■世界の何処かで響く音
アメリカからきた知人に「民族音楽を聴きたいと思う?」と聞いた。すると、「いや、そうは思わない」と彼は答えた。確か先週は、「季節が変わる頃には、ベトナムやカンボジアに行ってみたい」と言っていたはずだ。とりたてて奇妙だというほどではないけれども、その言葉はやはり意外に聞こえた。そして、民族音楽が好きな私には、その言葉が少し引っかかった。だから、「何で民族音楽を聴きたくないの?」と聞いた。
すると、彼はとてもシンプルに言った。
民族音楽は、ぼくの小さな部屋で、小さな音で聞く音楽でもないし 電車の中で、ヘッドホンをかけて聞くものでもないからそして、こんなことを話し出した。
民族音楽は、土地に根付く植物みたいなものだと思う。 大地に息づく草や木は、その芽を育んだ水や土や空気から離れて存在できるものではないのと同じように、民族音楽も、生まれ育った場所から切り取って、他の土地に持っていくことはできないだろう?もしも、他の場所へ持って行った時には、フリーズドライされたインスタント食品みたいなモノに変わってしまうんじゃないだろうか。
確かにそうかもしれない。旅する場所、その先々で聴く音楽、街に流れている音楽が、私は好きだ。あの音は、その場所で、その空気に浸かっているからこそ素敵に感じるのだろう。そこで聞くからこそ、生き生きと新鮮に、そして、奥深く感じるのだろう。
いつか、「民族音楽は聴かないの?」と聞かれたら、私も真似して言ってみよう。
通勤電車の中で、iPodで聞く音楽じゃないから。
色んな場所に行ってみる。その土地を包む音楽を肌で聴き、土地の空気に響く音に振り返り、空気に染みこむ匂いを鼻の奥で嗅ぎ、その場所を包むものを味わいに行く。私は色んな場所に行ってみる。