2004-05-14[n年前へ]
■バッドノウハウカンファレンス
バッドノウハウカンファレンス 2004の発表資料のHTML版とPDF版資料は大きく分けて二部構成。前半は(例えそれがバッドでも)ノウハウを得る過程を楽しむ視点から。もう一つはバッドノウハウを無くしていかなければならない立場から(だけど結局バッドノウハウ)です。つまり、一見逆の視点からの二部構成です。
途中、段落の表示順番が狂っていたりしますが、そこはそれ適当に(IEなら右下に表示されているボダンでも使って)スライドショーで眺めて見て下さい。ブラウザを選ぶので、見ることができない方はPDF版の方でどうぞ。
発表を聴いている中で興味深かったことの一つは、「バッドノウハウが居着く環境はまず間違いなくプログラマブル」ということ。だから、「何かができる。だから楽しい」という気持ちにさせてハマる、という話。逆に言ってしまえば、そのプログラマブルな部分を除いてしまったら、融通の利かないツマラナイ世界があるのかもしれない。
自分の発表の前までは、笑いながらも感心したことをメモする余裕もあったが、後半はその余裕もなく笑い続けていた。それでも「sendamailはBerkeley Unixのベトナム。C++は90年代のCOBOL」というキャッチーなTHE UNIX HATERS handbookのフレイズはなんとかメモをする(from Unix is the Bad Knowhow)。
夕暮れ過ぎに駅から会場に向かって歩いていくと、なんだか少し蒸し暑い。これは、いかにもアジアの夏なんだなぁ、と思う。ビールを飲んだら気持ちよさそうだなぁ、と思いつつ眺めた、駅の近くの花屋や、線路越しに見た駅や、会場から眺めたいくつかのビル。会場に入る前に、中庭でベンチに座ってほんの少し資料を手直しをしていると、空には飛行船が浮かんでいる。夏の空だなぁ。
2007-06-08[n年前へ]
■世界の何処かで響く音
アメリカからきた知人に「民族音楽を聴きたいと思う?」と聞いた。すると、「いや、そうは思わない」と彼は答えた。確か先週は、「季節が変わる頃には、ベトナムやカンボジアに行ってみたい」と言っていたはずだ。とりたてて奇妙だというほどではないけれども、その言葉はやはり意外に聞こえた。そして、民族音楽が好きな私には、その言葉が少し引っかかった。だから、「何で民族音楽を聴きたくないの?」と聞いた。
すると、彼はとてもシンプルに言った。
民族音楽は、ぼくの小さな部屋で、小さな音で聞く音楽でもないし 電車の中で、ヘッドホンをかけて聞くものでもないからそして、こんなことを話し出した。
民族音楽は、土地に根付く植物みたいなものだと思う。 大地に息づく草や木は、その芽を育んだ水や土や空気から離れて存在できるものではないのと同じように、民族音楽も、生まれ育った場所から切り取って、他の土地に持っていくことはできないだろう?もしも、他の場所へ持って行った時には、フリーズドライされたインスタント食品みたいなモノに変わってしまうんじゃないだろうか。
確かにそうかもしれない。旅する場所、その先々で聴く音楽、街に流れている音楽が、私は好きだ。あの音は、その場所で、その空気に浸かっているからこそ素敵に感じるのだろう。そこで聞くからこそ、生き生きと新鮮に、そして、奥深く感じるのだろう。
いつか、「民族音楽は聴かないの?」と聞かれたら、私も真似して言ってみよう。
通勤電車の中で、iPodで聞く音楽じゃないから。
色んな場所に行ってみる。その土地を包む音楽を肌で聴き、土地の空気に響く音に振り返り、空気に染みこむ匂いを鼻の奥で嗅ぎ、その場所を包むものを味わいに行く。私は色んな場所に行ってみる。
2019-04-16[n年前へ]
■2019年4月、京華旅社から眺めるタイ旧正月
ベトナム航空が、ベトナム経由のバンコク往復2万5千円航空券を売っていた。そこで迷わず、発券し、タイ旧正月のソンクラーンを眺めに行った。宿は、京華旅社。楽宮旅社、ジュライホテル、台北旅社、そして京華旅社(クルンカセム・ シークルン)…つまりは、20世紀のバックパッカーの定番のうち、今も残っている最後のひとつ。
バンコクのいわゆる中央駅、フワランポーン駅横に位置する京華旅社。今の朝食は、バイキング形式で美味しい。それに、中華街とか新旧電脳街にも近い。そして、その屋上階から眺める景色はとても心地良い。すべて、何だか快適で良い。