2009-09-15[n年前へ]
■「みんな悩んで大きくなった」はいいけれど
橋本治の「人はなぜ「美しい」がわかるのか (ちくま新書) 」の『「成長」が無意味になってしまった後で登場するもの』から。
「孤独」を発見した近代は、これを「なんとかなる」の前のプロセスとして位置付けたのです。
ところが、この単純明快な基本原則は、あるところで壁にぶつかります。
「みんな悩んで大きくなった」はいいけれども、「お前も挫けずに頑張れよ」路線で大人になった青年達が、ろくなオヤジになれなかった-ならなかったというだけのことです。
2009-09-23[n年前へ]
■「過去が詰まった濃い本」と「未来を書いた薄い本」
橋本治の「大不況には本を読む (中公新書ラクレ) 」から。
(中略)本の多くが「過去のこと」を語っていて、「それでどうなんだ?」という「現在から先のこと」を考えるのが読み手の担当だという、仕組みになっているからです。
(中略)「これまでのあり方を振り返って、未来を検討する」ということをしなくなった。「その未来にはこうすればいい」という予言の書-つまり、分かりやすくてすぎ役に立つ「理論の書」を求めるようになったのです。
2009-10-14[n年前へ]
■位置付けを欠いた”自在”な思考
橋本治の「あなたの苦手な彼女について (ちくま新書) 」から。
平気で「我”こう”思うゆえに我あり。お前”こう”思わぬゆえに我なし」という認識をしてしまうのです。それがつまり、「あなたは私のような考え方をしていないから、あなたには自分がないのだ」という即断です。
位置付けを欠いた思考は、いくらでも”自在”になります。でもその自在さは、一向に「外」とは噛み合いません。どんどん自在になるだけで、自己完結へ導いていきます。
「自分がどこに存在して、自分の思考はどのようであってしかるべきか」という自覚のない人の思考は、どんどん自在になって現実から遊離をして行きます。
思考が自在になってしまえば、「自分は位置付けを欠いている」というそのこと自体が、問題にならなくなります。だから、(中略)なにを言っても無駄です。しかるべき距離を置いて、「あなたは、自分が位置付けを欠いているということに、気づいていないんじゃないの?」ということを、黙って気づかせるようにしてあげるしか、その対処すべき方法はないように思われます。
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