2009-06-09[n年前へ]
■ああ、これだけ損が出来る
北村薫の「朝霧 」の巻末にある、戸川安宣(元 東京創元社 編集者)による「北村さんのこと」から。
「損するのが分かっていても、出さなきゃいけない本て多いでしょう。本屋って、たまたま損するわけじゃぁないのよ。本屋が稼ぐっていうのは、売れない本のため。ね、社員のためじゃないの。一億入ったら、≪ああ、これだけ損が出来る≫と思うのが、本屋さんなの」
2010-02-04[n年前へ]
■本当にいいものは太陽の方を向く
北村薫の「朝霧 」
本当にいいものはね、やはり太陽の方を向いているんだと思うよ。
4歳くらいの頃、長野県の野辺山という高原に越した。太陽が空に昇っている時刻には、いつも太陽の方向を向いている巨大なパラボラアンテナ=朱色の電波望遠鏡が、その高原には何基も立っていた(参考:宇宙経由 野辺山の旅 )。向日葵(ひまわり)のように、それら、離れた所に立っているいくつもの巨大なパラボラアンテナたちは、いつも太陽の方を向いていた。そんな風景の中で暮らしていた頃を思い出す。
2010-09-25[n年前へ]
■「あぁ、これだけ損ができる」
「明日に-」という言葉だけが書かれたページから始まる、北村薫「朝霧 」の中にこんな言葉があります。
「損をするのが分かっていても、出さなきゃいけない本って多いでしょう。本屋が稼ぐっていうのは、売れない本のため。一億入ったら、”あぁ、これだけ損が出来る”と思うのが、本屋さんなの」
「これだけ損が出来る」ということが「豊かさ」を作るのだろうか、と思うことがあります。もしかしたら、「損が出来ること」こそが「豊かさ」なのかもしれないとさえ感じることも あります。宵越しの金は持たない江戸っ子なぞは、さぞかし「豊か」に違いない、と考えるのです。
どんな"損が出来る”のだろう、とふと考えます。何のための損をしたい」のだろうか、と煎じて詰めて考えてみたりします。
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