色・蛍がそこらかしこで光る景色を見に行く時にも、やはりカメラを持って行こうという気持ちは起きませんでした。あの幻想的で不思議な世界を、ぼんやり暗い草木の中や水草の上で、たくさんの小さな緑色の光が浮かぶ景色を、私の腕で真に写し取ることができるわけもないからです。
特に優れた写真の腕を持つわけでもない私たちが、あの綺麗な景色を写し取り伝えることができる撮影・表示装置があるとしたら、それはきっと「現在のカメラのようなものではない」のだろう、と思います。それは、小さなプラネタリウムのようなものかもしれないし、今の私たちには想像もできないようなシステムかもしれません。いずれにせよ、少なくとも私は、そんな装置や腕をまだ持ち合わせていないのです。
だから、カメラも何ももたずに、蛍を手ぶらで見に行きました。
もし、あなたが住む場所の近くに川が流れていたら、少し散歩をしてみると良いかもしれません。もしかしたら、目の前で蛍がふんわりと光りながら浮かび、足下では小刻みに点滅する蛍の光が見えるかもしれません。今週は、そんな景色を見ることができる限られた時期です。あなたの住む家の近くに川が流れていたとしたら、夜、少しだけ散歩をしてみると良いかもしれません。