2009-07-13[n年前へ]
■「夏目なにがし」について
「何かを作り出す」ことが好きな人もいれば、「何かを動かす」ことが好きな人もいる。新たに自分が何かを生み出すにせよ、(自分が作ったものでない)何かを(それが新鮮だと感じられる場所に)動かすにせよ、「その何か」にお金を払っても良いと感じる人がいたならば、そこに「価値というもの」が生まれることになる。
何かを作るにせよ、何かを動かすにせよ、その行動を起こした瞬間に、必ずしも「価値が生まれる」わけではない。もしも、何か価値が生まれた時、その瞬間、何かが作り出されり・何かを動かした人に、その価値の対価が還元されるならば話は単純だ。しかし、現実社会では、そうでない場合も多い。
そんな場合、価値の対価はどこに還元されるのが良いだろう。それは、その「何かが生み出されたり・運ばれてきたとき」と価値が生まれた瞬間とのタイムラグや、その状況次第のところもある、と思う。
今、価値の対価をどのように還元するのが良いかをふと考えてみると、その判断基準のひとつは、「価値が生み出されるか否か」ということで判断しても良いのではないか、と思う。「価値が生み出された」ことに対価を払いたいと願うのならば、その対価は「価値を新たに生み出すこと」というのも、至極当然であるように思われる。
そんなことを、「「夏目漱石」は日本の共有文化財産です」という記事を読み、ふと考えた。
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