2005-09-27[n年前へ]
■渋谷 複雑なものは、言葉でしか表せない
少し前に、プレゼン講習で「相手が見たことがない知らないものを、(相手に)言葉で説明することは不可能だ」なんていう話をした。だからこそ、画像とか動画像とかデモンストレーションというのは便利なんだ、と話したような気がする。
今日、ふと喋ったことは、「あまりに複雑なものは、言葉で説明する方が楽だ」ということである。英語(文化)の学習用にジェスチャーゲームをやらされることがあった。出題された「英単語」をジェスチャーで他の人に伝える、ゲームである。"DNA"とか"Acid"なんていうのが出題された時には、頭がまっ白になった覚えがある。そんな時に、あまりに複雑なものは言葉でしか表現できない(もちろん乏しいながら)、と思ったりもする。
2007-09-27[n年前へ]
■ジェスチャーゲーム
外国文化の学習用に、ジェスチャーゲームをやった。出題された「単語」を次の人にジェスチャーで伝える、という仮題のゲームだ。"DNA"とか"Acid"が出題された時は、頭がまっ白になった覚えがある。
「あまりに複雑なものは、言葉で説明する方が楽だ」しかし、驚いたのは、"DNA"を次の人に伝えた人がいたことだ。
「できるはずだ」ということと、動くものを示して「ほらどうだ」ということの間には、天と地ほどの差がある。
「喋れない言葉」は聞こえない「喋れる言葉」は「音が消えていても」聞こえるようになる「喋れない言葉」は聞こえない。そして、「喋れる言葉」は音が消えていても、ちゃんと聞こえる。これは、不思議なくらい本当だ。
急に寒くなった。もう冬がすぐそこにある。"DNA"を知っている人が相手なら、言葉でなくてジェスチャーでもきちんと"DNA"を思い浮かべさせることができる。DNAという言葉を喋れる人になら、その言葉の音が消えていても、ちゃんと伝えることができる。
今の仕事をきちんとこなしていく、それに尽きるなあ、なんて感じています。それがどんな地味な、力作業のような仕事であっても、です。だって今の私にできる、それがベストですもの。
2013-08-22[n年前へ]
■世界各地域の「指を使った数え方」
世界各地域で、「指を使った数え方」がどのように異なるかという"Counting with the Fingers"が面白かったので、この文献に出てくる「1〜3までの指を使った数え方」を世界地図上に並べてみたのが、下の図です。古代ローマでの数え方や今現在の日本の数え方…自分の指を使って考えたりする時の仕草にも、「いつの間にか身についた違い」があるんだな、と面白く感じます。
ちなみに、一番「面白い」と感じた瞬間は、こんなジェスチャーの違いの話を台湾出身の方に話していた時、その彼女が「自分の中で数を数えるならこのやり方だけど、他の人に見せるときにはこのやり方を使う」と言った言葉でした。「自分の中での数え方」と「他の人と一緒に数えるときの数え方」…それらが違うという気遣いの話が、とても面白かったのです。
「自分(もしくは他人と一緒に)数える」「他人に見せる」という分け方はあっても、「自分で数える」時のやり方と「他の人と一緒に数える」時のやり方が違う…ということを考えたことがなくて、けれどそれを当たり前のように意識している人がいるということを、一番興味深く感じました。