2006-07-16[n年前へ]
■「うしろには夢がない」
「逃げる」という覚悟に「寺山修司が,逃げ馬について同じようなことを書いていたのを思い出しました」というコメントがついていました。寺山修司の「さらばハイセイコー」を、頭の中で読んでみるのも良いかもしれませんね。
ふりむくと一人の少年が立っているふりむくと一人の失業者が立っている
ふりむくと大都会の師走の風の中にまだ一度も新聞に名前の出たことのない百万人のファンが立っている
ふりむくな ふりむくなうしろには夢がない
2007-07-16[n年前へ]
■前へ「逃げる」
from n年前へ.
チャンス"だけ"は誰にも必ず来る
小島寛之
逃げる
近藤淳也
小島寛之さんの言葉の近くに、はてな近藤社長の「逃げる」という言葉が書いてあります。その言葉を最初に眺めたとき、力強い文字とその言葉がどうも似合わないように思えて、ふと首をかしげたのでした。ずいぶん消極的な言葉にみえて、意外に感じたのです。
その違和感が消えたのは、しばらくしてスポーツ解説のテレビを眺めてた時でした。「自転車競技では、先頭を走り空気抵抗を一手に引き受ける"逃げ"はとても苦しく、アタックとも呼ばれる」というような解説者の説明を聞き、自転車競技を愛するはてな近藤社長の言葉がようやく理解できたのです。
つまり、「逃げる」という言葉は、私が思ったような消極的な言葉ではなく、「苦しくても、力一杯アタックし続ける」という覚悟の言葉だったんだなぁ、と思い至ったのです。
ふりむくな ふりむくな、うしろには夢がない
寺山修司 さらばハイセイコー
実際のところ、その「心の痛み」と「科学的な薬」は本来補完し合うものだと思うのです。それが、何故か相反するもののようになりがちなのは、両方の側にその原因があるのではないか、と思っていたりします。
2009-12-05[n年前へ]
■「後ろ」と「夢」と「愛」と「先」
寺山修司が綴った言葉を、二つ抜き出してみる。
ふりむくな ふりむくな
うしろには夢がない。
私には忘れてしまったものが一杯ある。
だが私はそれらを「捨ててきた」のでは決してない。
忘れることもまた、愛することだという気がするのである。
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