hirax.net::Keywords::「小山慶太」のブログ



2010-02-07[n年前へ]

「次世代スーパーコンピューターの事業仕訳け議論」と「冒険家のスポンサー」 

 次世代スーパーコンピューターの事業仕訳けに関する議論も一段落したようだ。「『(コンピューター性能で)世界一を目指す理由は何か。2位ではだめなのか』という言葉ばかりが独り歩きし、本来すべき議論が不十分になってしまった」という意見も多く見かけた。しかし、この言葉は、次世代スーパーコンピューターのような各種巨大科学プロジェクトが抱える問題、あるいは、問題と言う言葉に語弊があれば特徴と言い替える、の本質を実に的確に表現しているのではないか、と感じた。

 「科学(者)の文化」上は、「一番」とそれ以外は全く違うものである。そういう文化を背景にした意識が、科学者の頭の中には少なからずある。それは、「科学者はなぜ一番のりをめざすか―情熱、栄誉、失意の人間ドラマ (ブルーバックス) 」中の言葉を引用するならば、「科学と冒険には相通じるものがあるのである。それは冒険と同様、科学の世界でも、業績が高く評価されるのは、最初に発見を成しとげた人間に限られるからである」ということに尽きる。

 このような考え方。評価をする世界の中で生きる人もいれば、そればかりではない・そういうものとは違う世界で生きる人もいる、ということが、この次世代スーパーコンピューター開発に関わる問題が抱える本質のひとつではないか、と思う。

 片側の世界に住む人にとっては、それが当たり前のことであるがゆえに意識しないか・意識しても(あえて)言わないし、そうでない側に住む人にとっては、そうでないがゆえに(そんなことを)意識することは少ない。

 「科学者」が「(知の)冒険者」であって、(長年の生活の中で)考え方の底に冒険者と同じものがある、ということを意識すると、理化学研究所の平尾公彦副本部長(前東京大学副学長)が述べた「国民に夢を与える、あるいは世界一を取ることによって夢を与えることが、実は非常に大きなこのプロジェクトの一つの目的でもあります」という言葉も、実に理解しやすい。ここでいう「理解」というのは、何よりこの言葉を語るに至る「考え方」がわかる(その結果、その言葉が指すこともわかる)ということである。

 エベレスト(チョモランマ)発登頂・南極点一番乗りレース・初の大西洋横断単独飛行…そういう「冒険」と同じように、「初物」あるいは「その結果としての名誉」を追いかけ続ける人もいる。そういった冒険を見て、興奮し「夢」を感じる人もいる。そして、その一方でそういう「冒険」「夢」を「割に合わない」と感じる人もいる。

 「科学の世界では、業績が高く評価されるのは、最初に発見を成しとげた人間に限られる」というところから、「冒険家のスポンサー」として、次世代スーパーコンピューターのような各種巨大科学プロジェクトについて考えてみると、「意見の大きな違いを生む原因となる、価値観の違い」を理解することができ「問題」がわかりやすくなるように思う。

2010-02-08[n年前へ]

「デーモン」(魔人)という、人間を創造的活動に駆り立てる根源的な焦燥 

 小山慶太「科学者はなぜ一番のりをめざすか―情熱、栄誉、失意の人間ドラマ (ブルーバックス) 」から。

 ドイツの作家シュテファン・ツヴァイクは、人間を創造的活動に駆り立てる根源的な焦燥(しょうそう)を「デーモン」(魔人)と呼んだが、その言葉を借りれば、彼らはまさにデーモンにとりつかれた人間ということになるのかもしれない。そして、片時も立ち止まることなく、まるで立ち止まることが恐怖であるかのように論文を発表し続ける衝動もまた、先取権獲得にかける執念の強いあらわれなのであろう。



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