2003-10-19[n年前へ]
■さらば、大艦巨砲主義。
鍵はオトコのヤング率?
海外でトイレに入ると、高い位置にある小便器に四苦八苦することが多い。私が小柄なせいもあるのだけれども、何しろ便器の高さがほとんど股の位置と同じくらいだったりするのである。しょうがないから、そんな時は放水を行う「大砲」の角度を若干上側に調整して、小便が描く放物線を上手く調整しながら放水を行うことになる。そんな風に神経を使う放水作業を行っていると、「もう少し小柄な人のことも考えてくれぇ」となんだか腹が立ってきたりもするのである。
しかも、そんな位置が高すぎる便器には大抵"AmericanStandard"なんて刻まれていて、人の気持ちをさらに逆なでしたりするのだ。もちろん、それは単に便器メーカーの社名であるのだけれど、それでも"AmericanStandard"だなんてと言われて良い気持ちがするわけはないのである。「この高さがアメリカの標準デ~ス。アナタの大砲の取り付け位置は低すぎデ~ス」と便器にバカにされているような気になってしまい、思わず「それは余計なお世話デ~ス。アメリカの標準を他人に押しつけないでほしぃのデ~ス!」と思わず便器に言い返したくなったりするのである。
先日、やはりそんな風に"AmericanStandard"な便器に向かってハラを立てながら「大砲」の角度を調整しながら放水作業をしている時に、ハラが立つあまりにとてもヘンなことをワタシは考えはじめた。
確かにアメリカンな標準大砲は「取り付け位置」も高いし、大砲は長くて口径も大きい(コーラ瓶のような巨砲を持つアメリカンAV男優を参考にするならば)。そのせいで、射程距離だって確かに長く、高い便器でも全く苦労しないかもしれない。しかし、必ずしも大砲がデカけりゃいいってわけでもないのではないハズである。例えば、かつて我が日本は大艦巨砲主義に固執し巨大戦艦「大和」を作り上げたわけだが、その大艦巨砲主義が時代の流れに取り残されてしまったことは「戦艦大和」の悲劇が証明している通りである。それと同じように、放水の「大砲」におけるアメリカンな「大艦巨砲主義」だって、時代の流れ・時の流れに取り残されることがあるのではないだろうか、と思ったワケなのである。「これがアメリカの標準サイズなのデ~ス」という言い放つブッシュ大統領率いるアメリカン大艦巨砲主義だって時代の流れ・時の流れを考えれば、何処かに「落とし穴」があるのではないだろうか、とワタシは考えたのである。つまりは、高すぎる便器にハラを立てたあまりに、ワタシはなんとかアメリカン・スタンダードな大艦巨砲主義になんとか「落とし穴」を見つけようとしたわけである。
そして、ワタシが考え出したものがかねてから宿題のままワタシが決して手を付けようとしなかった「オトコのヤング率(物質の堅さを示す係数、応力に対してどの位歪むかを示す)」だったのである。かつてワタシは、人体の柔らかさを「人体におけるヤング率」という物理係数を導入することで、さまざまな人体に関する物理現象を解明することができると提唱したわけであるが(オッパイ星人の力学- 胸のヤング率 編 - を参照のこと)、今回は小便を発射する大砲の強度を定めるオトコのヤング率を考えることで、アメリカが「標準サイズ」と言い放つ大艦巨砲の「落とし穴」を見いだそうとしたのである。鍵はオトコのヤング率なのである。
そのアメリカンな大艦巨砲の「落とし穴」を説明するために、まずは人体におけるヤング率の定義をもう一回おさらいしてみよう。人体におけるヤング率とは人体の柔らかさを定義する係数であって、それは年齢に比例する係数である。人体におけるヤング率は若いときは堅く(ヤングで)、年をとるに従って柔らかくなる(ヤングでなくなる)のである。そういうわけで、例えば胸のヤング率を考えれば、当然若い女性の胸は垂れないけれども、おばあちゃんの乳が垂れていったりするわけである。そして、それと同じように当然オトコの大砲におけるヤング率というものもあるわけで、試しにヤングなヤング率を持つ「ジャパニーズな小砲」と「アメリカン・スタンダードな巨砲」を有限要素法で変形計算をしてみたものが下の二つのグラフである。
もしも、大砲の取り付け位置の高さが同じであれば、「ジャパニーズな小砲」に比べて「アメリカン・スタンダードな巨砲」は長いぶんだけ、発射口の位置も高い。だから、当然ターゲットがいくら高い便器であっても百発百中で狙いを外さないに違いない。それに対して、「ジャパニーズな小砲」は発射口の位置が低く、ターゲットたる便器を外してしまうことも多いように思える。確かに、小便における大艦巨砲主義は間違っていないように思えることだろう。
しかし、である。時代の流れ・時の流れを考えるならばどうだろうか?女性のオッパイが年を経て時が流れるに従って、堅くなくなり垂れてくるように、男性の「大砲」だって時が流れ年を経るに従って哀しいけれど堅くなくなってくるのである。さまざまなシチュエーションでそのオトコのヤング率は問題になるわけであるが、とりあえず便器に向かって放水活動を行うときだってそのヤング率は問題になるわけである。というわけで、例えば時を経てヤングでなくなった「大砲」がどう変形するかを同じように計算してみたものが、次の二つのグラフである。
短いがそのぶん時を経ても変形量も少ない「ジャパニーズな小砲」に対して、時代が流れヤングでなくなった「アメリカン・スタンダードな巨砲」はひどく変形してしまっている。巨砲の台座たる根本を固定して遙か上に向かって放水を行ったにしても、アメリカンな巨砲の先端は変形して下を向いてしまっているのである。そうとなれば、大砲から発射される放物線も低い弾道を描き、小便は遠くまで飛ばないわけで、アメリカンな巨砲主義から発射される小便は"AmericanStandard"のターゲットを外すかもしれないのである。しかし、それに対して質実剛健な竹ヤリのような「ジャパニーズ小砲」はほとんど曲がることもなく、失礼な"AmericanStandard"便器をヤングな時代と同じように打破することができるかもしれないわけなのである。
…と、こんな「オトコのヤング率」についてワタシは放水作業をしながら考えたのであるが、ふと我に返ってみれば私たちは別に便器を前に飛距離競争をしていたのではないのであった。そもそも、ワタシと違って股位置の高いアメリカンは大砲の角度を上に向ける必要はないのである。取り付け位置の高い大砲ならば、別に大砲が下を向いていたってちゃんと便器内に放水ができるわけなのである。哀しいけれど大砲の取り付け位置の高さが違うということは絶対的な差を持つのである。
というわけで、いくら時代の流れ・時の流れを考えても、ワタシはいつまで経ってもアメリカン・スタンダードな便器に苦労し続けるだろうし、背の高い「アメリカン・スタンダードな巨砲」達はいつまで経っても軽々とダンクシュートのごとく小便を便器に命中させ続けるに違いないのであった。ワタシが「さらば、大艦巨砲主義」といくら言ってみたところで、しょせんは虚しい遠吠えなのである。かつて、我が日本の大艦巨砲主義は時代の流れに取り残されてしまったけれども、残念ながらアメリカン・スタンダードな便器における大艦巨砲主義の時代はまだまだ続いてしまうのであった。