hirax.net::Keywords::「ちくま新書」のブログ



2009-09-15[n年前へ]

「みんな悩んで大きくなった」はいいけれど 

 橋本治の「人はなぜ「美しい」がわかるのか (ちくま新書) 」の『「成長」が無意味になってしまった後で登場するもの』から。

 「孤独」を発見した近代は、これを「なんとかなる」の前のプロセスとして位置付けたのです。
 ところが、この単純明快な基本原則は、あるところで壁にぶつかります。
 「みんな悩んで大きくなった」はいいけれども、「お前も挫けずに頑張れよ」路線で大人になった青年達が、ろくなオヤジになれなかった-ならなかったというだけのことです。

2009-10-14[n年前へ]

位置付けを欠いた”自在”な思考 

 橋本治の「あなたの苦手な彼女について (ちくま新書) 」から。

 平気で「我”こう”思うゆえに我あり。お前”こう”思わぬゆえに我なし」という認識をしてしまうのです。それがつまり、「あなたは私のような考え方をしていないから、あなたには自分がないのだ」という即断です。
 位置付けを欠いた思考は、いくらでも”自在”になります。でもその自在さは、一向に「外」とは噛み合いません。どんどん自在になるだけで、自己完結へ導いていきます。
 「自分がどこに存在して、自分の思考はどのようであってしかるべきか」という自覚のない人の思考は、どんどん自在になって現実から遊離をして行きます。
 思考が自在になってしまえば、「自分は位置付けを欠いている」というそのこと自体が、問題にならなくなります。だから、(中略)なにを言っても無駄です。しかるべき距離を置いて、「あなたは、自分が位置付けを欠いているということに、気づいていないんじゃないの?」ということを、黙って気づかせるようにしてあげるしか、その対処すべき方法はないように思われます。



■Powered by yagm.net