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2003-12-03[n年前へ]

そこでは誰が幸せになったのだろうか──。   share on Tumblr 

 私もこの文章と全く同じことを考える。この文章は目を通してみて、絶対に損はしないと思う。いや、ぜひ読んでみてもらいたい、と思う。特に、弱者ではない人達に。

見知らぬ人同士が共有する密閉された空間を、平和に維持できるのは、われわれが無関心を装っているからだ。驚くほどの美人がいて激しく気になっても、けっしてジロジロ見たりはしない。僕らはそういうふうにして公共空間を保ちながら生活している。
 例えば、絶対にリンクを張らないだろうサイトがあったりする。それは、とても素敵な短歌日記であるかもしれないし、それは好奇心に溢れたこどもの日記であるかもしれない。
 もちろん、遠慮無しに失礼なリンクも張ったりはすることもあるけれど、それでもリンクを貼らずにじっと眺めているサイトだって確かにある。
ネットは常に開かれているのだから、それは誰の目に触れてもいいということじゃないか、と。見てほしくないならネット上で公開などするな、リンクフリーという原則こそがこれほどまでにネットを発展させたのだ、と。それは、とても「正論」のように聞こえるし、ネットに明るくない僕にも、それはある程度間違っていない、とも思う。
 この文章が「カフェ」だというはてなダイアリで公開されていることを少し面白く思う。自然とリンクで結びつけられがちで、カフェだけど直接民主主義の実験まで始まってたりする「場所」でこういう指摘がなされていることをとても興味深く思う。
だが、結果としては、誰も幸せになっていない──僕がひとつだけ気になって仕方ないのはこの点だ。それを考えると、杓子定規に「ネットの理念」たるものに依拠することの正当性や「正論」にも疑問を覚える。



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