2011-03-04[n年前へ]
■ひとつの”ものさし”で計らない
何年も前、日曜朝のテレビ番組中で野村克也がイチローのプレースタイルを指して「野球をする上で大切なチームプレイをしていない」と苦言を呈していました。「一番打者で出塁率が重要なのに、四球を選ばず一球目からボールを打ちにいったりするのは”勝ち”に繋がらない」というわけです。他の言葉も言っていたのだろうと思いますが、その瞬間にはそんな言葉がクローズアップされているように感じました。その言葉を聞いた頃、ちょうど「メジャーリーグの数理科学」を読んでいて、出塁率の評価をどのようにするかとか、一塁打者の出塁率がチームの勝率に対してどのような寄与をするかを考えていたこともあって、野村克也の言葉に「なるほどなぁ」と納得したのです。
しかし、それと同時に、こんな言葉にも納得してしまうのです。それはたとえば、「「トップアスリート」名語録 」中にあるような一節です。
…伝説のホームランバッター、ベーブルースも、記者に「バットを短く持ってレフトへ流し打ちをすれば四割打てるのに」と言われ、「私がレフトへ二塁打を三本飛ばすより、ライトへホームランを一本打つのをファンは見たがっている」と答えている。イチローも「打率を上げるには四球を選ぶ方がいい」と言われながら、四球より一本でも多くのヒットを打つことにこだわっている。
プロにはファンが自分に何を期待しているかを知り、それに答える義務がある。
プロスポーツでも、あるいはその他のものごとであっても、「ひとつのものさし」だけでは計ることができないことの方が多いのではないか、と思います。試合の”勝ち”というものさしもあれば、興行としての”ものさし”もあることでしょう。その他にもたくさんの”ものさし”があるに違いない、と思います。
けれど、時に、ひとつの”ものさし”を何かに当てはめてしまいそうになることがあります。そんなことをしてしまいそうになることもあれば、そんなことをしてしまったこともあります。
たくさんの”ものさし”を筆箱に入れ、あらゆるものをひとつの”ものさし”だけで計らないようにするには、一体どうしたらいいのでしょうか。
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