外国文化の学習用に、ジェスチャーゲームをやった。出題された「単語」を次の人にジェスチャーで伝える、という仮題のゲームだ。"DNA"とか"Acid"が出題された時は、頭がまっ白になった覚えがある。
「あまりに複雑なものは、言葉で説明する方が楽だ」
しかし、驚いたのは、"DNA"を次の人に伝えた人がいたことだ。
「できるはずだ」ということと、動くものを示して「ほらどうだ」ということの間には、天と地ほどの差がある。
「喋れない言葉」は聞こえない「喋れる言葉」は「音が消えていても」聞こえるようになる
「喋れない言葉」は聞こえない。そして、「喋れる言葉」は音が消えていても、ちゃんと聞こえる。これは、不思議なくらい本当だ。
急に寒くなった。もう冬がすぐそこにある。
"DNA"を知っている人が相手なら、言葉でなくてジェスチャーでもきちんと"DNA"を思い浮かべさせることができる。DNAという言葉を喋れる人になら、その言葉の音が消えていても、ちゃんと伝えることができる。
今の仕事をきちんとこなしていく、それに尽きるなあ、なんて感じています。それがどんな地味な、力作業のような仕事であっても、です。だって今の私にできる、それがベストですもの。